第32話 深紅の騎士
「くそっ! 放せ!」
触手に捕らえられたイツキがもがく。だが触手はがっちりイツキを拘束しており、ちょっとやそっとの抵抗では外れる気配はなさそうであった。
(この子が連続強盗犯なのは間違いない。きっと他の人もこの触手にやられたんだ……。このままじゃ、俺も他の人と同じように記憶を弄られちまう……)
イツキは触手に拘束されながらも、倒れているミナトを見やった。ミナトはレンガのブロックで殴られたのか、頭から血を流していた。だが幸いにも出血量はそこまでではなく、倒れている彼女から呼吸も聞こえることから、今ならまだ彼女を助けられるとイツキは思った。
一方、強盗犯と思しき少女は何も言葉を発しない。荒い彼女の呼吸音だけが辺りに木霊する。よく見ると、少女の目には生気が無く、足元もかなりフラフラしており、少女がまともな状態ではないことがよく分かった。
(話が通じるような相手じゃないかもしれないけど、やれるだけのことはしないと……)
イツキはがっちり身体を締め付けられ、満足に呼吸もままならない状態の中で必死に少女に対し呼びかけた。
「あなたの目的は何ですか!? どうしてこんなことをするんですか!?」
「……」
だが、少女は何も答えない。イツキはめげずに呼びかけようとする。
「あの……!」
「うる、さい……」
少女が僅かに声を発した。だがとてもではないが、少女が話し合いに応じる気配はなさそうであった。
少女が触手の生えている掌を振るう。すると、それに触手が連動して動き、イツキは狭い裏路地の壁に叩き付けられてしまった。
「うげっ!?」
衝撃でイツキの意識が飛びかける。それでも尚、少女はイツキへの攻撃を止めない。何度も叩きつけられ、イツキは力なく触手にぶら下がるだけになってしまった。
「い、いてぇ……」
イツキは苦悶に顔をゆがめる。すると、触手の内の一本が他の触手とは違う行動をとり始めた。その触手からは粘液が染み出しており、それがポタリポタリと下に落ち、地面に染みを作った。
(粘液の正体はこれだったのか……もしかして、この粘液に記憶障害を起こさせる効果が……?)
イツキは身体を拘束している触手達によってその一本の触手の前まで連れて行かれる。
イツキの視線の先には、粘液でぐちゃぐちゃの触手。そのあまりのグロテスクさに、イツキの中で激烈な恐怖が爆ぜた。マズい! このままではこの触手に襲われる!? イツキは必死にもがくが、拘束は強まるばかりで抜け出せそうな様子はない。最早イツキが襲われるのは時間の問題であると思われた。
だが、まさにその時だった。
「はあああああ!」
気合の掛け声と共に、何かが触手に向かって振り下ろされる。イツキははじめ、何が起こったのか全く分からなかった。だが次の瞬間には、彼女は中空ではなく、誰かの腕の中に落ちることとなった。
「わ!?」
「イツキ大丈夫?」
「え……あ、アルト!?」
見間違いではなかった。それは間違いなく、赤いショートカットが印象的なアルトその人であった。アルトはいつもの前貼り二プレスではなく、最後に会ったときのようにマイクロビキニの格好であった。
イツキはアルトに抱きかかえられていた。そしてアルトの足元には、切り落とされた触手が散乱していたのだ。
アルトは一瞬の後に敵の少女と距離を取る。アルトの手には剣が握られている。イツキがそれを見たのは、クレストの街でアルトがアオイ達と戦った時以来であった。
「イツキ立てる?」
「え? あ、だ、大丈夫!」
イツキはアルトから降り、自らの足で地面に降り立つ。散々壁に叩きつけられたせいで身体の節々が痛んだが、今はそんなことも言っていられない。
視線の先には、触手を切られた少女の姿が。少女はアオイ並に小柄ではあるが、胸はイツキと同じくらい大きく、彼女がユラユラ揺れるたびに彼女のたわわに実った胸も揺れていた。
少女の掌からは相変わらず触手が伸びている。一部をアルトに切り落とされたものの、既にその多くが修復されており、ダメージ自体はそれほどあるようには思えなかった。
「いったい、どうなっているの……?」
「詳しいことは後で話すわ。今は無事に逃げることだけを考えて」
地面には尚ミナトが倒れている。彼女を助けずして逃げるわけにはいかない。アルトも当然ながらそれを理解しているのか、なんとか彼女を助け出すタイミングを伺っているようであった。
少女が右手をしならせる。触手が伸び、こちらに襲い掛かる!
「イツキ!」
アルトはイツキを抱きかかえて敵の攻撃を回避する。アルトは一度敵と大きく距離を取り、触手の攻撃の範囲外まで退避する。
「あ、ありがとう……」
「イツキ、魔力石のストックは?」
「い、いや、まさかこんなことになるなんて思ってなかったから持ってなくて……」
「分かった。私の方もストック切れね。とりあえず、イツキは危ないからここにいて。私が彼女を助け出すから」
アルトはかつてアオイ達との戦いで手も足も出なかった。イツキにはどうしてもそのイメージが付きまとい、心配が頭の中を埋め尽くす。すると、それを見透かしてか、アルトは微笑を浮かべてこう言った。
「大丈夫よ。あの体たらくのまま私が何もしないと思う? 調査の合間に訓練はしっかりこなしてきたわ。彼女を助けるくらいならできないことはないわ」
アルトが剣を構え、ゆっくり少女に近づいていく。イツキは止む無く安全な物影に隠れ、その成り行きを見守ることにした。
「やはり、記録の通りね。彼らはなんて罪深いことをするのかしら……」
アルトは唇を噛む。目の前の少女は、既に人間のそれではない。掌から触手を出せる人間など、この世界に他に一人としていない。
故に、その仕組みなど彼女にもまるで分からなかった。切り落としてもすぐに再生するところを見ると、単純な戦闘で勝利するのはかなり骨が折れることは目に見えている。
「狙うは、本体ね……」
少女さえ倒してしまえば触手も無事では済まないはずだ。アルトは触手ではなく、少女自身に照準を定めた。すると、少女はまたしても右手をしならせ、触手をアルトに向かって振り下ろした。
その瞬間、アルトは少女に向かって走り出した。素早いステップで触手を躱し、躱しきれないものはことごとくその剣で切り落としていく。そこにかつての頼りない彼女の姿は無かった。
「う、うわああああ!!」
攻撃が通らないことに憤ったのか、少女は癇癪を起こしたように叫び声をあげた。それでもアルトはそれを特に気にした様子も見せずに少女に接近していく。
すると、触手の内の一本が他とは違う動きをし始めた。イツキはそれがさっき自分に粘液を浴びせかけようとしていた触手であることを悟り、すぐにそれを知らせるべく声を張り上げた。
「アルト! その触手は粘液を出すから気をつけて!」
イツキがそう叫んだ瞬間、まさにそれはアルトに向かって今度は黄色い液を吹きかけた。アルトは急ブレーキをかけたお陰で、液体は全て地面に降りかかり、アルトが液に触れることはなかった。
「こ、これは……」
液がかかった場所から煙が立ち上る。見ると地面が溶けており、さっきの液体が白濁の粘液とは全く性質の違うものであることが分かった。
「溶解液……あんなのに当たったら火傷どころの騒ぎじゃない。イツキの注意が無かったら危なかった……」
アルトは恐怖に足が震えだしそうになるのを、自ら膝を叩くことで必死に堪えた。触手は尚もアルトを溶かそうと液を吹きかけてくる。
「どうやら魔力を温存する余裕は、全くなさそうね!」
アルトは左手を前に差し出しながらそう叫んだ。すると、アルトの前方に光でできたシールドのようなものが発生し、地面すらも溶かしてしまう溶解液を防いだのだ。
「一気に行くわ!」
液を楯で防げることを確認したアルトは先ほどより更にスピードを速めた。
一方、溶解液が効かないことが分かったのか、少女は次に触手を束ね、一本の極太の触手をアルトに突き立てた!
「無駄、よ!!」
だが、シールドはそれすらも弾き返した。どうやらそれは物理的な攻撃にも有効なようだ。
極太触手を弾かれ、少女の身体がぐらりと揺れた。そして、それこそがアルトの狙いだった。
「はああああああ!」
アルトはここぞとばかりに一気に少女との間合いを詰める。そして少女の無防備な腹部に向かって手にした剣を振り抜いた。
「ぎゃあああ!?」
腹部を切りつけられた少女が叫ぶ。だが、切りつけたアルト自身はあまり良い手ごたえを感じていなかった。
「……く、浅い」
傷は少女を戦闘不能にするまでには至っていなかった。逆に痛みのせいで少女は以前よりも暴れだし、所かまわず触手を振り回す有様であった。
それでも、少女の戦力を削ったことには違いない。アルトへの注意も逸れ、一気に行動範囲が広がると、アルトはあっさり少女から視線を反らした。そして倒れているミナトに視線を向けた。
触手があちこちの壁を破壊し、レンガの破片が辺りに降り注ぐ。その中をアルトは俊敏な動きで駆け、ついにミナトを助け出すことに成功した。
「イツキ! 逃げるわよ!」
「は、はい!」
アルトが大声でイツキに呼びかけると、イツキは物陰から急いで大通りの方へと走り出した。
アルトはミナトを抱えたまま、一度だけ少女を見やる。相変わらず少女は痛みに叫び声をあげながら暴れ回っていた。建物の壁は更に崩れ、いつ建物が倒壊してもおかしくないレベルになっていた。
様子を確認したアルトは、これ以上の追撃は危険と判断した。そして、先に逃げたイツキを追って、同じく大通り方面へ走り出したのだった。
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