002.うちを狙ってなんの得があるの
高築は、始業前の着信ベルに、殺意が湧く。
(――あんたの手元の案内ハガキ、ちゃんと読みなさいよ。こっちの営業時間、電話番号より大きく載ってるでしょうよ)
電話対応はカウンター業務とローテーションだが、始業前の応答は誰もが担当外、というかそもそも勤務時間外で、取らなくても表立って問題にはならない。
ならない、はずだったが。以前、「ちっ」と舌打ちしたまま自分のメールチェックを続けていたら、いつからか後ろに立っていたエリア支店長に、指先でちょんちょんと肩をたたかれた。
その数日後、異動になった。
* * * * * *
「三城さん、出ないでね」
受話器を取ろうとした三城に、ぴしゃりと言う。三城は伸ばした手を止め、口だけ動かした。
「なぜですか」
「始業時間前じゃない」
「私は始業しています」
「そういう問題じゃないでしょ。出る必要ないの」
「出ない必要もありませんが」
「あのね、そういうことを勝手にされると、他の職員が迷惑するわ。例外対応を増やさないで。いつも誰でもそうできるとは限らないんだから」
「そうですか」
三城は言って、手を伸ばしたままにしている。そうこうしている間も、着信ベルが止む気配はない。
「……しつっこいわね、なんであと15分待てないのかしら」
「定刻に電話していると、間に合わないのでしょう。私達のクライアントは、ほぼ例外なく小企業や個人事業主ですから、」
そこで言葉を切られた。だから、なんだというのだ。
鳴り続けるベル、その一音ごとに、高築のイライラは膨れ上がる。とうとう三城に先を促した。
「だから、なんだっていうのよ?」
「先に、出てもよいですか?」
もう勝手にしなさい――と言いそうになったとき、いつも定刻直前に出社する永谷所長が「おはよう」と入ってきた。
高築は反射的に、メモ帳を取り、電話の応答ボタンを押してしまった。
野太い男性の声で「いつまで待たせるつもりだ!」と開口一番に怒鳴られ、さんざん嫌味を聞かされた後、相手の言い分は、高築が予想しまくった方角へ移った。
「だから、うちにこんなハガキ送って来られてもね。行く時間なんかないし、そもそも何を聞きに行くのか、わからないですし」
「ええと、お越しいただいた際にご説明する概要は、御手元のハガキのほうに……」
「それ読んでも全然わかんないから、電話してるんですよ。忙しいから手短かに話してくれない? 今」
「今ですか?」
「そう今。い・ま!」
舌打ちをこらえる。電話で話して伝わる事なら、わざわざ来いなんて案内するか!
「それはちょっと……いろいろお渡ししたい資料もございますし、とにかく一度、お越しいただけませんか。お時間はとらせませんので」
「資料なんて郵送でいいじゃない。時間かからないって、あんたがたはそこで待ってればいいけど、こっちはわざわざ出向かにゃならんのですよ?」
「はあ……」
そこまで来たくないなら来なくて結構、と言いたい。案内発送件数に対するユーザー来店率は、個人評価には影響しない。所長以上クラスの人事評価が下がるだけだ。
「困るんですよねえ。そっち行かないと、なんていうの、情報を盗られても騙されても自己責任、みたいな? 気味悪い脅し文句ばかり載っててさあ。でもさ、言っておくけど、うちみたいな小さい会社、何も無いからね?」
「え、いや、そんなはずは……」
「無い無い、盗られて困るような情報なんてもの、なーんにも。『あなたの会社も狙われている!』って、あのさ、うちを狙ってなんの得があるの? あはははは」
高築は「はは……」と薄ら笑いながら、お前いちど狙われて痛い目に遭ってこい、と呪いを掛けた。
言いたい放題言って向こうの勢いもすこし削げたか、と思ったそのとき、
「あー。あんたと話しても埒(らち)が開かないな。責任者、出してよ」
「は……、いえ、」
「誰でもいいからさ、あんたより話のわかる人」
「あの、私――」
プツッと回線が切れた。
自分からは切っていない。え? と慌てた向こうで、八田がパソコンでCTIシステムを立ち上げ、何かちょこちょこ触っている。
「ミキさん、転送で8番。モニタ見て、相手の所在地と事業概要、出してあるからー」
と、後ろの席で、三城が受話器を取り「代わりました、承ります」と落ち着いて話し出した。
「先ほどからの対応が至らず、申し訳ありません」
高築は、メモ帳をバシッと机に叩きつける。あれ以上の対応なんて、どうしろというのだ。
「たいへんお忙しいとのことですので、今回はお越しいただかなくて結構です」
(――え、それ、言っちゃっていいの?)
「ただそうなりますと、もう、半年先まで空きがございません」
(相手が来店しなきゃ、予定なんてスカスカでしょ。そういうあんたは、15分で終わる話を2時間に引き延ばしまくるじゃない)
「ええ、満員で……最近ニュースでもいろいろと取り沙汰されたからか、ユーザー様の関心も高く……」
(そんな目に見えないもの、あたし達だってわかんない。世論調査してるわけでもないし!)
「ええ、そうです。予約制ですから……は、そうですか」
三城はパソコンで、何かカタカタ打ち始めた。
「本日ですと、午後に20分ほどしか……そうですね、その日時でしたら。はい」
そこでパチッと指を鳴らしたのは永谷所長だった。壁ぎわのハンガーラックに上着を掛けながら、三城に向かって「Good!」と親指立てている。
「……かしこまりました。お待ちしております」
受話器をゆっくり置いた三城に、八田が声を掛けた。
「うわっ、ラッキー♪ 今のユーザー、3ヵ月前のBSAS(ブラインド・サイバー・アタック・シミュレーション)被験者だよ」
* * * * *
経済産業省・総務省・防衛省が合同で擁立した『情報空間防衛統治機構』。中央地方あわせて数万のエージェントが所属している独立行政法人で、高築らが勤務する市町村単位の地方局は、ピラミッド組織の最下層部に位置する。
機構の中枢、そしてこの情報攻防戦の要となるテクノロジーを統括しているのは、ごくごく少数のエリートハッカー達だと言われている。「インターネットは使いません」などと言って憚(はばか)らないラガード達のお守りにあけくれる地方局から見れば、神のような存在だ。
その神々が定期的に繰り出すイベントこそ、模擬サイバー攻撃『BSAS』だった。全国の法人個人から無作為に抽出した数百件の被験者に、事前予告なしで、最も新しくかつ洗練された攻撃手法で、彼らのIT資産を丸裸にしていく。
とはいえ「模擬攻撃」である以上、本当のサイバー攻撃と異なり、仮に被験者が持つ全てのデータを盗ったとしても実験後は破棄し、被験者のIT端末を完全に乗っ取ったとしても実験後は即解放する。だから被験者の99%は、攻撃があったことすら感知できない。
例外は、被験者が自ら、機構の職員と接触する機会をつくったときだ。エージェントは、実験後であれば、被験者に対してBSASの結果を直接伝えてよいことになっている。
* * * * *
「たしかに、ラッキーだねえ」
八田に答えたのは永谷所長だ。宝くじ程とまでは言わないが、BSASに当る確率は、そこに偶然以上のなにかを感じさせるほど、極端に低い。
「ヤダ君、結果はどうなってる?」
「うあーすごいや、このスコア。やられ放題。ほら、高築さんも見てみなって」
「どれどれ。おおおお、この事業所、あの〇〇ブランドのコア部品手掛けてるじゃない! あちゃー、名刺管理ソフトもメーラーも、中身まるごと持ってかれてるねえ」
「攻撃開始から1分で、全PCにバックドア仕込まれてますよ。速っえぇえよ、あいつら。すげー」
「ここ踏み台にして〇〇の担当者向けに標的メール出したら、数日以内に〇〇ごと陥落かねえ。んー、最低で取引停止、最高で億超えの損害賠償ってとこかな。ははは、気の毒に」
「ねえミキさん、あのユーザー来たら、話すネタに困らないねー。この評価シート、印刷しておく?」
所長と八田は、YouTubeでゲキカワ(・∀・)イイイイ猫動画を見つけた女子高生なみに、きゃっきゃきゃっきゃと盛り上がっている。
そのとき、電話を切ってから無言だった三城が、穏やかな声を掛けてきた。
「高築さん、一緒に見てみましょう。勉強になりますよ」
高築は、自分がそれになんと返したか、よくわからなかった。三人に背をみせ、逃げるように給湯室に向かった。
不覚だ。
あのユーザーに「あんたより話のわかる人」という言葉で刺されてから、ずっと我慢していたものが、目から零(こぼ)れそうだった。
Neighbor Cyber Savior wataritori @wataritori
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