第17話 幻幽老師
「待っていたぞ」
「あっ、老師」
二人が、建物群の中でひときわ大きな建物の、その真っ赤な大きな観音開きの扉を開け中に入ると、そこにはすでに、胸に大きな太極図の描かれた、何か奇妙な昔の中国の着物みたいな服を着た小柄な白髪の老人が立っていた。
その老師の存在に気付いた瞬間、いつも偉そうにしているいつかが、慌てて両腕を胸の前で水平に組み、丁寧にゆっくりと頭を下げた。
「分かっていたのですね。私たちが来ることが」
いつかがそう言うと、老師はゆっくりと頷いた。
「この人が老師?」
なんか頼りなげなちっこい、人だけは良さそうな爺さんなので八雲は拍子抜けした。
「指を指さないの」
いつかが八雲を睨み、たしなめる。
「お前は複雑な因果を持っておるな」
老師はにこにことその人よさそうな顔で、八雲の顔をしげしげと眺める。
「何言ってんの?この爺さん」
八雲がいつかを見る。
「爺さんじゃない。老師っ」
いつかはまたそんな八雲を強くたしなめる。
「この人が幽幻なんとかって人?」
「幻幽老師っ。とても徳の高い方なのよ」
八雲はまじまじと目の前の幻幽老師を見た。だが、やはり、普通の爺さんというか、どちらかというとなんか頼りない、好々爺にしか見えない。
「ジロジロ見ないの」
「でも」
八雲は、いつかに怒られても、どうも、今いちピンとこない。老師は八雲の失礼な態度にもにこにこと微笑んでいる。そんな老師を、八雲は失礼にもまたジロジロと胡散臭げに眺める。
「あっ、おばば様」
その時、奥からもう一人、老師よりも更に背の低い、というか全体的に小さい皺皺のおばあさんが出てきた。いつかは、老師の時同様、胸の前で腕を真っすぐ組み、ゆっくりと丁寧に頭を下げた。
「この人はおばば様よ」
「ばばあ?」
「おばば、様っ」
いつかは最後の様を強く強調し、言った。
「怒るわよ」
いつかは八雲を睨んだ。
「もう怒ってるじゃない」
そう言われても、八雲にはただの汚いばあさんにしか見えない。
「とても霊力の高い方なのよ」
「ふ~ん」
八雲にはやはり、汚いばあさんにしか見えなかった。おばば様は、八雲の失礼極まりない態度にも、にこにこと幻幽老師同様、穏やかに微笑んでいる。
「そんな目で見ないの」
いつかはまた八雲を強い口調でたしなめた。
「まあ、疲れたじゃろう。少し奥で休むといい」
老師がそんな二人にやさしく言った。
「はい、ありがとうございます」
いつかが頭を下げた。
いつかの後ろにくっついて、屋敷の奥へと行くと、古風な中国というか日本というか、不思議なアジア的な雰囲気のまあるい多角形の部屋に辿り着いた。
「私は着替えてくるから、ここで待ってて」
そう言うといつかは、多角形の大きな縦長の屏風のような壁の一つを観音開きに開け、更に奥の部屋へと消えた。多角形の壁はそれ自体が全て扉になっているらしい。
「また着替えるのかよ」
八雲は一人呟きながら、部屋の真ん中に鎮座する細かい彫刻の施された赤い丸テーブルに並ぶ椅子の一つに座った。
八雲が座った瞬間、ふと見ると、目の前に湯気の立つお茶が、シンプルな小さな形の良い湯飲みに注がれ置かれていた。
「あれ?」
八雲が座る時には、全く気が付かなかった。
「こんなのあったか?」
周りを見回しても誰もいない。八雲は訝しく思いながらも、そのとても良い香りの漂うお茶を手に取って、口に運んだ。
「熱い」
そのお茶は淹れたばかりのように、熱かった。
「あっ、うまい」
それは、何とも言えない独特の香りが鼻を抜けるように、全身に広がっていった。ここまで来る大変な道のりで負った疲労が、スーッと消えていくようだった。
「あっ」
気づくと、反対側のテーブルにも同じような湯飲みが湯気を上げていた。
「いつの間に・・」
と思っていると、いつかが今度は出て行ったのとは反対の方の面の観音扉を開けて再び現れた。
「どっから出てくんだよ」
八雲は出て行った方の扉を振り返った。
「しかもやたら早いな」
そして、また振り返りいつかを見た。
「ここは普通の場所とは違うのよ」
八雲はいつかの言うことの意味も分からず、いつかを見つめた。いつかは、老師と同じ昔の中国の着物みたいな服を着ている。
「なんだよ。その恰好」
「これが本当の制服なの」
「制服?」
「そう、まっ、これが本当の戦闘服ってところね」
「最初からそれで戦えばいいじゃないか」
「これで大学に行くわけにいかないでしょう」
「まあ」
八雲は改めて、その服を見つめた。上はチャイナ服のように体のラインに沿ってぴったりとした赤い絹の生地に、古めかしい文様のような模様がちりばめられた短いワンピースのような服で、下はゆったりとしたくすんだオレンジのズボンに、幻幽老師同様、中央に大きく太極図の描かれた大きな前垂れがかかっていた。足にはこれまた奇妙な模様のカンフーシューズを履いていた。
「どこ見てんのよ」
「えっ?」
八雲は無意識のうちに、タイトな服から盛り上がる、いつかの以外に大きな胸を見つめてしまっていた。
「し、しまっ・・た・・」
が、時すでに遅かった。
「いってぇ~」
八雲の顔面に、いつかが手に持っていた畳んだ棒状の扇子が飛んできた。あまりの痛さに八雲は、顔面をおさえうずくまった。
「お前、人より力が強いってことを自覚しろよ」
八雲が顔を上げ叫ぶ。
「あらっ、これでも手加減してあげたのよ」
「これでかよ」
八雲の顔には、扇子の形がくっきりと赤くついていた。
「準備が出来ました」
そこに、一人の珍妙な童女が入って来た。やはり中国の古い着物みたいな服を着ている。
「分かったわ」
いつかが答える。八雲はその隣りで、そのどこかおかしな童女をまじまじと見つめた。子供にしてもなんか小さく、どこか人間離れした感じがした。やはりこれも、妖怪か何かの類なのだろうか。
「さっ、行きましょ」
いつかがそんな八雲を促す。
「あ、ああ」
休むには短いようであったが、不思議と疲労感は消え、十分休んだ気がした。やはり何か、ここには不思議な力と時間が流れているらしい。
「・・・」
八雲は改めて、屋敷の内部をぐるりと見回した―――。
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