3
左斜め前に座る
今は、二時限目の芸術選択の授業中である。美術を履修しているわたしとアキラは、三人組で互いの肖像画を描きながら、容疑者候補の長に取り調べをおこなっていた。
「それじゃあ、補習のテスト用紙の行方ははっきりしない、と?」
「家に持って帰ったのは確かなんだが。あんなものは見るのもイヤだから、どこに置いたのか、今になってはさっぱりだ」
主な聞き役はアキラに任せ、わたしはスケッチブックとの格闘に専念することにしている。
ところで、長を容疑者候補とした理由はこうだ。
一時限目の古文でさんざんな目に遭った後、美術の授業で使う道具が収まった鞄を携えて、アキラのもとへ向かった。
「ユカリちゃん、さっき言おうと思っていたことなんだけど」
「さっき? ……ああ、何か気づいたこと、についてよね。もちろん覚えているわよ! 『もう絶対予習は忘れない』と自分に言い聞かせているうちに、すっかり頭から抜け落ちていた、なんてことはないわ……決して!」
「前もそうやって反省していた記憶があるんだけど。――それより、犯人の候補が絞れそうなんだ。これを見て?」
「これって、例の報告状じゃない。犯人があぶりだしで自分の名前をイニシャルで書いていた、とか、そんなわけないわよね」
「そこまで直接的ではないけど、犯人は自分につながる証拠を残していたんだよ。で、それがその証拠」
「これが?」
ピラピラと紙を振って、アキラへ疑問の視線を送る。
「その報告状の裏、いや、本来は表か。そこに印刷されている英語の問題、どこかで見た覚えがあったんだけど、さっき思い出してね。二学期期末の時に英語の補習で使われたテスト用紙だったんだ」
「へえ、そうなの。……って、それわたしが受けたやつじゃない!」
「ぼくも受けていたけどね。ぼくの場合は、風邪で試験を受け損ねたからだけど。それはともかく、その補習のテストは、限られた人間しか受けていない」
「だから、容疑者を絞り込めるっていうの? でも、確か学年合わせて二十人以上はいたはずよ。大幅に進展していることは認めるけど、それでもまだ人数は多いわ」
「いや、もっと限定できるよ。問題が刷られている方の、左上を見てごらん」
「この、『①』ってやつ? これが一体なんだっていうの?」
「たぶん、担当の先生が、補習を受ける生徒のクラスごとの人数がわかるように、クラスの番号をメモしたんだと思う。一組なら①、二組なら②、というふうに」
「あっ、思い出したわ! わたしのにも①って書いてあった」
「ぼくのもそうだった。とすれば、その報告状は、英語の補習を受けた一組の生徒のもの、ということになる」
そうなると、大進歩ではないか。だが、
「わたし、補習の時に一組の誰がいたのか、覚えていないわ」
「大丈夫。それも思い出しておいたよ。ともあれ、これで容疑者は数人に限定できた」
「なんか、記憶力がよすぎて気持ち悪いわね」
「き、気持ち悪い……」
そういうわけで、有力な容疑者候補の一人である長に、まずはあたってみよう、ということになったのだ。
「それで、そのテスト用紙がどうかしたのか?」
長が所有しているテスト用紙の現物が確認できれば、長の疑いは晴れる。その点をどう説明するのだろうと、聞き役を任せた右斜め前のアキラをちらと見やる。
「実は今朝、ぼくの上履きがなくなっていてね。代わりにこんなものが靴箱に入っていたんだ」
と言って、アキラがズボンのポケットから例の報告状を取り出して見せる。
なるほど。起こったことを正直に話して、相手の反応を伺う作戦のようだ。
「ほう、スリッパを履いていたのはそういうわけか。それは気の毒だったな。羽左――いや、違った、鹿目には悪いが、おれはやっていないし、テスト用紙を見せて容疑を晴らすこともできない。一応、今日帰ったら捜して見てもいいが……まあ期待はできんだろう」
人の名前を覚えるのが苦手だという長は、わたしとアキラが二人揃っている時に限ってだが、たまにこうして呼び間違える。報告状の矛盾を解く仮説についてアキラと話し合っていた時、わたしは、長のことを思い浮かべていた。しかし、加持の件が判明した段階で、その点を突いて彼を犯人とすることはできなくなった。
それは置いておいて、彼の話しぶりからは、正直で誠実な人柄が見て取れる。わたしには、嘘をついているようには思われないが……。
「そうか。疑うようなまねをして悪かったね」
「かまわんさ。おれたちの仲だろう。上履き、見つかるといいな」
長とわたしたちは、入学当初、出席番号順に決められた席が近かったのがきっかけで、高校に進学してから最初に言葉を交わした間柄だ。わたしの左がアキラ、アキラの前が長という、定期試験のたびに着かされる座席配置は、今やお馴染みのものとなっている。
「そういえば羽左、この間貸した百円はいつ返してくれるんだ?」
唐突に矛先が自分に向けられ、思わずビクッと体が反射する。
「あ、ごめんなさい、明日必ず返すわ。立派な肖像画を描き上げてみせるから、今は勘弁してちょうだい」
「ふーん、どんな具合かな」
「どれどれ」
アキラと長がわたしの背に回って、左右からわたしのスケッチブックを覗いてくる。
「これはジャガイモかな?」
「いや、サツマイモだろう」
「そこまでひどくはないわよ!」
*
シューズの擦れる音がかん高く鳴り、ボールが打たれ、床を弾む音が小気味よく響く。
三時限目は二組と合同の体育で、男女に別れて、バレーボールの授業がおこなわれている。
現在、即席チームによるトーナメントが進行しており、体育館を二分する緑色のネットを挟んで、ちょうど待機時間が重なったわたしとアキラは、同じく待機中の
「それは災難でしたね。先生にはもう伝えたんですか?」
今回は、率直に上履きが盗まれた件から話しはじめたわたしたちである。
「そんなこと、考えもしなかったわね」
「ぼくも、ユカリちゃんにつられて、自分たちでなんとかしようとばかり考えていたよ」
「先生に相談するべきです。その盗まれたという上履きだって、落とし物箱に届けられているかもしれないですよ」
ミサキは、自らの力の限界をわきまえた言動をすることが多い。彼女は、高校一年生の平均をはるかに下回る、小学生かと見紛うほどの低身長の持ち主で、日常の様々な場面で諦めを強いられることがあるのだという。そういうこともあってか、自分のできる範囲を的確に見極め、その中でできる最大限の努力をして生きていきたい、というのが彼女の弁である。
「そっか、そうよね。上履きが盗まれたからといって、犯人がそれをずっと持っていると考える道理はないわ。犯人の目的は、盗むことよりも、持ち主から隠すことである、と考える方が自然だもの」
「犯人がわからない以上、その動機もわからないけど、上履きが犯人の手元にあるという可能性は低そうだね」
「そうですよ。で、わたしに聞きたいことというのはなんでしょうか?」
「あまり気を悪くしないでほしいんだけど――」
補習のテスト用紙が報告状に使われていたことと、その現物が確認できれば疑いを晴らすことができるということを説明する。
「なるほど。わたしのアリバイではなく、テスト用紙のアリバイが成立すればよいのですね。ですが、残念ながらご期待に添うことはできないようですね」
「やっぱり、現物はないかしら?」
「はい。その英語の補習が終わった後、すぐゴミ箱に丸めて捨ててしまいましたから」
「まあ豪快!」
ちゃんと家に持って帰ったわたしが、ちっぽけな存在に思えてくる。
「だって、補習のテスト用紙なんか、後で読み返すものでもないじゃないですか」
「それはそうだけど……小さいのに、たまにビッグなことするわよね、ミサキちゃんって」
少し恥ずかしそうに、しかし満更でもなさそうに微笑んだミサキが続ける。
「そして、今朝のわたしのアリバイですが、これも証明はむずかしいでしょう。卓球部の朝練があると思って、学校が開く七時三十分に登校したのですが、私の勘違いだったみたいで、部活自体がなかったんです。それからしばらく暇になったので、三十分くらい一人で教室の窓から景色を眺めていました」
「うーん、確かに、大河さんのアリバイはどちらも不成立のようだね。景色を眺めている時に、何か変わったものを見なかった?」
「そうですね……変ではないかもしれませんが、校門が見える窓だったので、門から出ていく生徒の後ろ姿が目に入って、朝の光景としては珍しいな、と思いました」
「へぇ。それは男子生徒? それとも女子生徒?」
「どっちも見ました。眺めはじめてすぐに、男子が一人出ていきました。十分くらい経った頃に、また男子が一人。それから五分も経たないうちに、女子が一人、といった感じだったと思います。ちなみに、どれも一年生でした」
「え、どうして一年生だってわかるの? あ、ブレザーが一年生だけ違うからか」
「そうです。今年の一年生から、ブレザーのデザインが変わりましたから」
「ふむ、他には何も見ていないかな?」
ミサキが首を振ったので、これで聞き込みは終わりのようだ。
わたしから礼を言うと、
「それはそうとパーちゃん、私の厳選洋ロックCD、はやく返してくださいね」
ミサキのチームの試合が始まりそうなので、返事を聞かずコートの方へ走って行った。
「最高だった!」
と声を強めてミサキの背中に伝えると、親指を立てた右手を高々と掲げてくれた。小さい体なのに、ああいう仕草の似合うところが、わたしは好きだ。
試合が始まり、相手のサーブをふわりと浮かせ、ミサキに合わせてトスが上げられると、助走をつけて跳躍した彼女の右手が、見事ボールにジャストミート。しかし、ボールは水平にネットへ直撃し、シュルシュルという音を立てて、落下していった。
*
着替えを済ませて教室に戻ると、アキラと加持が一枚の紙を挟んで話をしているところだった。実は、この加持も、英語の補習組の一人なのだった。
「加持くん、何かとこっちの問題に関わってくるわね」
「別に好きで首ツッコんでるわけじゃねえよ。まあ、さっきはちょいと迷惑かけちまったから、こうして協力してやってるわけだ」
「そう。あら、これは」
加持の机の上には報告状が、いや、報告状の元になったテスト用紙が半分に切られる前のオリジナルが乗っていた。
「そうだ。こいつが俺の無実を証明するブツさ」
「本当に? まさか、またイカサマしているんじゃないでしょうね」
「おいおい、今さっき、急に『テスト用紙はあるか』って訊かれたんだぜ? んなことできるかよ。俺は、物持ちがいいんだ」
「でも……」
加持の手腕は大したものだと認めるが、人間として信用できるかどうかとは、話が別である。
「信じていいと思うよ。加持くん、これ、一応預かってもいいかな?」
「ああ、いいぜ。好きなだけ調べてくれ」
「そうさせてもらうよ。じゃあ」
と言って、アキラは加持に背を向ける。
「それ、本当に加持くんのなの? というか、本物なの? あんたが持っていたのをちょろまかしたんじゃないの?」
「イエス、イエス、ノー、だね。念のために、後で補習の担当に確認してもらおうと思っているけど、加持くんのもので間違いないと思う。それと、ぼくのは、家のどこかにあるはずだよ」
「そう。まあいいわ。それで、後は香月さんだけよね」
アキラが思い出した、英語の補習を受けた一組の生徒は、わたしとアキラを除いて、全部で四人。
加持ノブカツ。
長エイタロウ。
大河ミサキ。
そして、香月ミオ。
最も話を聞くのがむずかしい相手が残ったといえるだろう。さて、どう攻めたものか。
「ユカリちゃんが訊きづらいなら、ぼくだけで行こうか?」
「うーん……そうね、そうしてもらえるかしら」
「じゃあ、行ってくる」
周りの喧騒を意に介さず大人しく座っている香月の席へ、アキラが向かっていく。
最初は、香月のガードの堅さと、アキラのあたふたとした様子が見られたが、アキラが何か言ったのを契機として、香月がその口を動かしはじめた。硬い動きで香月に片手を上げたアキラが帰ってくる途中、香月はしばらくこちらに目をやって、フンと首を戻した。
「テスト用紙は、家にあるはずだけど、どこにあるか帰ってみないとわからないって。今朝は八時十分頃に登校したらしい」
「こっちも進歩なし、ね。さっき、急に話してくれるようになったみたいだけど、あんたなんて言ったの?」
「ああ。『羽左さんが困っているんだ』って言ったら、少しだけ協力的になってくれたんだ。ユカリちゃんの言ったとおりかもしれないね。嫌いだけど好き、っていうの」
「ええっ! 本当かしら……わたしもう、よくわからないわ」
それなら、なぜわたしを睨むのだろう。わたしには理解できない女心というものがあるのだろうか。
「ともかく、一通り聞き込みは済んだね」
「ええ、そうね。でも、本当に犯人が見つかるのかしら……」
「絶対」
「え?」
「見つかるよ。いや、見つけてみせる」
アキラの目は、〈犯人〉というよりも、〈敵〉を見据えているようだった。
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