6-2

「……こうして見ると、何の変哲もない森のようなのだがなあ」

 シルヴィナの森の外れで馬の背から降りて、ランディは紅葉して赤く燃え立つ森の木々の梢を見上げた。

「ガルーシア、お前は私が呼ぶまでこの辺りで待っているのだ」

 愛馬の鼻面を労わるように撫でて、ランディは手綱を放した。艶々と輝く黒い毛並みが美しい、主人によく馴らされた牡馬である。窮屈に繋いでおかずとも、勝手にどこかへと逃げてしまうようなことはないだろう。


 赤や黄色の色鮮やかな落ち葉を踏みしめながら、ランディはもう少し森の中へと踏み込んでみた。『精霊の家』と呼ばれ畏敬される、数々の伝承が伝わる聖域だが、その豊かな恵みを求めて民人が訪れることもあるのだろう。森の入り口付近には人の道が残されていた。

 古代の神や魔物の噂など恐れてはいないが、多くの侵入者を飲み込んできたという迷いの森である。来た道筋を振り返り確かめながら、ランディは慎重に森を進んだ。何事も起こらないままに、そろそろ引き返そうかと考え始めた時、彼の視界の端を、何か金色に輝くものが掠めた。


「――!?」

 その正体を見極めようと目を凝らして、ランディは驚いた。木々の向こうに見え隠れしているのは、まぎれもなく人影。しかし猟師や木こりといった厳つい男のたぐいではなく、長い金色の髪の、ほっそりとした女の姿に見えたからである。

 ランディは興味を惹かれその後を追った。女はランディに気づいていないのか、振り返ることもせずに どんどんと奥へ向かって歩いてゆく。

 秋色の森は徐々に深みを増し、ランディの道行きを阻んだ。途中で鋭い猛禽の鳴き声に気を取られているうちに、女を見失ったかと諦めかけたが、視界の先で森の一箇所が開けているのに気づいて、当たりをつけてそちらへと進んだ。



*****



 そこは澄んだ清水が湧き出る、小さな泉のほとりだった。岩場をぐるりと取り囲むようにして、競うように野の花が咲き乱れ、金色の蕾をつけた背の低いいばらが群生している。

 ランディが追ってきた女は果たしてそこにいた。しかし、彼の気配に気づくや否や、臆病な小鹿のように、手近な木の幹の後ろにその身を隠してしまっていた。


「怖がらせてすまなかった」

 ランディは女が隠れている幹に向けて、率直に謝った。

「君をどうこうしようというつもりはない。神にかけて誓うから、隠れていないで出てきてくれないか」

「……」

 女は何も答えなかった。そのかわりに、ほの暗い木の陰から、秋の午後の黄金色の陽射しの下に、そのたおやかな姿を現した。

 やわらかな春の光のような淡い金の髪。処女雪を思わせるふっくらとした真白い肌。熟れた果実の如くみずみずしく紅い唇。そして、萌え出づる若葉と木漏れ日の輝きを閉じ込めた、緑と琥珀の色違いの瞳――。 四季の美を集めて作り上げたような、鮮やかに人目を惹く神秘的な娘だった。


「君は……、シュレイサ村の人か?」

 問いかけるランディの声は僅かにうわずった。農村の娘らしい質素な衣服に身を包んでいなければ、シルヴィナの森に棲むという、魔物か精霊の類かと見誤ったかもしれない。

「そうです。あなたは……、そうだわ、ヴェンシナが連れてきたっていう都の騎士様ですね?」

 娘は見慣れぬランディの正体に思い当たったらしい。珍しいものを見るような目つきをして彼の様子を窺った。

「ああ、ランディという。君は?」

 他に人気のない森の中で、初対面の騎士を相手にいくぶん警戒をしているのか、硬い表情で娘は答えた。

「……フレイアシュテュアです」

 フレイアシュテュア――『春女神の菫』、という意味だ。

 それは春を司る女神の象徴とされる花、春の訪れを告げるようにして、雪を割って顔を覗かせる、可憐な黄菫の名前である。春女神フレイアの名を頂いた女性は珍しくないが、それがこれほどまでも似合う娘に、ランディは未だかつて出逢ったことがなかった。


「フレイアシュテュア」

「はい?」

「いや……、君は、一人でこの森に来たのか?」

「ええ」

「シルヴィナは魔物の棲みだと聞いているが、君は怖くはないのか?」

「この豊かで美しい森が……、そんなにも恐ろしい場所に見えますか?」

 心の底から疑問に思っているらしいフレイアシュテュアの返答に、ランディは深く納得した。

「確かにな」

「迷うほどに深入りしなければ、シルヴィナの森は受け入れてくれます。私には人の方が、よほど怖いように思えます」

 自分はまるで、人でないかのような口ぶりでそう言って、フレイアシュテュアは眼差しを伏せた。

 ランディがもう少し近づこうとして足を踏み出すと、フレイアシュテュアはびくりと身を震わせて、己が身を守るように自らの両腕を抱き寄せた。

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