第5章 揺れる

第5話ー揺れるー(1)


カーテンから淡い光がこちらに零れ、狭いワンルームの中を揺蕩っている。


テーブルには食パンと、インスタントのコーンスープ。

一滴も減っていない牛乳。

僕は、手つかずの朝食を前に、かれこれ三十分くらいはこうしている。


あの日は一体、何だったのだろう…。

騒々しかった僕の心は、静寂を取り戻した途端、止まってしまった。

光さんは、あんな事があっても次の日には至って自然に振る舞った。

いつものように他愛のない話をして、僕をモデルに絵を描く。

まるで、僕の方が幻夢でも見ていたかのようだ。


でも光さんは、確かに僕にキスをした。


それが、僕を余計に混乱させた。

僕には、やっぱりあの人が分からない。

やはり、月森光はいつでも僕の心を引っ掻き回す天才でもあるのだ。


―美しい―

光さんは、僕を初めて見た時、そう言った。


でも、それは〝芸術的観点〟からであって、決して〝恋愛的観点〟からではないと思っていた。

そう、その認識で間違っていなかったはずだ。

大体、僕は自分が友情や、恋愛といった中心的な輪の中にいたとは考えもしなかった。

出来れば、その全てに関係したくは無かったはずではないか…。


それなのに、いつからこうなってしまったのだろう。

いや、違う。

光さんは、いつから僕をあんな目で見ていたのだろう…。

あんな風に、辛そうに…。苦しそうに…。


大体、光さんは男が好きなのだろうか。

今まで、そんな話は聞いた事はない。

いや、聞いていないのも当然か…。

光さんはずっと言えなかったのかもしれない。


あの時、僕が光さんを突き放した時。

あの顔が頭から離れない。

それに僕はどうしても、あの人の苦しみには疎くなってしまう。


僕は、光さんをどう想えば良いのだろう…。

こんな事、植草先生にも相談できない。さすがにこれは無理だ…。

けれど、こんな非常事態に、僕には他に相談できるあてなどいなかった。人との関りを避けてきた過去。その上、恋愛経験も無い。

そんな今に、少し苛々している。


そして、あの出来事に答えが出せぬまま、うやむやに日々が過ぎていったある日。

授業後。

僕は、同じ学科の真中悟まなかさとるという男に声をかけられた。

当然、一度も話した事など無い。

同じ学科にいた事さえも知らなかった。

僕がこの大学で、普通に会話ができるのは植草先生と光さんだけ。


そして、当然その二人以外とは関わっていない。

入学して半年以上が経った今、こんな事は初めてだ。

それに、皆は僕があの光さんと関わりがある事なんて知らない。



だが、真中が僕に聞いてきたのは、その光さんとの事だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る