Neighbor Cyber Savior
wataritori
001.インターネットなんて使いませんから
「あのね、うちはインターネットなんて使いませんから! 危ないことなんて何も無いから!」
初回面接開始から5分、三城(みき)が担当した初老のクライアントは、そう言いきった。
「仕事中にインターネットで遊んでるほど暇じゃないんです。おたくらと違ってさ。怪しいページとか見ないし、そもそも事務所にパソコンだって数えるほどしか置いてないし、従業員みんな日中は出払ってるし。誰が使うっての? わかる?」
右隣のカウンター席で、続いていた会話がやんだ。三城が軽く右に目を流すと、八田(やだ)がこちらから顔をそらし、わざとらしい咳払いをする。
三城は「なるほど」とひとつ答え、すこし頭を垂れた。
相手は気をよくしたのか、言葉遣いをやや丁寧に戻して、続ける。
「え、わかりますよね、そうでしょ? そりゃ僕だって自宅では使いますよ、まあいろいろと。しかし会社はまた別でさ、仕事にしか使わんですよ、当たり前じゃないですか。たまにパソコンから、発注とかね、そういうことはありますよ。仕事してるんですからね。あとはほら、月末に銀行の残高を見たりとか。それくらい、商売してたら当たり前ですよね?」
「ええ、そうですね」
うつむいたままうなずきながら、手元のヒアリングシートで「オーダリング」「バンキング」の項にピンピンとチェックを付ける。
「後はせいぜい、そうだね、新規の取引先のホームページ見たり、みんなで飲みに行こうかってときに居酒屋の場所調べたりね。わりとうちの会社はあるからね、懇親会というか。いつも同じ店ばかりじゃ芸がない。でも、それくらいかな」
「ああ、そういうとき、便利ですよね」
「そう。君らみたいな若い人でも、そうでしょ」
「社員旅行の計画など、立てやすくなったりしますか。予約も……」
「あ、それね。楽になったねえ」
そこで三城はうつむいていた頭を上げ、ならば当然という表情で聞いた。
「なるほど。そういったことを御自宅で調べて、プリンタで印刷するなどして、会社でみなさんとお話しされるのですか」
相手は気分よい顔をそのままに、口を半開きにしたまま固まった。
「え?」
「御自宅で」
「何を?」
「グルメサイトとか、旅行サイトとか」
「を?」
「ご覧になるというか、検索して、良さそうなサイトを」
「うん、見ますけどね、なんでわざわざ自宅で? 印刷までするの?」
「会社ではインターネットは使わないと仰ったので」
「……」
「料理の写真とか地図とか、みなさんに見てもらいたい画像があるでしょうから、ご面倒でも印刷なさるのかと……」
「いやいや、あのさ、なに言ってるの?」
相手は早口で遮ってきた。
「だってそれは、仕事の延長じゃないですか! 飲み会だって社員旅行だって、全額とは言わんが会社の経費で出してるんだよ!?」
「ええ、あの、申し訳ありません。経費はどのように処理されても私どもはかまわないのですが、」
三城はあくまで丁重に、もう一度繰り返した。
「会社ではインターネットは使わない、と仰ったので」
「……」
しばらく憮然とした後、相手はしぶしぶこう言った。
「ええ、使いますよ、インターネット。たいした量じゃないが。これでいいですか」
「そうですか。そのお使いのインターネットで、これまでどのような犯罪被害が起きているか、ご存知ですか?」
* * * * *
1時間半後、受付時間をすぎ手動開閉になった自動扉まで相手を見送り、自席に戻ったところへ、声が飛んだ。
「長い!」
高築(たかつき)チーフだ。カウンターに置いたままだったペンをペン立てに放り込み、三城に指を突きつける。
「たかが初回のヒアリングに、どれだけ時間かけてるのよ」
「そうですね」
うなずいた三城の隣の席で、あの後 5クライアントこなして休憩していた八田が笑いだした。
「俺、あんなロープレ通りにラガードな台詞(せりふ)、リアルで初めて聞いちゃったよー。高築さん、聞いてました?」
『ラガード』とは。
もはやITネットワークが電気や水道と変わらないインフラとなった現代社会で、未だにサイバーセキュリティ対策にまったく腰を上げない、時代の変化を頑として受け入れないユーザー層。彼らと、彼らの言動や態度を馬鹿にする、この業界での隠語だった。
その語に込められた感触を解剖してみるなら、「このまま何もせず市場から取り残され敗北者になること確定の、愚図・頑固者」といったところか。元の語は、「貯蔵」「熟成させたビール」といった意味合いでしかないのだが。
高築は、八田の言葉をとくに否定しない。
「聞いてたわ。だからこそよ。ロープレ通りなら、あの後 8分で初回の伝達事項は全部言えるはずでしょう。なにグダグダ相手と話しちゃってんの? 非・生産的!」
三城は、さきほどのチェックシートを取り上げ、クライアントの基本情報に記入ミスがないか確認している。顔をいっさい上げず「すみません」とだけ呟いた。
その後、担当者欄にポンと自印を押して、高築に手渡す。高築はそれを不満顔で受け取り、
「長々話すくせに、シートは選択項目をチェックするだけ、所感欄は真っ白だし。怠慢だわ。せめて日報くらいはちゃんと打ってよね? 三城さん、八田君とテキスト量が変わらないわよ」
三城はそこで顔を上げた。
「八田君の日報、なにか問題があるのですか」
「べつに、ないけど。簡潔でいいと思うわ」
「ならば、私のも問題ないかと」
「あなたのは、面談に掛けてる時間と報告の量がぜんぜん釣り合ってないの!」
「そうですか。しかし、」
「なによ」
「私の非・生産的だった時間の内訳をグダグダ書いて、それを上の方々にグダグダ読んでいただく事が、はたして生産的でしょうか」
高築は顔を赤くした。八田が横から、いやいやと手を振ってくる。
「ミキさん、上は日報の中身なんか、いちいち読んでないって」
「そうかな。確認のログは付いてますよ」
「あっちはビューするだけでログ付くっしょ。中まで読んでる保証はない。俺達が仕事サボらないようにチェックしてるだけで、仕事がモノになってるかなんて、まるで気にしてないって。じゃなかったら、ミキさんより先に俺が昇級するわけな――あ、高築さんがそうしてるって言いたいんじゃないっす」
高築は真っ赤になっていた。
「無駄口たたいてないで、はやく日報打って! 定時退社!」
この地方に赴任してからまだ一週間、なにをどう言っても手応えがない三城のおっとりさ、上司相手にけらけら笑いながら痛いところを突いてくる八田の遠慮なさ、どちらも稀にみるストレッサーで、そのうち髪が抜けそうだ。
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