第6話 JKサクヤは異世界で独り立ちを目指す 1

「サクヤ、そろそろちゃんと起きないと、酒場に連れて行って欲しいんでしょ?」

「うぅ、分かってるけどぉ……」


 翌朝、あたしは物凄く寝不足だった。

 昨日の夜、ユーリに激しいキスをされたせいだ。

 唇だけに留まらず、耳元から首筋、果ては鎖骨にまでキスされて……おかげで、あたしは悶々として、あんまり眠れなかったのだ。


 ――って、言っておくけど、悶々って言うのは、同性の女の子にキスされたことに対して動揺したとかそういう意味であって、ユーリのキスにドキドキしたとかじゃないからな!

 ……って、あたし、誰に言い訳してるんだろう。


 はぁ……ホント、キスの件さえなかったら、ユーリって良い子なのになぁ。本気で身体がもたないよ。早く仕事を探して、この家から出て行けるようになろう。


「……なに一人でもじもじしてるのよ。はい、これ」

 ユーリが差し出してきたのは……綺麗にたたまれた制服と下着だった。


「これ……どうしたの?」

「汚れてたから洗っておいたのよ。手洗いだから、とくに問題ないと思うけど」

「……手洗い?」

「あぁ……えっと、魔導具で洗う道具があるのよ。でもその服は繊細そうだったから」

「そっか、ありがとうっ!」

 そういうことなら安心だと、あたしは制服と下着を受け取る。


「それじゃ着替えてくる――っと、そうだ。また、銅貨十枚ほど借りて良いかな?」

「……良いけど、毎回渡すのは大変だから、持っておきなさい」

「うわわっ……っと、ありがとう」

 ユーリが銀貨を一枚投げたので、あたしは慌てて両手に乗っている制服で受け止めた。

 そしてそれらを持って脱衣所へ移動。

 あたしは素早く下着を替えて、最後に制服を身に着ける。


「後は……えへへ」

 あたしはおなじみのパッドを呼び出して、そこから洗顔料と、歯ブラシ、それに歯磨き粉を注文した。

 なお、お釣りは……返ってこなかった。


「ちょっ、冗談でしょっ!?」

 銀貨一枚。商品の値段からすると、たぶん日本円で一万円くらい。

 お釣りがないとか、いくらなんでもあんまりだ。昨日の銅貨は、必要な枚数分だけ消えたから気にしなかったけど……本当に消えちゃった?

 さすがに、そんなはずはないと思うんだけどなぁ……と確認すると、端末の中に残金として表示されていることが分かった。


「消えた訳じゃなくて助かったけど……これ、今日のお昼ご飯とか、買えないよね」

 パッドで食べ物は買えないし……ションボリだ。

 ま、まぁ……嘆いても仕方がない。ひとまず歯磨きをしよう。


 お風呂を沸かすのは、魔導具で水を汲み上げて沸かす方式だったけど、普段の水は井戸水を使っているみたい。

 ――ということで、あたしは井戸水を使って顔を洗い、歯磨きを始めた。


「サクヤ、いつまで着替えてるの? もしかして、寝ちゃったりして……」

 脱衣所兼洗面所で歯磨きをしていると、もろにその姿をサクヤに見られてしまった。

 ヤバイ。この世界、こんな歯ブラシなんて絶対にないよね。それに洗顔料とか、歯磨き粉も出しっぱなしだし……まずったなぁ。

 まだ、ちょっと寝ぼけてるみたいだ。


「……サクヤ」

「う、うん?」

 あたしは歯ブラシを口に含んだまま小首をかしげた。なお、そんなお行儀の悪いことをした理由は一つ。歯磨き中だからしゃべれないよ! っていうささやかな抵抗である。


「それって、もしかして歯を磨いてるの?」

「……うん」

 こくりと頷く。

 ……というか、しゃべれないフリ、まったく意味がないな。ということで、諦めたあたしは歯ブラシをぺっと吐き出して、井戸水で口をゆすいだ。

 そうして歯ブラシを洗っていると、ユーリの視線が歯ブラシに注がれる。


「もしかして……ユーリも欲しい?」

「……くれるの?」

「うん、ちょっと待ってね」

 あたしはパッドを出して、歯ブラシを注文。手のひらの上に歯ブラシを出現させた。


「はい、どーぞ」

 歯ブラシを差し出したんだけど、ユーリは受け取ってくれない。どうしたんだろうって顔を見ると、目を見開いて口をパクパクさせていた。

 ――あっ!


「ちっち違うのっ! いまのはその――」

「もしかして、アイテムボックス!?」

「……ふえ?」

 予想外の反応。なにそれと、あたしは首を傾げる。


「アイテムボックスって……なに?」

「アイテムボックスって言うのは、異次元に物を収納して、自在に出し入れするスキルよ」

「へぇ……そんな能力があるんだ」

 というか、ユーリが驚いてるのは、虚空から歯ブラシが現れたから、だけ? もしかして、ユーリはいまのパッドを見なかったのかな?

 それとも……ユーリにはパッドが見えてない?


「その反応……アイテムボックスじゃなさそうね。だとしたら……あぁ、お金が欲しいって言ってたわよね。ってことは、対価を使う召喚系のスキルかしら」

「召喚系の……スキル?」

「ええ。普通は魔力や血を対価に、精霊なんかを呼び出すのが有名だけど、中には物を召喚するようなスキルもあるって聞いたことがあるわ。サクヤのもそうじゃないの?」

「あ、えっと……そう、かも」

「そうかも?」

「あ、いや、そんな感じ。あはは……」


 あたしは笑って誤魔化しながら、そういうスキルがあるんだなぁと感心する。

 パッドで購入できるのはこの世界にはない物ばっかりだからおおっぴらに使う訳にはいかないけど、いざってときは召喚系のスキルってことで誤魔化そう。


「ね、ねぇ、ユーリ。このスキルのことだけど……」

「もちろん、他言はしないから安心して」

「ありがと、助かる。でも、ユーリならそう言ってくれるって思った」

「そ、そんなの、当然じゃない」

 ユーリはぷいっと視線を逸らす。もしかして……照れたのかな?

 切れ長の眉に、長いまつげ。整った顔で、横顔も凄く綺麗だなぁ。それに、小さくてぷっくりとした唇。昨日はあたし、あの唇に……


「……サクヤ? 自分の唇をなぞったりして、なにやってるの?」

「なっなんでもないよっ!」

 はっと我に返って、ぱたぱたと両手を振る。


「あっ、そうだ。この歯ブラシを、ユーリにあげるね。色違いのおそろいだよ」

「ありがとう、大切に使わせてもらうわね」

「どういたしまして。それと、古くなったらまた取り寄せるから大丈夫だよ。歯磨き粉……歯を磨くときに使うんだけど、ひとまずはあたしと一緒で良いよね」

「その辺はサクヤに任せるわ」

「うんっ、ならそういうことで」

 あたしは自分の歯ブラシを使って、使い方のレクチャーを簡単にすませた。




 朝の準備や食事を済ませた後。

 あたしはユーリの案内で、街のわりと中央通り付近にある酒場にやって来た。


「ふわぁ……ここが酒場なんだ。大きいな~」

 あたしが思い浮かべていたのは、女将が一人で給仕も一人、みたいな規模だったんだけど、このお店はあたしの予想の数倍はあった。


「大きいでしょ。たぶん、純粋な酒場としては、この街で一、二を争う大きさよ」

「……純粋な酒場としては?」

「酒場には、ウェイトレスが娼婦なお店もあるから」

「え、それ、副業ってこと?」

「そうじゃなくて。酔った客と交渉して、そのまま二階に……ってこと」

「~~~っ」


 このお店は違うから心配しなくて良いわよとユーリが付け足すが、色々想像してしまったあたしは真っ赤になってしまった。

 というか、一人で仕事を探してるときに、うっかりそういうお店に行かなくてよかった。


「いらっしゃいませ、二名様ですか……って、ユーリさん、こんにちはっ」

 笑顔を振りまいて駈け寄ってきたのは給仕服の女の子……だけど、ずいぶんと小さい。日本なら……中学生くらいじゃないかな? といった背丈の女の子だった。

 さすが異世界。こんなに小さな子が酒場で働いてたりするんだね。


「ごめんなさい、ミリア。今日は客としてじゃないのよ」

「あ、じゃあレイチェル姉様にご用ですね、ちょっと待っててください。――レイチェル姉様、ユーリさんが来てますよ~」

 ミリアと呼ばれた女の子が、厨房らしき方へと駆け込んでいった。

 それからほどなく、赤毛のいかにもお姉様――といった凜々しい女性が姿を現す。


「ユーリじゃないか、あんたが午前中から顔を出すなんて珍しいね」

「実はレイチェルに折り入って頼みがあるのよ」

「……頼み? まぁ……そこの席に座んな」

 レイチェルさんがテーブル席に座り、続いてその向かいにユーリが座る。そのユーリに視線を向けられたので、あたしは頷いて隣に腰を下ろした。


「ん? あぁ、その子はあんたの連れかい。ミリア、飲み物を三つ持ってきな」

「はーいっ、お姉様。ノンアルコールのドリンクを三つ、持ってきますね」


 ミリアは元気よく応えて、厨房へと消えていった。注文をハキハキと復唱して、さり気なく種類も確認している。

 見た目は小さな女の子にしか見えないけど、しっかりした店員なんだ……と、ウェイトレスの経験があるあたしは感心する。


「それで、アタイに頼みって言うのはなんだい?」

「そのことなんだけど……前に、人手不足だって愚痴っていたでしょ?」

「あぁ……そうだね。相変わらず人手は不足しているけど……もしかして?」

「ええ。出来れば、この子を雇って欲しいの」

「……その子を?」

 レイチェルさんが無遠慮にあたしを見つめる。


「初めまして、あたしはサクヤって言います」

 あたしはレイチェルさんの視線をしっかりと受け止めて名乗りを上げた。けれど、レイチェルさんはそんなあたしには応えず、ユーリへと視線を戻す。


「ずいぶんと、育ちが良さそうな女の子だね?」

「ちょっとワケありなの。私の家に居候させているんだけど、まだ住民証がないのよ」

「あぁ、なるほどね。それじゃ、普通のお店は雇ってくれないだろうね。それで、うちに来たってことは、ユーリがその子の身柄を保障するってことなんだね?」

「ええ、この子のことは、私が保障するわ」

「……ユーリ」


 ちょっと大げさな言い方になるけど、あたしがなにかやらかしたら責任を取るってことだ。

 まだ知り合って一日も経っていないのに、そんな風に言ってくれるなんて……


「嬢ちゃん――たしかサクヤだったね。ユーリはこう言ってるけど、あんた自身はどう思っているんだい? 酒場で働きたいって思ってるのかい?」

 ――っと、ダメだ。いまはレイチェルさんとの会話に集中しないと。


「あたしは酒場で働いた経験はありません。でも、飲食店では働いていました。だから、そこまでご迷惑を掛けたりはしません。あたしを、是非このお店で働かせてください」


「へぇ……世間知らずのお嬢様かと思ったら、意外にしっかりしてるじゃないか。良いだろう、ひとまず今日一日、家で働いてみな。それで問題なければ雇ってやるよ」

「ふぇ……?」

 いきなりそんなことを言われると思わなくて、あたしは思わずきょとんとしてしまった。


「なんだい? なにか問題があるのかい?」

「いえ、そんなことはありません。よろしくお願いします!」

 あたしは慌てて頭を下げる。

 そんなこんなで、あたしの研修はトントン拍子で決まってしまった。

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