第38話 親友への想い

 触手は縦横無尽にミナトの身体を這い回り、ミナトの下着を全て引き千切ってしまう。

 最も恐れていたことが起きた。触手に完全に捕えられてしまってはもはや逃れようがない。

(わ、わたしとしたことが、彼女の力を見誤りましたか……? な、情けないですね、これでは、皆に申し訳が立ちません……)

 ミナトは既にほとんど抵抗せず、触手に蹂躙されるがままとなっていた。彼女の小ぶりな胸も、まだ誰にも汚されていない秘所も、瞬く間に触手が這い回り、彼女の身体に感じたことのない刺激が駆け巡る。

 だがそれでもミナトは声を上げなかった。それはある種の意地であった。戦いには負けても、心までは屈服しないという彼女の細やかなプライドであった。

 粘液を垂らした一本の触手が彼女の顔の前までやってくる。ミナトは恐らくこれを口の中に突っ込まれ、記憶を消されてしまうのだろうと思った。ふと、その時彼女の頭の中をこれまで経験してきたことが走馬灯のように駆け巡った。

 かつての彼女は、親にまるでそこにいないかのように扱われ、欲しいものは何も与えられなかった。また、テレビも見せてもらえないせいでクラスメイトとも話が合わず、友達ができたことは一度もなかった。

 彼女は孤独であった。死にたいと思ったことも数え切れないほどあった。それでも生きながらえたのは、彼女が異世界からの声を聞いていたからだ。ここではない別の世界があると、幼い時から知っていたからだ。

 そしてついに、十四歳になった彼女は本当に夢見ていたその世界に導かれた。そこで彼女は、今まで触れ合ったこともないような素敵な人達との出会いを果たした。

『ミナト、そんなとこに隠れてないであんたも来なさいよ!』

 今は名コンビであるアオイも、異世界で出会った人々の中の一人だった。意地っ張りで素直でなくていつも怒ってばかりだが、その実とても面倒見がよく本当は優しい彼女のことが、ミナトは大好きだった。

 二年の月日をかけその世界を救った後、彼女らは異世界人権連盟の一員となった。そして連盟のメンバーとして派遣された新たな世界で出会ったのは、とても可愛くて楽しい二人組だった。二人には自身の窮地を救ってもらったこともあった。イツキとサラは今や彼女にとって本当に大切な仲間になっていたのだ。

 そんな彼女の大切な記憶が、数秒の後には消されてしまうという残酷な事実を前にして、ミナトは成すすべもなく、目を閉じることしかできなかった。

(未来が変えられないなら、せめてギリギリまで思い出に浸らせてください……)

 彼女が願ったのは、そんなささやかなことだった。

 しかしその時、不意に彼女の耳にある声が届いたのだ。

「……リア」

「……え?」

 ミナトは思わず目を見開いた。気付くと触手はミナトの口から遠ざかり、力無く中空を彷徨っていたのだ。

「今、リアと、おっしゃいましたか……?」

 ミナトが問うが、シャムロックは答えない。シャムロックは声を上げることもなく、またミナトに襲い掛かることもなく、ただ独り涙を流していたのだ。

 ミナトはそんな彼女を見て思った。こんな化け物のような存在になり、理性を失ってしまった彼女だったが、まだ親友のことまでは忘れてしまったわけではないのだと。

(人間の感情を全て失ったわけではないのなら、まだ間に合うかもしれない……)

 彼女は意を決し、シャムロックに対してこう語りかけた。

「シャムロックさん、あなたの親友であるリアさんを、独りにしていいのですか……? あなたが泣いているのは、彼女に会いたいからではないのですか……?」

 すると次にシャムロックはこう呟いた。

「あの子に、寂しい思いは、させたくない……」

 果たしてそれがミナトに対する返答だったのか、はたまた単なる彼女の独白だったのかは分からない。だが、それは確実にリアを想ってのものであった。

 彼女の言葉を聞いたミナトはハッとした。かつての彼女はいつも独りだった。だが、一人の少女との出会いが彼女の全てを変えてくれた。彼女は、ミナトを孤独にはしないと言ってくれた。ミナトは少女のその言葉があったからこそ、生きる希望を抱くことができたのだ。

 さっきアオイ達が連れてきたリアも、シャムロックに声を掛けてもらったからこそここまで頑張ってこられたのだと言っていた。

 ミナトはその関係性が、自分と似ていると思った。

 シャムロックはまだリアのことを想っている。それならまだ手遅れということはないはずだ。ミナトはそう信じ、再びシャムロックに対して語りかけた。

「今ならまだ間に合います! リアさんはあなたを待っています。だから、正気を取り戻してください!」

 それはミナトの魂の叫びだった。大切に想い合った二人の絆はこれしきのことでは切れやしない。そう信じているからこそ、ミナトはまっすぐシャムロックにそれを伝えることができたのである。

 すると、不意にシャムロックの動きが完全に停止した。彼女が動きを止めたことで、触手達も蠢きをやめた。支えを失ったミナトは、そのまま地面に転がり落ちた。

「しゃ、シャムロック、さん……?」

 固まったままのシャムロックを見上げる。すると今度は、シャムロックは自身の頭を抱えて苦しみ出したのだ。

「うわあああああ! ああああああ……」

 触手が掌から現れては、引っ込んでいく。ミナトには、その様子がシャムロックが心の中で葛藤しているように思えてならなかった。

「シャムロック、さん……」

 もがくシャムロックを、固唾を飲んで見守るミナト。するとそこに……

「ミナトおおおお!!」

「あ、アオイ!?」

 猛スピードでアオイ達が走り寄って来たのだ! イツキはミナトを守るようにシャムロックの前に両手を広げて立ちはだかり、アオイは脇目も振らずに裸のミナトに飛びついた。

「ミナト大丈夫!? あたしのこと分かる!?」

 アオイはミナトがシャムロックの触手に粘液を飲まされたと思ったのか、ミナトの肩を揺らしながら大慌てでそう尋ねた。

「だ、大丈夫です。わたしはまだ何も飲まされていませんので……」

 すると、ミナトが喋り終わらないうちにアオイはミナトを抱きしめていた。

「……アオイ?」

「バカバカバカ! ミナトの大バカ! 勝手にいなくなるなんてなに考えてるのよ!? もう少し遅かったら何もかも手遅れになってたかもしれないじゃない!?」

 アオイは子供のように泣きじゃくっている。しかし次の瞬間には、ミナトを襲ったシャムロックにキツい視線を向けた。その為ミナトは慌ててアオイを制した。

「落ち着いてくださいアオイ! 確かにわたしは、シャムロックさんと戦って敗れました。ですが、彼女はまだ人間の心を失ったわけじゃないんです! その証拠に、彼女はリアさんの名前を呼んでいましたし、わたしに粘液を飲ませることもしなかったんです!」

「え? そ、それは本当なの? シャムロックが、リアの名前を呼んだっていうのは……」

「本当です! 彼女はリアさんに寂しい思いをさせたくないと言ったんです! だから、彼女はまだ戻れます! 彼女に正気を取り戻させてください!」

 アオイはミナトの言葉に驚きを隠しきれなかった。アオイは暴走状態に陥ったシャムロックには、もはや人の心など残っていないと思っていたからだ。

 アオイはシャムロックを見やる。彼女は立ちはだかるイツキに襲い掛かる様子もなく、頭を抱えてもがき苦しんでいる。その様子は確かに彼女が葛藤しているように見えなくもなかった。

 アオイはもう一度ミナトを見つめる。ミナトはやはり、アオイを見つめたまま視線を逸らさなかった。

(この目で見られると、やっぱりどうにも弱いわね……)

 アオイは一度大きくため息をついた後、皆に対してこう言ったのだった。

「分かったわ。あたし達が彼女を止めるから、ミナト、あんたは隠れてなさい。イツキ、シャムロックをなんとか気絶させて保護するわよ。サラ、魔力石の生成を頼むわ。生成が終わったらミナトの側にいてあげて」

 手早く指示を出すアオイ。イツキとサラは「分かった!」と力強く返答を寄越した。

(リアにはシャムロックを助けるとは言ったけど、最悪の場合はこれ以上街の被害を出さない為に、殺すことも考えていた……。でもシャムロックにまだ意思が残っているなら、殺さないで済むかもしれないわね)

 アオイは槍を取り出す。それを見て、シャムロックは再び咆哮を上げた。そしてアオイ達に向かって襲い掛かってきたのだ!

「来るわよ! イツキ、なるべくシャムロックと距離を取りなさい! 触手に捕まったら最後よ!」

「わ、分かった!」

 武器を持たないイツキは現状では有効打がない。故にサラの魔力生成が終わるまでは後方に下がることとなった。

「よっしゃ! かかって来いってのよ!」

 アオイが槍を構える。するとシャムロックはアオイに対して触手を伸ばしてきた! アオイはキッと彼女を睨み、そして彼女を迎え撃ったのであった。

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