第31話 捨て身の少女

 あの日以降、イツキ達をあざ笑うかのように被害者は日に日に増加の一途をたどっていった。最早、人々が襲われるのに時間帯は関係なかった。また、金品が盗られることもあれば、そうではない時もあるなど、事件には一貫性がなくなっていた。

 アトレア同盟を中心街で見かけることもほとんどなくなった。どうやら、彼らもまた警察と同じように本格的に犯人の捜査に乗り出したようだったが、彼らがこの事件に関与しているかについて未だにはっきりとした確証を得られていない以上、彼らがどこまで本気で捜査を行っているのかは分からないままであった。

 一方、被害者は増えているにも関わらず、相変わらずイツキ達の調査に進展は見られなかった。敵は素早く被害者を襲う。それは室内であろうと屋外であろうと関係なく、既にこの街に安全な場所はなくなってしまったと言っても差支えはない状況になっていた。

 犯人の手際のあまりの良さに、いくら張り込みをしようとも彼女らが犯人と遭遇することはなかったのである。

 苛立ちも日に日に募った。特に、百戦錬磨であったアオイやミナトの焦りは相当だった。疲れも相まって、二人の口数はここの所ほぼゼロに近くなってしまっていた。

「二人とも、凄く怖い顔しているね……」

「そう、だね。これだけどうにもならないとは私も思わなかったよ……」

 イツキはサラの頭を撫でながら、遠い目で黙々と調査を続けるアオイ達を見つめた。

 イツキ自身も、アルトの為に何が何でも犯人を見つけたいと思っていた。だが敵の動きは想像を超えていた。アルトが言う通り、やはり犯人は人間の力などとうに超えてしまっているのであろうか。

 そしてイツキ達がこの街に来て二週間程度が経過しようとしていたある日、ついにミナトが皆にある提案を持ち掛けた。それはなんと……

「おとり作戦ですって……?」

 自らを危険に晒して犯人をおびき出すという捨て身の戦法であった。

「はい。やはり、もうこれ以上地道な調査を続けても埒があきません。多少危険でも、思い切った手を打つべきだとわたしは思います」

 ミナトはまっすぐアオイを見据えそう言った。その瞳からはこの作戦に対する自信が伺えた。だが、アオイは首を縦には振らなかった。

「駄目よ。おとり作戦なんて危険すぎるわ。まずは身の安全を最優先にしなさい」

「ですが……!?」

 身を乗り出すミナトに対し、アオイは苛立ったように手近にあるテーブルを平手でたたいた。ホテルの部屋全体に大きな音が響き渡り、サラは思わずイツキに抱き着いた。

「しつこいわよ。『異世界人権連盟』は自らを犠牲にするような捜査手法は認めていないわ。あなたは連盟の意向に従わないつもり?」

「しかし……」

「これは命令よ。破ったらいくらあんたでも処分は免れないわ。分かったらくだらないことばかり考えていないで、次の作戦のことでも考えていなさい」

 アオイはそう吐き捨てると、一人で部屋を出ていってしまった。

 後には悔しそうにドアを睨むミナトが残された。

 とても声をかけられるような雰囲気ではなかった。イツキとサラが何もできないでいると、しばらくしてミナトも部屋を出ていってしまったのだった。

「ミナトちゃん、大丈夫かな?」

 サラが尋ねる。イツキは正直、今のミナトが大丈夫だとは思えなかった。あの調子では、彼女は何をしでかすか分からない。故に、イツキはミナトを追いかけようと思ったのだ。

「サラ、ちょっと部屋で待っててくれる?」

「え? どこかに行くの?」

「ミナトさんが心配だから追いかけてくるよ。サラは危ないから部屋にいて鍵をかけて待ってて」

「い、嫌だよ……わたしだって、イツキちゃんが心配だもん……」

 頑として譲らないサラ。イツキはどうしたものかと思ったが、すぐにあることを思いついた。

「ぎゅっ」

 何の前置きもなく、突然イツキがサラを抱きしめたのだ。

「い、イツキちゃん?」

 困惑するサラに対し、イツキはある戦法をとった。

「ふー」

「ひゃああ!?」

 イツキはサラの耳に息を吹きかけた。突然の攻撃に全身に鳥肌を立てるサラ。そしてここぞとばかりにイツキはサラの耳を攻めた。

「いやあああ!? い、イツキちゃん、や、やめてええ!?」

「ふへ? ふぁんふぇ?」

「耳を噛みながらしゃべらないでえ!?」

 耐えきれなくなったのか、へなへなとサラは地面にへたり込んでしまう。

 サラの弱点が耳であることをなぜイツキが理解していたのかについては謎のままであった。

 地面にへたり込んでいるサラに対し、イツキはこう言った。

「すぐ戻るから、サラはここで待ってて」

「で、でもぉ……」

「絶対に無事で帰って来るよ。だからいい子で待ってて」

 サラを子犬のように撫でまわすイツキ。

「ふ、ふああああい……」

 サラはイツキのスキンシップの激しさに目を回してしまったようだった。そしてその隙を見て、イツキは部屋を飛び出したのだった。

「ごめん、サラ……」

 部屋を出たイツキは置き去りにしたサラがいるであろう方を向いて謝罪の意を示した。そしてすぐに先に出ていってしまったミナトを追った。

 街の中心を一人で歩くミナトは決意を固めていた。アオイには反対されてしまったが、このままジリ貧の状態を続けるつもりは毛頭なかった。

 彼女はこの任務に並々ならぬ決意を抱いていた。

(アルカディア王国の皆さんが期待してくれているんです。これ以上、情けない真似はできません……)

 ミナトは、彼女を信じて「異世界人権連盟」に送り出してくれたかつての仲間のことを思った。彼女のいた世界の勇者も、王国のお姫様もミナトに多分に期待を寄せていた。故に、彼女はその期待に応えねばと常々思っていた。これ以上何の成果もあげられなければ、不適格の烙印を押されないとも限らない。それだけは絶対に避けなければと、ミナトは考えていたのである。

「ミナトさん!」

 しかし、そんな彼女を止める者がいた。イツキだった。彼女とミナトが知り合ったのはほんの一ヶ月ほど前のことだ。それでも、同じ目標に向かって旅を続けている内に、ミナトは彼女を信頼するようになっていた。そしてイツキの他人に気を配れる部分などは見習うべきだとも思うようになっていた。

「イツキさん、どうかしましたか?」

 ミナトは平静を装って尋ねる。イツキは一度息を整えてから応えた。

「どうしたもこうしたも、ミナトさんが心配で追いかけてきたんですよ! ミナトさん、お願いですから危ないことはやめてください」

 普段とは違う黒のツインテールを揺らしてイツキが言う。ミナトはこれから自分がやろうとしていることを悟られ、内心では冷や汗をかいていたが、それでも表情はいつもの社長秘書然とした雰囲気は崩さずこう言った。

「はて、何のことでしょうか? わたしは調査をしているだけですが」

「ミナトさん、私達はもう一ヶ月以上は一緒にいるんですよ。下手な嘘はやめてください」

「ぐ……」

 彼女のことは欺けないと悟るミナト。

「わたしのことは心配しなくても大丈夫です。今まで危険はたくさん犯してきました。今更この程度わけもないです」

「でも、今までは相手が人間だったんですよね? 今度の相手は人間のレベルを超えた存在です。いくらミナトさんが強くても敵わないかもしれません」

「……敵わなくても、いいです」

「え……?」

 ミナトの消え入りそうな呟きにイツキが驚く。

「敵わなくたって、いいんです。結果死ぬことになっても、わたしは構いません。でも、このまま何も出来ずに見捨てられて、独り野垂れ死ぬことだけは、嫌なんです……。だから、やれる手は尽くさなければ……でなければ、わたしがここにいる意味がないんです……!」

「ちょ、ちょっと待ってください! 何を言うんですか!? 死んでも構わないなんて、あなたはどうしてそんなことを言うんですか!?」

 それは一度死んだ経験のあるイツキにはとてもではないが聞き流せる言葉ではなかった。

 イツキは志半ばで突如命を落とし、日本に両親を遺してきてしまったし、友人に別れを言うこともできなかった。イツキはそれを今でも悔やんでいるし、可能であるなら、転生する前に戻って人生をしっかりやり切りたいとすら思うこともあった。

 死ねば絶対に後悔が残る。彼女はそれを知っているからこそ、ミナトの言葉は許容できなかった。そしてミナトもイツキを前に軽はずみなことを言ったことを後悔した。

「あの、イツキさんすみません……わたし、そういうつもりで言ったわけじゃなくて……」

 ミナトは取り繕うとする。だが、それはあることによって阻止されることとなった。

 バキッという衝撃音と共に、突如としてミナトの脳みそが激しく揺さぶられた。ミナトは一瞬のうちに卒倒してしまう。

 ミナトが元いた場所には一人の銀髪ツインテールの少女が佇んでいた。その手にはレンガが握られており、そのレンガには血が付着していたのだ。

「ミナトさん!?」

 イツキは突然の出来事に困惑することしかできない。見ると、少女はフリル付きのパンツに、黒くて長いマフラーと非常に目立つ格好をしていることが分かった。

「だ、誰……? ま、まさか……!?」

 イツキはすぐに、少女が一連の事件の犯人であると気が付いた。だが次の瞬間、少女は掌をイツキに向け、そこから何やらツタのようなものを放出したのだ。イツキはそれに身体を拘束され、その場に倒れ込んでしまった。

「ぐっ……!?」

 イツキを拘束したもの、それはツタ状の触手であった。それは高速でイツキの身体を這い回り、あっという間にイツキの全身を縛り上げてしまったのだった。

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