第24話 色男
八雲は、早朝のまだ誰もいない閑散とした大学の門の前に立っていた。他に行くところがなかったというのもあるが、八雲は、なぜか無性に泰造たちに会いたかった。
八雲は、疲れた体をゆっくりと沈めるようにして、校門脇にうずくまった。
たった一日で、まったく違う人生になってしまった自分の一日が、あらためて脳裏に浮かんでくる。
「・・・」
昨日まであった平穏な大学生活から、もう何年も経ってしまったみたいな、今、この時の静寂が嘘みたいな一日だった――。
「よっ、色男」
頭上に聞き覚えのあるバカでかい声が響き八雲はゆっくりと軋む首を上げた。泰造だった。八雲は校門の脇にうずくまるようにして座り、そのまま眠りこんでしまっていた。
「・・・」
その横を見ると茜たちもいる。八雲はゆっくりとそのいつものメンバー一人一人を順番に見ていった。八雲の経験してきたことなどまったく知る由もなく、以前の屈託なく笑うまったく変わらない彼ら彼女らがそこにいた。
「おい、どうしたんだよ」
呆けたように泰造たちを見つめる八雲に、まったく何も知らない泰造が、いつもと変わらない人懐っこい笑顔を向ける。
「どうしたのよ。八雲らしくないわ」
その隣りで茜も、いつものその満面の明るい笑顔を向ける。その後ろでは、いつもの落ち着いた表情で、静香とハカセも八雲を見つめていた。
「・・・」
そのいつもの面々の顔を見ていると、八雲の胸の中に言葉にならない堪らない感情が湧き上がって来た。
「おいおい、どうしたんだよ」
泰造は、いつもと違う八雲の反応に困惑気味に言った。
「うっ、お、俺・・」
その時、ふいに八雲は泣き出してしまった。
「俺・・」
苦しみと安堵とが同時に八雲を襲い、複雑な感情の中で八雲は込み上げる涙を抑えられなかった。
「お、おい」
それには、全員が驚いて、どうしたことかと八雲に近寄り、八雲を見つめ、そして、寄り添った。
「どうしたんだよ」
「うううっ」
八雲には様々な思いが去来していた。八雲はみんなに囲まれながら、子どもみたいに泣いた。
「ズルズル、ズルズルズズズ・・」
八雲は一人、安くてうまい学食名物きざみきつねうどん大盛りを、ものすごい勢いで啜り込んでいた。初夏とはいえ、早朝はかなり冷え込んだ。温かいうどんが八雲の体に染み渡る。残りの四人はそんないつもと様子の違う八雲を、どうしたのだろうと少し訝し気に見つめていた。
「ふぅ~」
腹が膨れ、少し落ち着いた八雲は、人心地ついてどんぶりから顔を上げた。
「ていうかなんて格好しているのよ」
茜がそれと同時に、改めて八雲の全身を上から下まで、じっくりと見ながら言った。八雲は純の発した強大なエネルギーの中で服が消滅してしまっていたので、老師に、いつかや老師が着ているような昔の中国の着物みたいな服を借りて着ていた。しかも、それも山を下りる時にかなり汚してしまっている。泥だらけの中国服は大学の中ではかなり奇異に見えた。
八雲も、その時初めてそのことに気づき、自分で自分の全身を見た。
「・・・」
色は濃い藍色で目立つ色ではなかったが、やはり昼間の大学ではかなり浮いていた。
「なんだ?なんかのコスプレか?」
泰造が冷やかすように言う。
「まったく訳が分からないわ。突然どっか行っちゃうし、携帯はつながらないし、朝、突然校門の脇で寝てるし、変な服着てるし、突然泣き出すし」
茜は横目で訝し気に、というか不審げに八雲を見ながら言う。
「・・・」
そう言われても、八雲にもうまく説明ができなかったし、うまく説明できたとしても、まともに信じてもらえない確信があった。
「お前最近ノイローゼ気味だったしな」
泰造が疑わし気に八雲を見つめる。
「そうちょっとおかしかったわ」
静香も少し目を細めて何かを疑うように八雲を見る。
「大丈夫なのかい」
ハカセも心配そうに八雲に声をかける。
「大丈夫だよ。そういうんじゃないんだ」
「でも、急に泣き出すし、なんか精神的に不安定なんじゃないの」
茜が言った。
「やめろよ」
八雲がそれには怒った。
「俺は大丈夫だ。頭がおかしくなってるわけじゃない」
と、言いつつ、八雲は自分が経験したことの非現実性にちょっと不安になる。
「ほんとか?」
泰造が、その太い眉を動かしそんな八雲をさらに覗き込む。
「ほ、ほんとだ。俺はまともだ」
「本当におかしな奴は、自分がおかしいってことに気づかないって言うからな」
「いい加減にしろ。俺はまともだ。イカレてないし、頭もおかしくなってない」
八雲は怒り口調で言った。
「まったく・・」
そして、八雲は、大きく息を吐いた。
「っていうか。なんで俺が色男なんだ?」
八雲はふと、朝、声をかけられた時の言葉を思い出し泰造を見た。すると、泰造はにやにやと何か意味深に八雲を覗き込む。
「な、なんだよ」
「彼女との逃避行どうだった」
「あ?」
「裸の彼女がお前の部屋にいたって聞いたぞ」
「!」
いつかだ。やっぱり見られていたか。八雲はがっくりと肩を落とした。
「駆け落ちは失敗したのか」
「駆け落ち?」
「ああ、お前があの美少女と二人で慌ててどこぞへ走り去ったって話しで、お前たちは駆け落ちしたことになってるぞ」
「なにぃ~」
八雲は驚く。
「誰がそんな事」
「もう大学中の噂だ」
「なにぃ~」
「その服も彼女の趣味か?ああ?」
泰造は下卑た笑いを浮かべ、八雲の顔をいやらしい目で覗き込む。
「俺たちとの約束をほっぽらかして、女といちゃつくとは。ところで彼女はどこだ?」
泰造が冗談ぽくわざと周囲を見回す。
「ち、ちが・・」
「やっぱりそういうことだったんだな」
再び八雲に向き直った泰造が八雲の肩を叩く。明らかに勝手な解釈で何か勘違いしている。完全な誤解だった。
「だから、違う」
八雲はいつかの性格を教えてやりたかった。
「お、俺はなぁ。大変だったんだぞ」
「そういや、あちこち傷だらけだな」
「俺は何度も殺されかけたんだ」
「殺される?」
その言葉に四人が驚き、一斉にお互い目を見かわし、再び八雲を見た。八雲が本当に頭がおかしくなったと思ったらしい。そういう目をしていた。
「気の強そうな感じだったしな。お前も大変だな」
泰造は何を勘違いしたのか、一人別の解釈をして、八雲の肩をやさしく叩いた。
「いや、違う、そうじゃない」
しかし、今まで八雲の経験した話をそのまましても、多分、絶対信じないし理解も出来ないだろう。八雲自身が未だに信じられないでいるのだ。
「違うんだ。ほんとに、ちが・・」
八雲が四人を見ると、四人はなおも訝し気に八雲を見つめている。それは完全に、頭のおかしくなった人間を憐れむ目だった。
「もう勝手にしろ」
八雲は、諦め脱力した。
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