第5話ー揺れるー(3)
その日、僕はアトリエに向かった。
アトリエの窓は、開いていた。そこから、光さんの姿が見える。
相変わらず、この真夏に扇風機と窓から入る風だけで涼んでいるようだ。
駆け出す足が、草花を軽々と乗り越え僕は光さんを呼んだ。「光さん‼」
光さんは、呼ばれた事に気が付き、ゆっくりとこっちを向いた。
視線が合うと、微かに風に揺れる髪が元に戻る。
長いまつ毛、透明なほどに白い腕。サラサラとした繊細な髪。
「開いてるよ。」手招きしながら、柔らかい声がそう呼んだ。
その声に引っぱられ、いつものようにアトリエの中に入る。
この声は、今日も僕を落ち着かせる。
「今、学校が終りました。」
「ふふ、お疲れ。走って来たの?」
「はい。」一息ついて、汗を拭く。
光さんはそんな僕を見て、申し訳なさそうな顔した。
「クーラーもない所でごめんね。そこ、扇風機あるから占領しちゃっていいよ。」
その光さんに、クスッとしながら扇風機の前に座る。「じゃあ、遠慮なく。」
僕の前髪を、風が勢いよく舞上げていく。
涼しい…。呼吸が楽になる。
晒された肌さえも、呼吸しているようだ。
ふいに目が合うと、光さんは優しく口角を上げた。
そして、そんな僕をまた描き始める。
けど、僕は思い出してしまった。
このタイミングで、あの日の事を…。
本当は、友達が出来た話をするはずだったのに…。
それで、一緒にそれを喜ぶはずだったのに…。
僕の矛先は、もうそこにはない。
ふと、聞きたくなってしまった。
光さんは、どうして…。僕をどう思っているのか…。
「あの…光さん。」
「ん?」
「光さんは、どうして…あの日…。」
そこまで言うと、光さんの手が止まった。
「どうして僕に…キスをしたんですか…?」
光さんは下を向いた。
扇風機の羽音だけが、永遠と続いている。
「…ごめん。」光さんは、下を向いたままだった。
違う…。謝って欲しかった訳じゃない。
「えっと、そうじゃなくて…。」
「ずっと、謝らなくちゃと思って…。」
「いや、だから…。」
「急にあんな事されて、嫌だったよね。びっくりしただろうし、俺も自分が情けないってゆうか…。」
違う…違う…違う…。僕が聞きたいのは…。
「それでもまた、こんな風にここに来てくれて…本当、秋君の優しさには…。」
「違います…‼」
「え…?」
「そんなんじゃないです…。僕が聞きたいのは…。」
ずっと、一人で悩んでいたのに…。あなたが答えを出してくれないと。
―僕は、この恋を〝恋〟と呼ぶ事すら出来ないじゃないか。―
「僕は…光さんの気持ちが知りたいです…。」
「秋君…。」
「僕を…どう思っているんですか?」
「そ…れは…。」
「あのキスは…。」
「忘れて欲しい…。」
「…え?」
「あの日の事…全部…。」
―え…?―
「…ごめん。」
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