第5話 少女現る
あれから八雲の心配をよそに、平和な日々が流れた。
純の周囲は、いつもどこにいくにも我も我もという男たちで、人垣のごとく溢れかえっていた。それはまるで一つの純を頂点とした何かの生き物の群れようであった。
八雲はあれから幸か不幸か、純に見つめられるどころか、目すらも合うことがなかった。
「そういえば、あのつきまとっていた美少女はどうなった」
講義の終わった泰造が、いつものように八雲に近づいてきた。
「あれから全く姿を見せない」
純の取り巻きが作る人垣をチラリと眺めながら、八雲は言った。
「よかったじゃないか」
「う~ん」
「いなきゃいないで気がかりか」
「そんなんじゃねぇけど」
「なんだよ」
「なんだか、姫巫女純が現れたのと関係しているような気がするんだ」
「おいおい、また、お前の妄想か」
「そんな気がするんだ。なぜかはっきりと」
「お前絶対ノイローゼだって。少し、休め」
泰造は八雲の背中を力を込めて叩いた。
「う~ん」
八雲には根拠は無いが、なぜか二人は関係があるような確信があった。
「やあ」
二人が声の方を見ると、ハカセだった。
「よう、ハカセも講義終わったのか」
「うん」
泰造が声をかけると、ハカセは頷いた。
「おうっ」
そこに茜も来た。その後ろには静香もいる。
「おっ、静香も一緒だったのか」
「うん、一緒の講義だったの」
静香が答える。
「なんだよ。いつものメンバー揃っちゃったな」
泰造は一人嬉しそうだ。しかし、そんな泰造をしり目に、やはり八雲は机に頬杖をして、一人深く考え込み、暗く沈んでいた。
「まだ気にしてるのね」
茜が言った。
「ノイローゼが再発しちまったんだよ」
泰造が言う。
「姫巫女純にも無視されてるし」
「それは関係ねぇよ」
八雲が怒ったように言う。しかし、心のどこかで寂しさも感じていた。
「まあ、でも、何もなかったんだし、結局はよかったじゃない」
ハカセが言った。
「う~ん、まあ、確かに」
ハカセにそう言われると、八雲もなんだかそうだなと思えてきた。
「考え過ぎだって」
泰造は、再び八雲の背中を思いっきり叩いた。
「う~ん」
「あれからもう、一か月だぜ」
「う~ん、確かに、結局何もなかったわけだし、考え過ぎなのかもしれないな」
「そうだよ」
泰造は、少し表情の晴れた八雲の背中をバンバン叩いた。
「よしっ、こういう時は酒だ」
「結局酒に行きつくなお前は。どうしても」
八雲は泰造を呆れ顔で見る。
「お前ら、もう授業ないんだろ」
全員が同時に頷いた。この日は全員午前で、授業は終わっていた。
「よし、決まった」
泰造が嬉しそうにバンッと手を叩いた。
結局、飲みに行くことになった五人が連れだって正門の前まで来た時だった。
「あっ、しまった」
八雲が突然小さく叫んだ。
「どうしたんだよ」
泰造が八雲を見る。
「忘れ物」
「まったく、ドジだなぁ」
「先行っててくれ。すぐ追いつく」
八雲は一人、踵を返し、四人を残して慌てて校舎の方に戻って行った。
「あいつは、なんかああいうとこあるんだよなぁ」
泰造が、やれやれと言った調子でそんな八雲の背中を見た。
人気の無い旧校舎の廊下を八雲は走った。ここは昼間でも人気はなく、一部の学部生がたまに使うくらいだった。
「くっそぉ~、めんどくせぇなぁ」
八雲は走りながら一人愚痴った。
「確かあそこに忘れているはずなんけどなぁ」
八雲は四階の実験室へと向かっていた。人がいないせいかやたらと廊下が長く感じる。
「それにしても・・」
八雲は、その長い廊下を走りながら、なんだかいつもと違う雰囲気を感じていた。いつも確かに閑散とはしているのだが、それとはまた違った重い静けさがあった。
「・・・」
なんだか、八雲の知っている旧校舎ではないような気がした。
その時だった。何か気配を感じ、八雲は顔を上げ廊下の向こうを見た。すると、廊下の向こうの奥に、人が一人誰か立っているのが見えた。
「なんだ?」
八雲は変だなと思いつつも最初、気にも留めなかった。しかし、何か違和感を感じる。遠目にだが、普通の学生とは違う服装をしているのが分かった。八雲はもう一度、その人物を見た。
「あっ」
それは、あの姫巫女純だった。
「なっ」
しかも、何かただならぬ空気を感じる。八雲は走るのをやめ、その場に立ち止まった。
「なっ、なっ、」
純の周りには、何か光のオーラのようなものが、気化したドライアイスのように漂っている。それは気のせいではなく確かに見えた。
「な、なっ、なんだ。どうなってんだ」
八雲が戸惑う中、純はゆっくりと八雲の方に近づいて来た。純は、その透き通る青い目で、八雲を射貫くように見つめていた。
「あなたは発生してしまった」
その声はどこまでも澄んで、全ての空間に響くようでもあり、八雲の心の中に直接響いてくるようでもあった。
「な、何を言っているんだ」
何か尋常ではない何かを感じ、八雲はたじろいだ。純の視線はやはり、しっかりと八雲を捕らえている。
「あなたは、あなたという存在の現れは、現象の彼方でそうあってしまった」
純は凛として視線をそらさず、なおも八雲にゆっくりと流れるように近づいて来る。
「な、なんなんだよ。何言ってんだよ」
「あなたがあなたであることの輪廻が、あなたを殺し続けなければならない。それが私という運命(さだめ)」
「な、何を言ってるんだ」
その時、純の美しい瞳が、以前講義堂での時のように、八雲に迫って来た。その瞳の奥は宇宙の色をしていた。銀河系の、星々のその生まれては消えていく長大な時間の流れの中できらめく光の渦。それが、八雲を貫いた。
「ううっ」
八雲の意識は純に捕らわれ、そして沈むように霞んでいった。
「う、ううぅ」
薄れゆく意識の中で、八雲はまた心の奥深くに眠る何かが、ドクドクと息づいているのを感じた。
「こ、これは・・」
八雲が初めて感じる感覚だった。
「うううっ、これは・・、一体・・」
八雲が、最後に呻いた、その時だった。
「伏せて」
何か別の誰かが、八雲の前に突然飛び込むように現れた。その瞬間、何かがはじけるように強烈な光と衝撃が起こった。
「うわぁ」
八雲は、あまりの衝撃とまぶしさに体をのけぞらせ、両手を顔の前にかざし、歯を食いしばった。
「・・・」
閃光が消え、八雲が右手を下ろし顔を上げると、一人の少女が八雲の前で姫巫女純に立ちふさがるようにして立っていた。
「あっ、君は」
八雲は、その見慣れたとまではいかないが、確かにはっきりと見覚えのあるあの丸い頭と小さな背中を驚きと共に見つめた。
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