上履きを盗み、『羽左の上履きはこの私が盗んだ』という紙切れを残していった謎の人物は、鹿目トキだった。

 本当の妹のようにさえ感じていた、ずっと以前からの顔馴染みである。そんな彼女が犯人であるという事実は、混乱を避けられないもので、順序立ててその理由が説明されたことで、なおさらその混乱ぶりに拍車がかけられている。

「トキちゃんがやっただなんて、なんでそんな……」

「異議あり、だよ。兄さん」

 と、右手を顔の高さに上げたのは、トキだった。

「聞こうか」

 アキラが、湯のみを両手で包み込むように持ち、トキを見つめる。

「全体的に、兄さんの説明には文句はないよ。ただ、兄さんとパーちゃんを候補から外したところだけ、気になる」

「ふうん。どこが気になる?」

「七時半から七時四十分までの間に、犯行を終えて徒歩四十分の家まで戻ってくるのは無理があるって言ってたよね、兄さん。確かに、兄さんには無理がある。兄さんは乗り物が苦手だから、絶対に無理。でも、パーちゃんには、ギリギリだけど、可能なんじゃないかな?」

「そ、それはそうかもしれないけど、その前に、靴箱の入れ替わりに気づけた人物ということで除外されているし、当初の被害者だって言っていたじゃない」

「パーちゃんにとって、上履きが盗まれるという状況だけが目的だとしたら? パーちゃんは、リアルで探偵ごっこがしたくて、自分の上履きを盗もうとしたのかも。それだったら、間違って兄さんの上履きを盗んでしまった、という筋書きにしても、問題ないはずだよ」

「ち、違う……!」

 少しムキになりかけたわたしは、アキラの、こちらを静止するような仕草で、落ち着こうと意識した。

「あれだけ見抜いていた兄さんが、そこだけ見逃しているとは、あたしには思えない」

「アキラ、どうなのよ?」

 アキラは、目を瞑って黙っている。

「犯人の可能性があるのは、あたしとパーちゃん。改めて結論を出してね、兄さん。犯人はどっち? 兄さんは、どっちを信じるの?」

 わたしが犯人でない以上、トキがやったのは間違いない。だが、それはわたししか知りえないことだ。

「ぼくは……」

 湯のみに残った茶を飲みほして、言った。

「ぼくは、パーちゃんを信じるよ」

「アキラ……」

「そう……。わかったよ。認めます。あたしがやりました。ごめんなさい」

 あっけなく自白したトキは、コタツ布団から出て、綺麗に両膝を揃えて、頭を下げた。

「トキ、理由を教えてくれるか?」

「兄さん、悩んでた。パーちゃんとの関係について」

 ここで自分の名前が出てくることに、ただでさえ困惑しているわたしは、不意を突かれる。

「あたし、兄さんには幸せになってもらいたい。そこで、楓山高校で月に一度販売される限定パンのことを思い出したの。そのパンは競争率がとても高くて、特に一年生は教室からの距離が遠くて、相当頑張らないといけないらしいね。パーちゃんはそれが大好きで、いつも競争に参加しているということも聞いてた。もし、パーちゃんの上履きが盗まれたら、スリッパを履いたりして移動がしにくくなると思ったの。そんな時に兄さんが、パーちゃんの代わりにパン競争に買って出れば、パーちゃんにいいところを見せられるんじゃないか、って」

 戸惑いながらも、そんな遠回りなことをよく考えつくものだと、かろうじて残っている頭の中の冷静な部分が思う。しかし、だんだんこっ恥ずかしい展開になってきたぞ。

「東屋への道で、上履きをわざわざ雨に晒したのは、もし早くに見つかってしまっても、昼休みまでは乾かないくらいに濡れていれば、目的が達成できると思ったから。たまたま雨が降っていたから、そういう機転を利かせたんだけど、かえって仇になっちゃった。東屋に置いていったのは、外部の人間のあたしでも隠しに行きやすい場所だったから。そして、あの紙切れを残していったのは、疑いが学校の人間に向けばいいと思ったから。ズボラな兄さんは、終わったテストの用紙なんてどうでもよさそうだったから、こっそり盗んでそれを使うことにしたの。まさか、紙切れ一枚で、数人にまで絞られるなんて、思いもしなかったけど」

 一息ついて、さらにトキは続ける。

「でも、正直に言うと、兄さんのためを想ってやっただけじゃないの。兄さんに好かれるパーちゃんに、あたし、少し妬いてた。上履きが盗まれたら、気持ち的にも、移動する時にも困るでしょ? そんな軽い嫌がらせの気持ちもあった。パーちゃん、本当にごめんなさい。兄さんも、ごめんなさい」

 と、再び謝罪して頭を下げた。

 トキの動機はわかったが、その前提の部分から、そのためにそこまでする行動力まで、わたしの理解の範囲をやや超えていた。

 助けを求めるようにアキラの方を見ると、

「今言った理由、全部が嘘とは言わないけど、言い足りないことがあるよね、トキ?」

「……なんのこと? 兄さん」

「上履きが盗まれて、スリッパを借りに行った時に、それが置いてあった靴箱の中がふと気になってね。調べてみたんだ」

 トキは、この日初めてのわずかな動揺を見せる。

「そこには、赤と緑のスリッパが、裏同士を合わせた状態で二足ずつ置かれていた。ぼくは男だから、赤はなにか違うと思って、緑の方を借りた。けど、もし当初の目的どおりに、パーちゃんの上履きが盗まれていたとしたら、。そう思って、赤のスリッパを一足手にとって見た。するとね、床と接する裏側に白い粉が付いていたんだ。二足のうち、取りやすい手前側にあった一足の方にね。もし、粉が付いて滑りやすくなっている方のスリッパを、パーちゃんが履いていたら、どうなっていたか。ひょっとしたら、滑って怪我をしていたかもしれない。場所が場所なら、それは命に関わるものだったかもしれない。、とかね。まあこれは、ぼくが代わりにパンを買いに行かなかった場合だけど」

 アキラは、怒りや恐れの混じった目で、トキをまっすぐ見据えている。

「ぼくのためを想う気持ちと、パーちゃんに嫉妬する気持ち。それらが混ざりあったような動機があったと、お前は言うけど、犯人特定の決め手となった、ぼくとパーちゃんの今日の格好の違いのように、お前の中では白黒はっきりしていたんじゃないか? お前にはパーちゃんに対する、明確な害意があったんだ……」

 トキの顔は、いつの間にか、いつもの無邪気な可愛らしい笑顔になっていた。が、そこには容易に推し量れそうにない、どす黒い不道徳な感情が潜んでいるようであった。

 窓の外の、どっちつかずな灰色の雲だったものは、今やその黒さを増し、今朝以来の雨を滴らし始めた。


     *


 一週間後、わたしは、母から、鹿目家が県外へ引っ越したことを聞かされた。

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