第4章 錯覚

第4話ー錯覚ー(1)


あれから、数週間がたった。

最近の光さんは忙しそうだ。僕も、あのアトリエにはしばらく行っていない。


何でも光さんには、近々、個展を開く話があるらしい。

光さんによると、全て過去の作品だけの展示らしいが、恐らく多くの人が見に来る個展だ。

きっと、その準備があるのだろう。


植草先生は、僕に光さんの個展に来ないかと誘って来た。

こうゆうのもいい経験になる。

こんな経験、中々ないからな。創作に生かしなさい。

それに、あいつもお前に来て欲しいって言ってたぞ。

植草先生は、そう言って僕にチケットを渡した。

確かに、こんな経験は滅多にない。


光さんの作品を見るのは、この大学の生徒でも難しい。

そう。僕もあの時以来になる。光さんの作品を見るのは…。


この大学の校舎で、見た時だ。

油絵学科の校舎。玄関から入ってすぐ。目の前の一番目立つ所に飾られている。

確か、あれは光さんが大学に入ったばかりの頃に完成した作品だ。今回は、それ以上の作品があって、彼の歴史がある。

僕の知らない光さんがいる。

そんな気がした。


当日。

僕は植草先生と一緒に、会場へと向かった。

会場は東京の新宿御苑しんじゅくぎょえんという駅の近くで、田舎者の僕には初めて聞く駅だった。

電車で行くとなると、地下鉄を何度か乗り継いで行かなければならない。

また、僕達の大学からもかなり遠く、かの有名な新宿駅からも若干の距離がある。

その為、現地までは植草先生の運転する車に乗せて貰えることになった。


「あいつ、ちゃんと遅れずに行ったかな…。」


車で向かう道中で、先生がポツリと言った。

先生は、光さんの事が気掛かりでならないらしい。

確かに、思い当たる節はある。

育ちがいい為か、生活力という普通の人が持っている力があまりない。

それに加えて、天然ボケな所や、時間にとてもルーズな所も不安の要素である。

つまり、浮世離れしているのだ。悪気無く。


「ですね…。」

子供じゃないんですから…。そうあしらおうとして、言い直した。


「だよな~。」

先生も、そう大笑いする。

僕の言わんとした事が分かったからだ。車内に、僕達二人分の笑い声が響く。

「あいつ、片付けも下手だからな~。お前がやってるんだろ?アトリエの片づけ。」

「はい。」つられてそう微笑した。

光さんを笑ったのではない。先生が、まるで光さんの父親のようだったからだ。

その関係性が温かく微笑ましく思えた。


会場に着くと、既に光さんの姿があった。

僕達二人の心配は、どうやら取り越し苦労だったようだ。

大勢の人だかり。その中心に光さんはいた。

あのアトリエに行ってないせいか、久々に光さんを見た気がする。


輪の中で、挨拶をする光さん。

僕は、何故か隠れるようにしてそっと隅に行った。

だって、とてもじゃないけど声はかけられない。

あのスポットライトの下に行くなんて、僕には考えられないことだ。

忙しい主役の邪魔だけはしたくない。


「おーい!月下!こっち。」


そうこうしていると、先生が僕を呼んだ。

光さんの絵の下に立っている。

そうだ。今日は、光さんの絵を見に来たんだった。僕は、慌てて先生のもとに駆けつけると、行列の中に忍び込んだ。


「凄い…。綺麗…。」

絵を見ていた中の一人が言った。


二十代くらいの若い女性二人組の一人だった。

友達同士で見に来たのか、光さんのファンらしい。

人を引き込む力。

やはり、あの人の絵にはそうゆう力がある。


まるで、ショーケースの中にある宝石のように飾られた絵の数々。

この絵の前では、あんな無情なハンデなどなかったのではないかと思わせる。

きっと、それらを超えた天才はいるのだ。

だからこそ何も知らない観客は歓喜する。

僕が何も知らず、ただ彼の作品に焦がれていたように…。



人混みに紛れて歩いた先に、僕はある作品の前で足を止めた。

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