第25話 戻った日常

「昨日、鉄子山が光ったんだって]

「そうそう」

 話題が変わり、その流れで静香が言う。すると、茜もその話にすぐに飛びついた。

「もう今朝の新聞にも出てたよ」

 ハカセもその話に乗って来る。

「お前見たか」

 泰造が八雲を見る。

「え?」

 見たかも何も、八雲はその中にいたのだ。

「すごかったらしいわよ」

 いつになく興奮気味の静香が言った。いつも静香は、何があっても冷静過ぎるくらい冷静な人間だった。

 それはすごいだろうな。八雲は思った。あの時の凄まじい光景が脳裏に蘇る。轟々と渦巻くエネルギーの渦の中に、さらなるエネルギーとしてそこに光り輝く純が立っていた。

「おい、どうしたんだよ」

 ボケっとしている八雲を泰造がつつく。

「い、いや、なんでもない」

 八雲は我に返る。

「お前やっぱなんかおかしいぞ」

 泰造がいぶかしがる。

「あ、ああ」

「そろそろ講義の時間だよ」

 その時、ハカセが二人に言った。

「ああ、もうそんな時間か」

 泰造が学食の大きな丸いアナログ式壁掛け時計を見る。そして、八雲たち五人は連れ立って、学食を後にした。


「結局、あの教授って長ったらしくしゃべる割には何が言いたいのかまったく分からないのよね」

 講義が終わり、第二講義室を出た茜が、廊下を歩きながら大声で愚痴をこぼす。

「ほんとね」

 横に並んで歩く静香もそれに大きく同意する。よく見るいつものメンバーのいつもの光景だった。

「・・・」

 そんな四人を八雲は一人、少し後ろから眺めていた。

 あっという間に一日も終わろうとしていた。昨日のことがまるで嘘みたいに平穏な一日だった。あれは夢だったのではないかと、八雲は真剣に思いたくなっていた。

 その時だった。廊下の前の方でざわつく気配があった。それに合わせて前の四人も何事かと足を止めた。八雲も足を止める。

「あっ」

 八雲が思わず声を上げる。純だった。純が廊下の向こうからやって来る。やはり遠くからでもその輝くような美しさは人目を引いた。

「・・・」

 八雲の全身に緊張が走る。

「どうしたんだよ」

 そんな八雲に気づき、泰造が怪訝な顔で八雲を見る。

「う、うん・・」

 八雲の手の平にものすごい汗が湧き出す。純は純白のあの見たこともない素材の、今度は黄色い刺繍の入った服を着て、どんどん八雲たちの方に歩いて来る。八雲の緊張はそれにつれて上がっていく。

 だが、純はその横に従えるように並ぶ友だちと一緒に、普通に何事もない日常の一コマのようにそんな八雲の前を横切って行った。八雲などまったくその存在すら気づかず、というか八雲など存在しないみたいに――。

「・・・」

 八雲は逆に驚く。しかし、純は、仲間と一緒に普通に廊下をそのまま歩いて行ってしまった。

「・・・」

 その後ろ姿はまったく八雲になど関心も意識もないかのように、それ以前に今までのことが何もなかったみたいだった――。

「襲ってこないのか・・?」

 八雲は愕然と純の歩き去る姿を眺めた。それは見まごうはずのない純そのものだった。独特の服といい、美しい銀髪、そして、額にはめられたサークレット。それは紛れもないあの純だった。

「どうなってるんだ・・」

 八雲の頭の中は混乱とそれに伴う思考停止とで真っ白になっていた。

「おいおい、もう浮気か」

 泰造がそんな八雲の肩に右ひじを乗せて、その顔を覗き込む。

「そんなんじゃねぇよ」

「まあ、美人だからな」

「だから違うってぇの」

 何も分かっていない泰造をうっとうしく感じながら、八雲は純のもう遠く小さくなった背中を見つめた。

「どういうことなんだ・・」

 あれほど執拗に追ってきた純が、今はまた普通の大学生に戻っている。

「・・・」

 こんな時、いつかがいてくれたら・・。八雲はこの時、切実に思った。一緒にいると滅茶苦茶鬱陶しい奴だったが、でも、今の自分を一番理解できる人間は彼女しかいなかった。

「なあ、おい、女に見惚れてないでもう帰ろうぜ」

 泰造がみんなを促すように言った。

「あ、ああ」

 八雲が、その言葉に我に返り、だが、まだ心ここにあらずで、気のない返事をした時だった。

「あっ!」

 八雲は自分の部屋が無茶苦茶になっていることを思い出した。

「どうしたんだよ」

 泰造が八雲を覗き見る。

「なあ、今日お前んち泊めてくれないか」

 八雲が泰造に言った。

「うちは下宿だからな」

 泰造が珍しく渋い顔をした。

「ダメなのか」

「ああ、大家がうるさいんだ」

「男でもか」

「ああ、田舎で年寄りだからな」

「そうか・・」

「まあ、でも任せとけ。方法はある」

 泰造は八雲の困った顔を見て、すぐにそう言って笑った。なんだかんだいって泰造はこういう時はやはり頼りになる。八雲は思った。

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