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昼休み開始のチャイムが鳴ると、先生への挨拶を済ますやいなや、わたしは、一階にある購買へダッシュした。
月に一度、十食限定で販売される〈イベリコ豚カツサンド〉を確保するためである。
入学直後に、情報通のクラスメイトからその存在を知り、初めて迎えた販売日には完敗を喫した。翌月、悔しさをバネに再挑戦したわたしは、見事にゲットし、そのあまりの美味しさに思わず涙したほどだ。それ以来、あの味を忘れられなくなったわたしは、毎月、チャイムをスタートの合図とした、学校全体でおこなわれる争奪レースに参加しているのだが、初めの一度を除き、栄冠を授かることは叶わずにいる。
そして、記念すべき第十回のレースの結果は、またもや敗退。ここまでくると、悔しさにも慣れてしまい、そんな自分を苦々しく思う気持ちも涸れつつある。
しかたなく、焼きそばパン(大)とパックの紅茶を購入し、教室へ帰還しようとすると、
食で得られなかった成果は、情報で取り返そうと気持ちを切り替えたわたしは、彼に加持の証言が真実なのかどうかを確かめた。間違いはない、ということだった。
鬼頭を解放し、まだ食べ物の恨みを晴らせないでいたわたしは、〈げんばひゃっぺん〉と思い、発端となった靴箱の周囲を調べてみることにした。アキラの靴箱、わたしの靴箱、足場のすのこと見ていくも、何も発見できず、通りかかったクラスの女子に肩車をしてもらい、靴箱の頂上を覗いてみた。すると、アキラに割り当てられた部分のすぐ上に位置するところに、靴跡のようなものが残っていた。靴跡の頂上には、一面に埃がかぶっており、その上に靴を置けば、ちょうどこのような跡が付くだろう、といった具合だ。
これは新発見だとほくそ笑み、わたしは、幾分機嫌をよくしながら、教室へ引き返した。
先に食べはじめていたアキラに、鬼頭からとった裏付けと、靴跡のことを伝えると、わたしは、クラスの女友達に混ざり、パンにかじりついた。
昼食を済ませると、アキラが事務室と職員室に用があるというので、ついていくことにした。
再び一階へ下りると、手前から、昇降口、事務室、職員室という順に並んでいるのが見える。
事務室に用がある時は、昇降口に面した窓口から対応を受けることになっている。その窓口の前に立つと、窓は開いていた。中にストーブが置いてあるが、吹き込んでくる風は寒そうだ。
事務室には、各々昼食をとっている複数の職員の姿が見られるが、アキラは、一番手前側にいる、三十代くらいの女性に声をかけた。
カップ麺を啜っていた彼女は、持っていた割り箸で容器に橋をかけると、
「何かしら?」
と応じてくる。邪魔をするようで、やや申し訳ない気がする。
「今朝の登校時間帯にここに詰めていた方がいたら、少しお尋ねしたいことがあるのですが」
「今日は私がいたけれど」
「それはちょうどよかった」
今よろしいでしょうか、と確認をとると、彼女はすぐ了承してくれた。
「その前に一つ。ここの窓はいつも開けているのですか?」
「窓? いいえ、授業中は閉めているけれど、その他の時間帯は、基本的に開けているわ」
「なるほど。では、今朝のことを伺いますが、開門時間の七時半にはここにいましたか?」
「ええ」
「朝の予鈴が鳴るまで席を外したりなどは?」
「ずっといたと思うわ」
「その間もここの窓は?」
「開けていたわね」
「何か印象に残るものを見聞きしませんでしたか?」
「印象に残るもの? いいえ、特には。あっ、そういえば、予鈴が鳴るちょっと前だったかしら、大きな怒鳴り声と、ガタンという大きな音が聞こえたわ」
ギクリとして、わたしは事務員から思わず目をそらした。
「そうですか。どうもありがとうございます。お食事中、失礼しました」
軽くお辞儀をすると、女性の事務員は顔にハテナを浮かべてはいるものの、今はカップ麺の方が大事なようで、何も言わずに自分の席へ引き返していった。
「ちょうどここの裏が一組の靴箱よね」
窓口と向かい合っている靴箱の方を見て、わたしは言う。
「でも、特に手がかりは得られなかったようね」
アキラは、何か考え事をするようにして黙っている。
「さあ、職員室に行くわよ」
「うん、そうだね」
踵を返すと、背後からズズズッという音が聞こえた。
*
「失礼します」
扉を開けてそう言うと、職員室では、食事中の先生をはじめ、食後のコーヒーとともに宿題の採点をしている先生や、熱心な生徒の質問に対応している先生など、様々に過ごしている光景が見られた。
アキラは、英語教師に割り当てられているスペースに目をやると、目当ての先生を見つけたのか、そちらへ歩いていった。
「
コートを着て、ストーブに手をかざしていた、四十路の男性教師が、ポーズはそのままにこちらへ顔を向けた。
「鹿目と羽左か。昨日から出張へ行っていてな、今帰ってきたところなんだ。それで、どうした?」
わたしたちは、上履きが盗まれたことや報告状の件を、一旦は伏せたまま、補習のテスト用紙に殴り書きされた数字について、加持のものを見せながら訊ねた。
「そうそう。採点者がクラスごとに違うから、わかりやすいようにと思って全部に書いたんだが、よく考えれば、解答用紙だけでよかったんだよな。問題用紙は生徒が持って帰るんだから」
「数字を書いたテスト用紙は、補習を受けた生徒の人数分だけですか?」
「もちろん、そうだ。そのために書いたんだからな」
「それで、ここに書いてある数字は、間違いなく先生が書いたものですか?」
「うーむ、俺が書いたもので間違いないと思うがなあ。筆跡鑑定に造詣はないが」
「十分です。実は今朝、こういうことがあって――」
わたしたちは、言野先生に今朝からの出来事を語った。
「ほう、そんなことがあったのか。そういえば、さっき窓のところに上履きが置いてあるのを見たぞ。ほら、あそこだ」
と、言野先生が、職員室の窓の内側にある台の方を指差す。ここからはやや遠いが、そこには一足の上履きが置かれている。
「鹿目くん、きっとあれよ!」
「うん。先生、ありがとうございます」
「先生ありがとう!」
無茶だけはするなよー、という一言に「はい」と応え、窓台を目指して机の間を縫うように歩く。
「ああ、これだ。ぼくの上履き」
およそ一日ぶりに上履きとの対面を果たしたアキラは、ほっとした表情を浮かべていた。
アキラが手に持っている上履きには、名前が書かれていない。おまけに、アキラは足のサイズが小さいため、犯人がわたしのものと勘違いして盗んでいったとしても頷ける。
「それ、君のだったのね」
と、そばに座っていた中年の女性教師が声をかけてきた。一年生の学年主任だ。
「今朝、用務員さんが、東屋で見つけたって言って、届けてくれたのよ」
「
東屋とは、公園などによくある、屋根付きの休憩スペースのようなものだ。本校にも、一つだけ造られている。
「八時半くらいにねぇ、東屋の椅子の下に放置されてた、って。それが、なんだか雨に降られたように濡れていたから、ここで乾かしておいたの」
上履きが乾かされていた窓台のそばには、事務室や言野先生があたっていたのと同じタイプのストーブが設置されている。
「濡れていた?」
目を
「あなた、誰かにイタズラされているんじゃなくて?」
「大丈夫です。誰かはもう見当がついていますから」
「あら、そう? 困ったことがあったら、ちゃんと先生に相談するのよ?」
「はい、わかっています」
礼を言って、わたしたちは職員室を出た。
「あんた、もう犯人の目星がついているの?」
「いや、先生に心配かけないようにと思って言っただけだよ」
「なーんだ。――ま、見つかってよかったわね。それにしても、もう乾いたとはいえ、盗まれただけでなく、濡れていただなんて」
「ユカリちゃん、行くところが増えた」
「東屋でしょう? 何か手がかりが残っているかもしれないものね」
「うん……」
と応じたアキラはどこか上の空で、母にカメ扱いされた頃の彼を、わたしは思い出した。
*
生徒用のスリッパ置き場になっている靴箱に、借りていた緑のスリッパを返しに行っていたアキラが、例の靴跡を見てみたいと言いだし、今度はわたしが肩車をしてあげることになった。
しばらくして、
「もう降ろしていいよ」
と、頭上からアキラが言い、わたしは、ゆっくりと彼を降ろした。思ったより軽かった。
「ぼくの上履きと合わせてみたけど、ピッタリだったよ」
「やっぱり。たぶん、靴箱に報告状を入れる時に、手が塞がるから、一旦上に置いたんじゃないかしら」
「まぁ、そんなところだろうね」
東屋へ行こうと靴を履き替えている時、なんとなくわたしは、靴箱のネームプレートから、補習組の四人の名前を探した。最上列には、わたしとアキラの間に『長』、一つ下の列の右端寄りに『加持』、そこから二つ下がった列の真ん中あたりに『香月』、そして下から三列目の左の方に『大河』の名前があった。
靴を履き、玄関を出ると、校門までの舗装された道が前方に伸びている。そこから横に外れると地面になっており、校門を向いて左の方向に、運動場までつながっている。東屋は、その運動場までの途中に造られていた。
木製のテーブルや椅子が置いてある空間に、これまた木製の屋根がかけられた、休憩所として使われているスペースである。天気のいい日には、そこで生徒が昼食を食べている光景がよく見られるが、今は人っ子一人いない。空を見上げると、相変わらずどんよりとした灰色の雲が一面に広がっている。
東屋の周りには、少し長くなってきた細い草が地面に茂っている他には、特に何もない。
「ここの椅子の下にあったって言っていたわね」
東屋の中は、中央に大きめのテーブルが鎮座し、その三方を三人がけの長椅子が囲んでいる形になっている。それらの椅子のどれかの下に、アキラの上履きが放置されていたらしい。
わたしも観察の目を光らせてみたが、特に引っかかるような点はなかった。
「わたし、少し喉が渇いてきたわ。運動場の水道へ行ってくる」
と言い残してこの場を去ると、アキラはテーブルにメモ帳を広げて何かを書きだしていた。
*
放課後までの時間、アキラは単独で行動をしていた。
「しばらく一人で調べてみたいんだ」
と言いだしてから、補習組に再度聞き込みをしたり、教室を出てどこかへ行ったりしていた。わたしはただ、それを傍観しているだけだった。
帰りのホームルームが終わり、黒い姿が散り散りに動く中、たった一人白い姿のアキラのもとへ一直線で向かうと、机にメモ帳を開いて腕を組んでいた。
メモ帳が気になり、手にとって見ると、次のようなことが書かれていた。
加持ノブカツ
・父(会社員)、母(主婦・アルバイトなし)、妹(中学生)、弟(小学生)
・用紙:確認済み
長エイタロウ
・父(会社員)、母(スーパーでパートの仕事)、兄(大学生)
・用紙:家
・左右
大河ミサキ
・父(銀行員)、母(主婦・アルバイトなし)、弟(小学生)
・用紙:丸めて捨てた
・身長:百三十二センチ→指高:百六十五センチ
香月ミオ
・母(手芸教室)
・用紙:家
・引っ越した(徒歩五分)
・長いスカート
パーちゃん
・父(市役所職員)、母(主婦・アルバイトなし)
・用紙:家
鮫島先生
・七時五十分から校門
・出ていく人:大河さんが見た人以外はなし
靴箱
・高さ:百八十センチ
八時まで強い雨
赤と緑のスリッパ
「で、どうだったの?」
腕を解いて、
「犯人がわかったよ」
「え! やったじゃない! それで誰がやったのよ?」
わたしが身を乗り出すと、アキラは、指を組んで机に置いた手をうつむきがちに見ながら、
「今日、うちにおいでよ。そこですべてを話す」
と言って、ガタンと椅子を鳴らし、立ち上がった。
わたしは、アキラを目で追いながらも、机に両手をついた状態から、なぜかしばらく動けずにいた。
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