第3話 もう一人の美少女
「今日はいないんだな」
泰造が講義堂を見回しながら、飲み過ぎと寝不足のガラガラ声で言う。結局、昨日の飲み会は朝五時まで続いた。
「ああ」
八雲も、寝不足と少し二日酔いの重い頭で、辺りを見回すが、昨日いた少女の姿はやはり無かった。
「私も見たかったわ」
その華奢な体とは裏腹に酒に強い静香は、相変わらず落ち着いた調子で呟くように言う。
謎の美少女を見ようと、講義が終わったばかりのまだ人が多く残り、ざわついた講義堂に昨日の五人が集まっていた。
「やっぱ、お前の気のせいなんじゃないのか」
泰造が八雲を見る。
「そんなはずはないんだけどなぁ。ここんとこ気付くと毎日いたんだ」
八雲が広い講義堂を改めて見舞わす。
「こっちが気取ったのを見透かしたのかもしれないね」
ハカセが言う。
「そうよ。私が昨日近寄ったからだわ」
茜が言った。
「うん、多分そうだ。やっぱり何かあるんだ」
八雲が真剣な表情で一人呟いた。
その時だった。急に講義堂内の空気が変わり、静かで重いざわめきが起こった。
「なんだ?」
八雲が呟き、五人は、辺りを見回す。
「お、おいっ」
講義堂の上の入り口の方を見ていた泰造が、急に八雲をつついた。
「なんだよ」
「あれ、あれ、あれを見ろ」
「ん?」
泰造が指さした方を八雲が見た。他の三人もその方を見る。
そこには、上の入り口から入ってきた一人の少女が、下へと続く階段を下りて来るところだった。
「あっ」
八雲は思わず声を出していた。その少女は、八雲が思わず声を出してしまうほど、美しかった。日本人離れしたというか人間離れしたというか、周囲から一際際立って輝くようにその少女は美しかった。
「お、おっ」
突然起こった信じられないような光景に、八雲とその場にいた学生全員が呆然とその美少女に見入った。
液体のダイヤモンドが満ちているような輝く潤んだ目、選び抜かれたサファイアのような澄んだ透き通るように薄いブルーの瞳、これ以上はあり得ない絶妙な角度ですっと伸びた高い鼻、吸い込まれそうな魔力的魅力の淡い唇。美しく輝く光の粒子が透けて見えそうな美しい透明な白い肌。宇宙幾何学の奇跡が現出したような神秘的な顔の造形。少女のその美しさはまさに神の奇跡のように輝いていた。
「はああぁぁ」
あまりの美しさに言葉にならない感動と呻きが、少女を見つめる八雲たちの口から洩れた。八雲たちだけではない。周囲の男という男の口から、感嘆のため息が漏れた。更に男だけではなく、女性陣の中からも、息を呑む音が漏れた。それはただの美しさではなかった。人間の心の奥底の魂を揺さぶる神秘的な美だった。
その美少女は、ゆっくりと中央の傾斜のある通路を凛とした姿勢で八雲たちのいる方に降りて来た。まるで空気が流れるような静かで無駄のない動きで階段を下りる姿は、それだけで感動するに足るものだった。 美しいのはもちろんだが、気品というか落ち着いた神々しい美しさのオーラを全身に纏っていた。
「なんて美しいんだ」
泰造が八雲同様、茫然と少女を見つめながら呟いた。
「ああ」
八雲とハカセも呆けたようにただ感嘆するしかなかった。普段あまり女性に興味を示さないハカセまでが口をあんぐり開けて見惚れていた。
全ての無駄がそぎ落とされたすらっとした体形に、白を通り越して透き通るように銀色に輝く白い髪が、腰まで真っすぐ何の抵抗もなく伸びていた。額には、前髪に隠れるようにして、複雑で不思議な装飾の施された金色の小さなサークレットがはめられていた。
講義堂は完全な静寂に包まれていた。少女の静かな一挙手一投足の動きだけが、その場の空気の動きだった。
「ハーフかな」
少女を見つめたまま泰造が呆けたように呟いた。
「ああ」
八雲とハカセは呆けていてろくに返事もできない。
粉雪を更に精製したみたいに真っ白で肌理細やかなその肌に纏っている服は、上下白の地に薄いブルーの見たことのない古代の文様ような模様が描かれた不思議なもので、民族衣装のような、着物のような、上下に分かれたつなぎ目のはっきりしないワンピースのような、形容しがたい形状をしていた。その生地は絹を更に細く滑らかにしたような、誰もが今まで見たこともない、感じたこともないような質感をしていた。
「しかし、すごい美人だ」
酔いしれたように、また泰造が呟いた。
「ああ」
三人は、完全に魂を抜かれたみたいに少女の美しさにただ見入った。三人だけでなく、やはり、その場にいた全ての男という男が余すことなく、静まり返った講義堂の中で我と恥と外聞を忘れ少女に見入っていた。講義堂の片隅を見ると、教授たちまでが我を忘れ口を半開きで見惚れていた。
「ねえ」
ハカセが突然呟くように言った。
「なんだよ」
美少女に見惚れている泰造がそれにうっとうしそうに答える。
「なんか八雲君を見てない?」
「ああ?」
泰造が何を言っているだとばかりに眉をしかめる。
「そんなばかな」
と言った泰造だったが、視線を追うと、美少女は確かに八雲を見ていた。
「いや、お前を見てるぞ」
泰造が驚いて八雲を見た。
確かに、いつの間にか八雲たちから数メートルの位置まで来て立ち止まった美少女は、その薄いどこまでも透明な青い瞳で、静かに八雲を見つめていた。
「なっ、なっ」
美少女に催眠術にかかったみたいに見惚れて我を失っていた八雲は、少女のその神秘的な眼差しと美しさが、その時初めて自分に向けられていることに気づき、たじろいだ。しかも、少女の瞳はしっかりと八雲に、静かに固定されたまま動かない。
「なっ、なっ」
少女の瞳は何とも言えない切なさと悲しみを湛えていた。その奥には、たった一人冷たく暗い宇宙空間を永遠に彷徨っているような孤独と寂しさが、どこまでもどこまでも深く広がっていた。それは見る者全ての心を締め付けるような堪らない切なさだった。
「なんでそんなに悲しい目をしているんだ・・」
八雲は、そんな少女の眼差しに縛り付けられるかのように、その場に立ち尽くしながら、頭の片隅で思った。
「あっ」
その時、八雲を見つめる少女の瞳が、突然八雲の目の前に、大きく圧するように迫った。
「あああっ」
そして、八雲の心の奥深くの何かを貫いた。
「ううっ」
その瞬間、八雲は目の前が真っ暗になり。へなへなとその場に、気を失うように倒れた。
「おいっ」
すぐ隣りにいた泰造が異変に気付き叫んだ時には、八雲はもう床に完全に倒れ込んでいた。
「八雲!」
「八雲君」
声の大きい泰造と、甲高い茜の声が講義堂に響き渡った。
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