第44話 愛の始まり

「八雲、八雲」

 いつかの呼ぶ声で、八雲はハッと我に返った。

「いったい・・」

 八雲は仰向けに倒れ、汗で全身がぐっしょりと濡れていた。八雲の周囲を、いつかと泰造たちがとり囲んで上からのぞき込むように八雲を心配そうに見ている。

「大丈夫か」

 泰造が声をかける。

「八雲・・」

 茜が心配そうに呟く。

「・・・」

 八雲は、それには答えず、自分の手を見てから、体をあちこち触った。

「どうしたの?」

 いつかが不思議そうに八雲を見る。八雲は自分の体を確かめていた。あの溶けた自分の体の感触が、まとわりつくようにまだ体全体を覆っていた。

 八雲は顔を上げ、純を見た。

「・・・」

 純も八雲を見つめていた。

「宇宙が生まれる遥か彼方の片隅の闇。小さな秩序としてあなたは生まれた」

 純が、再び静かに語りだした。

「片隅の闇・・?」

「宇宙が生まれる遥か前。それは完全なる融和。秩序でもなく混沌でもなく、それは完全に溶け合った在り方。物質でもエネルギーでも法則でも流れでも動きでも、時間も空間もない、そうあった在りようとしてそれはあった」

 八雲は、さっき自分がいたあの世界の感覚を思い出していた。そこには常識をはるかに超えた別の世界があった。

「秩序はカオスを生む。私はそこに生まれる秩序の番人。私はその融和の唯一外側にいた存在。私は完全なる孤独を背負わなければならなかった・・・」

 純はしっかりと八雲を見つめていた。

「そんな私をあなたは愛した」

 純は、しっかりと八雲を見つめたまま、はっきりと言った。

「僕が・・・君を・・・、愛した・・?」

「そう、あなたは私を愛してくれたのよ」

 純は八雲を心底愛おしそうに見つめた。その瞳は潤み、どこまでも深い壮大な宇宙のような愛情と、温かさに満ちていた。

「・・・」

 八雲はその時、エメラルダスが宇宙そのものだということを実感した。

「私という永遠の孤独はあなたの愛でその存在の意味を知った。それはとても温かく、やさしいものだった」

 純はその愛を感じるように両手で胸を押さえ、目を閉じた。

「そして、秩序が生まれた」

 純が目を開ける。

「あっ、ビッグバン」

 いつかが叫んだ。

「宇宙が生まれ、星々が生まれ、太陽系、銀河系、そして生物が生まれた。果てしない秩序が形を成し、広がってしまった」

「愛が宇宙を作ったの」

 いつかは驚きの表情で八雲を見た。

「しかもこの男の・・」

「なんだよ」

 八雲はいつかを睨み返す。

「秩序と共に混沌が生まれた。そして完全なる融和は消えた・・」

「この宇宙の創生の物語だったの!」

 いつかが驚きの表情で言った。

「それはもうはるか昔。もっと何代も、数えきれないくらい何代も前の宇宙」

「宇宙も輪廻していたの!」

 いつかが驚き叫んだ。

「宇宙も何回も滅びと再生を繰り返していたなんて・・・。それで、星の動きで八雲の因果が分からなかったのね」

 いつかが叫ぶように呟いた。

「秩序と混沌は気の遠くなるような再生と消滅を繰り返し、個を生み、回り続ける。全てに意味と意志を付けながら。それは罪と苦しみ」

「宇宙の輪廻・・」

 いつかが呟く。

 純は泣いていた。

「エメラルダス・・あなた」

「私も愛してしまった」

 純の美しいダイヤモンドのような大粒の涙が頬をつたい次々零れ落ちていった。

「私は許されざる者。決して許されない存在。それが私が背負った果てしない業。愛してしまったが故の罪」

「そんな・・・」

「愛は生まれてはならなかった。愛は融和を乱す、愛は全ての完全を終わらせてしまう」

「そんな・・、愛がそんな・・」

「愛は生まれてはならなかった。決して生まれてはならなかった」

 純はその悲しい目で八雲を見た。

「その罪の果てに私はあなたを殺し続けなければならない」

 純は全ての奥底から泣いていた。

「愛は苦しみ、愛は悲しみ、愛は孤独・・」

「そんな・・」

 いつかはあまりのことに言葉もなく純を見つめていた。

「・・・」

 その隣で八雲は黙ったまま、真剣な表情で純を見つめていた。

「そんな・・、そんなことって・・・」

 いつかが呟いた。

「あなたは私を殺すことも出来るのよ」

 純は八雲にやさしく語りかけるように言った。

「え?」

 いつかが八雲を見る。

「あなただけが私を殺すことが出来る」

「なっ・・」

 八雲は、厳しい表情で純を見つめた。

「あなたの思いを込めて私を刺せばいい。その刀で。それだけ。それで全ては終わる」

 純は、八雲の持つ七支刀を見て、指し示すように自分の左胸に両手を当てた。

「そう、全てが終わる」

 純が呟くように言った。

「・・・」

 八雲は厳しい表情で純を見つめ続けていた。その七支刀を持つ手に力が籠る。

「八雲」

 いつかが八雲を見る。

「・・・」

 八雲は睨みつけるように、厳しい表情で純を見つめていた。

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