ミンアゲンケ

ノブ

絵を描きながら、チャット。文字で会話もできるという空間が、ネットの中に存在する。

僕はこの空間に去年の秋から通い始めた。誰かと一緒に絵を描いてみたかったのである。

というか妙に恥ずかしかったので、現実では誰にも僕のイラストを見せた事は無かった。


ペイントチャットと呼ばれるその空間には、一から十までの番号が振られた部屋があり。

僕はいつも五番の部屋を選んでいた。なぜかというと、一番最初にこの空間に来た時に。

その部屋にだけ人がいたからである。それをきっかけに五部屋に通うようになったのだ。


初めてこの部屋に入室した時の、心臓がバクバクしそうなほどの緊張感は忘れられない。

お年玉で買ったパソコンで絵を描くためのペンを。文字を打つために一度、手元に置き。

どんな文章を打って部屋内の人たちに挨拶をしたのか、ハッキリとは覚えていないけど。


それでも部屋内の皆が、気楽に描いてね! と気さくに挨拶してくれた事を覚えている。

良い人たちの部屋で良かったな。そう思いながら気楽に描かせてもらったのが懐かしい。

自分なりにオリジナルの男女の絵や、周りの絵描きさん達の真似をしてみた絵を描いて。


「凄いな! 俺なんか腹筋しかここずっと描いてないよ! 女の子も練習するかなー!」

「ツインテール好きなんですよ私。実際にやったら、これが似合わなくて似合わなくて」

「フリルは描くの難しいよね……。フリルの気持ちになったりはしてるんだけどさ……」


色々な声を掛けてもらって。色々な考えを聞かせてもらって。色々と本当に楽しかった。

好きなものを。好きな色を使って。好きなように描く。皆、とてもイキイキとしていた。

そんなイキイキとした空間で僕もイキイキと過ごさせてもらった。充実した時間だった。


ペイントチャットに通い始めてから、数ヶ月が経ち。半年が経ち。そして一年が経って。

すっかり常連の仲間入りをさせてもらっていた頃。あるウワサを耳にするようになった。

「ペイントチャットが閉鎖するらしい」


純粋に空間自体が閉鎖するのか。それとも、空間を改築するための一時的な閉鎖なのか。

その詳細は、ペイントチャットを管理する人たちからいっさい知らされる事は無かった。

それでも、長期閉鎖する事自体は決定してしまった。あと数時間で、この空間は消える。


「寂しいな! 俺、ここが一番すきだったからさ! ここしか来てなかったからなー!」

「ここが一番、筆の質感が好みだったので。ここ以外でツインテ描ける気がしないです」

「最近でようやくやっとフリルの気持ちになれてきたのに……。閉鎖しちゃうのね……」


閉鎖を惜しむ大量の声がチャット欄に文章で流れながらも。それでも皆、筆を止めない。

皆とのつながりは、ここだけだ。この空間が閉鎖されれば、もう交流する事はできない。

この空間で皆で絵を描きあう。それこそが皆の共通意識であり、この空間の全てだった。


「皆と絵を描けて楽しかった! ここで、絵の修行ができて良かった! ありがとう!」

閉鎖される時間の十分前。誰からともなく声が上がり始めた。僕も心底で同じ気持ちだ。

皆、元気で。といった感じのキャラクター達が、画面を埋め尽くすように描かれていく。


最後も、いつもので終わりましょう。と誰からともなく声が上がり、賛同の声で満ちる。

『この後、五分たちましたら定期メンテナンスのため。ペイントチャットが停止します』

いつもと同じ。そして最後の。無機質な人工知能のアナウンスが、チャット欄に現れる。


「いよいよ、最後ですなー! 俺。みんなの事、忘れないよ! マジでありがとうー!」

「ツインテールに目覚めさせてくれた、私の聖地として忘れないです。ありがとうです」

「女の子だけじゃなくて。筋肉マッチョがフリルついた服を着てるのも見たかった……」


着させん! という、いつもと変わらないやり取りが楽しかった。そして、寂しかった。

残り三分で急に静かになった。皆、最後に伝えたい言葉たちを打ち込んでいるのだろう。

思い思いの言葉たちが。チャット欄に溢れんばかりに生まれては、下方向に流れていく。


『この後、一分たちましたら定期メンテナンスのため。ペイントチャットが停止します』

最後のは。本当の最後の、最後のヤツは。皆で筋肉アニキさんにお願いする事になった。

残り何十秒だろうか。いよいよ最後だ。ペイントチャットの空間内が静まり……そして。


「お疲れ様でしたあああああああああああああああああああああああああああああああ」

「おつかれええええええええええええええええええええええええええええええええええ」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」


僕も文字を描いて叫ぶ。何を言うか迷い、結局まだ僕は最後の言葉を言えていなかった。

涙でにじむ画面を見ながら、手元のキーボードを見ながら必死で打ち込む。皆、元気で!

そう打ちたかったのに、チャットにカタカナ六文字が表示されたのを最後に。停止した。


何だよこの謎の言語……。僕は涙を手の甲でぬぐいながら、画面に向かって吹き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミンアゲンケ ノブ @nobusnow198211

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る