第29話 確かにあったはずの記憶

 八雲はセクハラ疑惑を持たれたその日の午後、純に最初に襲われた旧校舎に立っていた。あれだけの爆発があったのにそういえば、誰もそのことを話さないことに、数日たって八雲はようやくと気付いた。

 八雲の中にはまだ純を抱きしめた時の不思議な感触が残っていた。確かにあの時、純の方から身を預けてきた。八雲にはそれが不思議でならなかった。

 その純の記憶。それがここだった。全てはここから始まったのだ。八雲はその始まりの場所を見渡した。

「・・・」

 しかし、そこには何事もない校舎の壁があり、窓があった。戦闘の痕跡はおろか、破壊された傷すらもなかった。

「どうなっているんだ・・」

 八雲は呆然とその破壊されたはずの校舎の壁や窓ガラスを見回した。そして、記憶をたどるように、旧校舎の廊下を歩いた。

「・・・」

 何度も何度も穴の開くほど、校舎の壁などを順繰り見回すが、どこにもあの凄まじい戦闘の痕跡はやはり微塵も残ってはいなかった。

「確かにあの時・・、エメラルダスが襲って来て・・、いつかが・・」

 確かにあった過去の痕跡を、記憶を頼りに必死で八雲は探した。しかし、それはやはりどこにも無かった。

「・・・」

 八雲はやはり何事もない教室の壁を呆然と見つめた。


 八雲は、大学が終わると、自分の部屋へと走った。もしかして・・。八雲はいつもの通学路を全力で走った。

「あっ」

 八雲の部屋の玄関扉が見えた。それは元通りきれいに、何事もなかったみたいにそこに修復されていた。修復というよりも、最初から何事もなかったかのようだった。

 八雲は慌てて玄関のノブを回した。ドアは開いた。そして、慌てて中に入るとそこは、以前の八雲の部屋のままだった。散らかった服や雑誌などもそのままに・・。更に奥に見える派手に割れたはずのガラス窓もきれいに元通りに修復されていた。

「・・・?」

 八雲は慌てて靴を脱ぐとリビングまで走って、すぐに部屋を見回した。

「どうなってるんだ」

 八雲の頭は混乱し、訳が分からなかった。

「俺は本当にどうかしちまったのか・・」

 八雲は崩れ落ちるように絨毯の上に膝をついた。

「あれは本当に夢だったのか・・」

 八雲は頭を抱えた。

「いつかもエメラルダスも存在しないのか・・」

 八雲はなんだか目の前の現実が、ゆらゆらと揺れているような感覚に襲われた。

「あれは夢だったのか・・」

 八雲はその場に、突っ伏し呟いた。

「あれは・・」


 次の日、小雨の降る中、八雲はいつか邸のあった場所の前に一人立っていた。

「・・・」

 そこはもう、工事用の柵が張り巡らされ、まっさらな更地になっていた。あのそびえるような豪邸は跡形もなく消えていた。

「・・・」

 八雲はその雨に濡れ煙る広大な更地を静かに見つめていた。

「いつか・・」

 はっきりとしないかすかないつかの残像が、八雲の脳裏をふらふらと漂っていた。なんだかいつかがものすごく遠い過去の人間のような気がした。

「俺は確かにここで・・」

 八雲の頭上で、傘に雨粒の当たる音がパラパラと絶えず小さく鳴っていた。


「爆発があっただろ」

 八雲は午前の授業が終わり学食でくつろいでいたいつもの四人を見つけると、迫るようにその輪の中に入って行った。

「爆発?」

 突然現れ、なぜか一人興奮している八雲に驚きつつ、四人全員が首を傾げた。

「ほらっ、あの俺が忘れものしたってそのままいなくなったあの日」

 八雲が力を込めて四人を見つめるが、全員首をかしげるばかりだった。

「そんなことあったかしら」

 茜が必死で記憶を辿るように考え込む。

「僕も知らないな」

 ハカセも考え込んでいるが、記憶の中に全く引っかからない様子だった。

「確かにあったはずなんだ。ほら、あの時、俺が忘れ物をしてそのままいなくなったあの日だ。先に行っててくれって言って・・」

 しかし、やはり四人は首を傾げるばかりだった。

「場所はどこなの?」

 静香が聞いた。

「旧校舎だよ」

 四人は更に首を傾げた。

「そんな話あったかしら」

 茜が言った。

「僕も聞かないな」

 ハカセが言った。

「あったはずなんだよ。俺は確かにその中にいたんだ」

 八雲は更に興奮して四人に迫る。

「その中にいた・・?」

 泰造が呟き、そんな一人興奮している八雲に四人は奇異な目を向け始めた。

「なんだか、お前一段と様子がおかしいぞ」

 泰造が言った。

「・・・」

 八雲が四人を見ると、全員困惑しながら八雲を見つめている。そこには薄っすらと恐怖の色さえ浮かんでいた。

「確かにあったんだよ。確かに」

「分かった。分かった。あった。あったよ」

 泰造が一人立ち上がり八雲の横に立つと、八雲の肩に手を回し、優しくなだめるように言った。

「ほんとなんだ。ほんとにあったんだ」

 八雲は信じてもらおうと必死で四人に迫った。しかし、八雲が力を込めれば込めるほどむしろますます、四人の心は離れていくようだった。

「分かった。分かった」

 泰造がやさしくなだめる。

「ほんとにあったんだ」

 八雲は遂に大声で叫ぶと、泰造の手を振り払いそのまま四人に背を向け、その場から走り去った。

「・・・」

 四人はどうすることも出来ず、困惑したままその場で八雲の背中を見つめていた。

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