第26話 泰造の下宿

 いつも行く安さが自慢の駅前の牛丼屋、腹ペコ亭で特盛牛丼を食べた二人は、泰造の下宿に向かって田舎道を二人並んで歩いた。辺りは駅前とは違い、田んぼと畑が広がるだけの、完全な田舎風景に変わっていた。

 そんな田舎風景の中にぽつんと立つ、古風な日本家屋の前に来ると泰造は黙って足を止めた。そこが泰造の住む下宿だった。

「ちょっと、ここで待ってろ」

「ああ」

 下宿の入口の前で八雲にそう言うと、泰造は一人下宿の中に入って行った。

「よしっ、こっちだ」

 だが、すぐに出てきた泰造は声を潜めて、庭の方に八雲を手招きした。

「よし、ここで待ってろ」

 庭に入りそこから裏庭に回ると、八雲をそこに立たせ、泰造は直ぐに下宿の方へとまた背を向けた。 

「梯子おろすから」

 泰造はそう言い残し再び下宿の中に消えた。

 泰造の下宿はまさに昔の日本家屋そのものだった。屋根はもちろん瓦ぶきで壁は焼き板、サッシまでが木で出来ていた。昭和初期かそれ以前の建物のようだった。

 しばらく八雲がそんな古風な建物を珍し気に眺めていると、二階の部屋から、スルスルとタオルやら服やらが結びつけられた急ごしらえのロープが下りてきた。

「梯子ってこれかよ」

「さあ、早く」

 泰造が窓から顔を出した。八雲はその梯子を握りしめ渾身の力で二階の瓦屋根まで上り始めた。しかし、慣れないしかも、即席の縄梯子は想像以上に上りづらかった。さらにロープが力を入れる度にあちこちと揺れ動き、バランスをとるのが難しく、体を壁にぶつけないようにするのがまた大変だった。壁にぶつけたら、その音ですぐにこの作戦は発覚してしまう。八雲は揺れるロープを全身のありとあらゆる筋肉と神経を使い必死で上った。

「はあ、はあ」

 やっとの思いで二階の屋根まで辿り着くと、八雲は音を立てないようにソロソロと瓦の上を歩き、泰造の部屋の木製の小さなベランダとも言えないようなベランダを乗り越え、泰造の部屋に転げるように入りこんだ。

「ふぅ~」

「なっ、なんとかなっただろ」

 泰造がどや顔で、そんな八雲を見下ろす。

「ああ」

 何とかはなったが、八雲は渾身の体力を使い果たし、精も根の尽き果てていた。

 泰造の部屋は、明治期の文豪でも出てきそうな四畳半の古風な完全完璧純和風の畳部屋だった。窓辺にこれまた古い木製の机、その脇にさらに古い本棚、後は押入れと、こざっぱりとした小ぎれいな部屋だった。だが、二人が並んで座ると、部屋はもうそれだけで一杯のような感じがした。

「なんもねぇ部屋だな」

「まあ、酒ならある」

 泰造は、押入れから一升瓶を取り出してきた。

「俺の地元の銘酒だ」

 二人は、その日本酒を飲み始めた。

「ちょっと、つまみ探ってくるわ」

 そう言って泰造は、部屋から出て階下に降りて行った。

 一人残された八雲は一人で湯飲みの日本酒をちびちびとやりながら、ちょうど窓枠の中に納まった大きな月を眺めた。月はきれいにまん丸く、黄金のような黄色い光が真っ黒な夜空の中にポッカリと浮き立っていた。

 網戸のない窓からそよぐように入ってくる風が心地よかった。別世界のような静かで穏やかな時間が流れていた。八雲にとって久しぶりに何だかホッとできる時間だった。

「あったあった」

 再び部屋に戻ってきた泰造が持って来たのは、かまぼこだった。

「これがうまいんだ」

「いいのか。持ってきちまって」

「ああ、大丈夫だ。こんなのはいくらでもあるんだ」

 八雲が目の前に置かれたかまぼこを一切れ口に入れた。

「なっ、うまいだろ」

「ああ」

 確かにうまかった。スーパーとかで売っているものとは、格段に違っていた。

「ここのおかみさんは、市場で働いてるんだ」

「なるほど」

 八雲は目の前のかまぼこの切れ端をしげしげと眺めた。

「ところで」

 八雲が、再びあぐらをかいて八雲の前に座った泰造を見ると、いつになく真剣な表情をして八雲を見つめていた。

「なんだよ」

 八雲は少し身構えた。

「実際のところ何があったんだ」

 泰造は八雲をのぞき込むように見つめた。

「・・・」

 八雲は正直に話して大丈夫かしばらく思案したが、結局泰造に昨日経験した事を時間を掛け、なるべく子細に説明し始めた。

 八雲が話し終わると、泰造はしばらく目が点になったみたいに、目を小さく真ん丸くさせ八雲を見つめていた。

「そんなことがあったのか・・」

 泰造はなんだか深く考え込んでいるようだった。とりあえず泰造は八雲の話を信じてくれたみたいだった。話を信じてくれると思っていなかった八雲はなんだか感激してしまった。

「おいおい、泣くなよ」

 泰造が八雲を見ると、八雲は泣き出してしまっていた。八雲は泰造が話を信じてくれたことがうれしかった。いつかもいなくなって、八雲はずっと孤独と不安でいっぱいだった。

「お前が話聞いてくれて・・」

「そうかそうか」

 泰造は八雲の肩に優しく手を触れると、日本酒の一升瓶を八雲に向けた。

「まあ、飲め」

「ああ」

 八雲は自分の湯飲み差し出した。それに泰造が並々と日本酒を注いだ。やっぱり友達はいいなと、しみじみと八雲は思った。

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