6-3

「人嫌いなのか、君は?」

 人であるだけで、心ならずも相手を怯えさせているようないたたまれない気持ちになりながら、ランディは問いかけた。

 フレイアシュテュアは緑と琥珀の不可思議な瞳をめぐらして、背の高い黒髪の騎士を見上げた。

「あなたは……、私のことを、ヴェンや他の人たちから何も聞いていませんか?」

「君のこと?」

 ランディの記憶にふと思い当たるものがあった。そういえば昨夜、フレイアという呼称をヴェンシナやシャレルの口から聞いていたような気がする。それは確か、領伯の息子から妾に望まれているという、幸薄い娘の名ではなかったか。


 黙りこんだランディの表情に何を察したのか、秘密を告げるように声を潜めて、フレイアシュテュアは囁いた。

「シュレイサ村には、妖かしの目をした、魔女が棲んでいるんですよ――」

「それが君だと言いたいのか? 馬鹿馬鹿しい」

 予想に反したフレイアシュテュアの告白を、ランディは一笑に付した。

「私はこれから村へ戻る。つまらないことを言っていないで、君も一緒に帰らないか?」

「………………帰ったほうがいいでしょうか?」

 長い沈黙の後にフレイアシュテュアは答えた。

「帰ろう、送っていく」

 ランディは一歩一歩を踏みしめるようにしてフレイアシュテュアに近づくと、彼女の胸の前へそっと手を差し伸べた。

「さあ」


 表情を強張らせ、益々強く自分を抱くようにして、フレイアシュテュアは身を縮めた。

 むずかる子供のように、うつむいて嫌々をする。

 ランディは地に片膝を付いて、フレイアシュテュアの顔を下から覗き込んだ。

「私が怖いか?」

 困ったように微笑むランディをしばし見つめて、フレイアシュテュアは首をようやく横に振った。

 彼の笑顔には、頑なになった心を蕩かし包み込むような、大らかな温もりが感じられた。ごく僅かな親しい人々以外から、このように優しい接し方をされたのは、初めてではないかとフレイアシュテュアは思う。


「……私が怖くはありませんか?」

 肩の力を抜いてゆきながら、フレイアシュテュアは問い返した。

「君の何が?」

「私のこの目が」

 片手の先を目の下に当てて、フレイアシュテュアは左右の色が違う瞳を厭うように細めた。

「君はこの森と同じだ。誰に何を言われているのか知らないが、私には恐ろしいもののようには見えないな」

 フレイアシュテュアの緑と琥珀の澄んだ瞳は、謎めいていてむしろ美しいとランディは思った。

 ランディはおもむろに立ち上がり、強い眼差しで真っ直ぐに彼女の瞳を見つめたまま、もう一度手を差し伸べた。

「行こう、フレイアシュテュア」

 躊躇しながらも、今度はおずおずと重ねられたフレイアシュテュアのしなやかな指先を、ランディは包むように握り締めた。森に魅入られた彼女の心を、人の世に引き戻しでもするように。


「あの……」

 戸惑うフレイアシュテュアに、ランディは簡潔に問うた。

「馬は?」

「あの、いいえ……、歩いてきましたから」

「何だって!?」

 驚いたランディの物言いは、叱り付ける様になってしまった。

「君はこの辺りの地理に明るいかもしれないが、女の足で今から村に帰るとしたら、とうに陽が落ちてしまうだろうに!」

「……帰れないなら、それでもよかったんです」

 消え入るようにフレイアシュテュアは答えた。

「何?」

「……家出をしてきたところでしたから。行く当ても無いので、森に来てしまいましたが」

 寄る辺無いフレイアシュテュアの言葉に、ランディは確信した。


「君は、シュレイサの村長の家から逃げ出してきたのだな」

 ランディが自分の身の上を知っているらしいことに気づいて、フレイアシュテュアの白い頬は羞恥で紅潮した。

「ヴェンシナがフレイアと呼んでいるのは君のことだろう? ヴェンは今日、村長の家に行ったはずだ。君に会いたがっているようだったし、君の身に起こった出来事を知ってずいぶんと憤慨していた。ヴェンは君に会えたのだろうか?」

「いいえ……」

 フレイアシュテュアは悲しげにかぶりを振った。

「何故?」

「私が他の男の人の目に触れるのを、嫌がる方がいるからです。ヴェンは懐かしい私の『兄さん』なのに……」


「ならば、その『兄』に会いに戻ろう」

 ランディは励ますようにそう言って、フレイアシュテュアの白い手を繋ぐ形に握り直した。

「帰ろう。村長の家ではなく、教会へ。本当の君の家へ」

「ええ、そう――ですね……」

 儚げな笑みを浮かべたフレイアシュテュアに、ランディは見惚れた。

 この清らかで臆病な娘を、権に頼んで妾にしようとしている男がいるという。ヴェンシナの怒りは至極当然なことだ――。エルアンリという見ず知らずの男に対して、ランディもまた憤りを覚えた。

 フレイアシュテュアの手を引いて、ランディは森の外へ向かった。彼女を救う手立てがないものかと思案をめぐらせながら――。

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