第4話

 「……今日も疲れた」


 そういうのは、自室のベットに体を預けた月だ。

 制服は脱いでいるが、半袖半ズボンという、すこし外に出るのが躊躇われるような服を着ている。


 「ホント飽きないよな」


 もちろん雪のことだ。

 毎日毎日と登校から下校までの時間を殆ど一緒に過ごしてくるのだ。

 それに加え弁当をつい食ってくる始末だ。

 無反応というわけではないが、きっと雪が望むであろう返答をしていない俺とここまで一緒にいる意味が分からないのだ。


 「……好き、だからか……」


 それしか浮かばない。

 付き合う前から向けられていた好意の視線を考えてみても、些か納得がいかない。

 それになぜこんなにも一緒にいるだけで嬉しそうな顔を向けてきてくれるのか。

 何で。

 なぜだろうか……。


 「……はぁ、わっかんねぇー」


 深くため息を吐いた俺は枕に顔を埋めた。

 すこし域が吸いずらくはなるが、落ち着く。

 暗がりが広がり、段々と静寂が広がって行き。

 母さんや妹が作っている料理の声や音が遠のいて行き。


 そっと意識を消した。






 「ここ、は……?」


 目が開くと、そこは夕焼けに染まった寂れた教室だった。

 俺以外、誰もいない教室だ。

 声もしなければ、音もしない、孤独を感じる場所だ。


 「……ほんとになんなんだよ」


 やはり当たりを見渡してみても、廊下の方にも人がいる気配などは一切とない。

 耳を澄まし聞こえるのは、ただ焦りを覚え拍動を増した心臓が鳴らす警鐘のみだ。


 「……なんだろ?」


 注意してもギリギリ聞こえるかどうかのような音が耳に入ってきた。

 何かが倒れる、机が倒れるような、そんな音だ。


 俺はその音を求め、教室を出た。


 教室を出て、廊下に出て、走り出す。

 何かに駆られたわけでもないのに、普段では面倒くさくてすることはない、廊下を走るという行為を行っている。

  だが自然と疲れは表れず、息も上がる事はない。


 音のする方へ、音のする方へと、足を進める。

 角を曲がり走り、また角を曲がり走り。


 そして着いた先は。


 「ここ、だな」


 教室でも、科目別室でもなければ、廊下でもない、ただのトイレだ。


 でも。


 「女子トイレ、か……」


 入り慣れた男子トレイとは違う、隣に存在する女子トイレだ。

 男子トイレであってくれと思いはするが、やはり音が出てくるのは女子トイレからだ。

 それもすこし酷な内容の。


 『あんた最近調子乗りすぎでしょ!』


 『本当に最近うちらに愚痴愚痴言ってきて、マジウザいんですけどー』


 『何か言ってみなよ。私たちにはいないけどあんたにはいるんでしょ? 男が』


 イジメか、イジメに似た嫉妬をぶつけている何かか。

 とは言え、それを言われているであろう本人の声は小さいながら聞こえ、すこし掠れ恐怖に染まっていることが分かってしまう。

 それがなぜ反論を起こさないや、なぜ逃げ出さないのかと、昼に感じたものと同じような憤りを覚えてしまう。


 「はぁ、くだらねぇな」


 なんにせよイジメとは下らなくおかしなものだ。それが女同士のものであれば余計に醜悪なものに感じてしまう。

 大体はそんなものだ。未知なものだからと言い、想像で余計に恐怖を増す。昔の』時代でもそれは同様に、暗黒大陸などと、仮想にも似たものを表しているのだから。


 でも、余計に感じてしまっても分かるものはある。

 イジメはいけないものだ。


 それは日本共通の常識の一つでもあり、あたりまえ、でもある常識だ。

 そのあたりまえが出来ずにいる者は後を絶えず、早急に解決すべき内容のものだ。


 「嘘つきも、たまには善行ってか?」


 今から自分が起こすであろう行動を鼻で笑うと、女子トイレに足を入れた。


 キャー、入っちゃったぁ! なんて恥ずかしい事はしない。うん、本当だぞ?


 入ってみれば、そこは外からは想像でしかなかったものに入れたという感覚が全くと言ってもいいほどにない。

 殆どが男子トイレと変わりはなく、鼻にくる匂いも、男子トイレと同じように、鼻を吐くまでは行かないが多少のアンモニア臭がする。


 ――ドンッ!


 「――ッ!?」


 女子トイレの空間に酔い呆けていた俺の思考が、突然な音に引き戻された。


 「おら! いつもみたいな愛想、振り撒けよ!」


 「わっ私は別にそんあつもりじゃッ」


 「そんなつもりでもどんなつもりでもお前はいいんだよ!」


 とまぁ胸糞の悪い現実が待っていましたよ。

 そっと覗いてみれば、そこには長身のガラの悪く、スカート丈を短めにしている女性二人が左右に、少女を閉じ込めるように足を壁に着いていた。


 「だ、だから私はそんなつもりはないって言って――ッ」


 「ワーワー叫ぶなよ。ホントにその顔潰したくなっちゃうから。自分のためにも静かにしとけよ」


 一人の女性が顔に微笑を浮かべ、酷薄にも目を細めていた。

 そんな視線を向けられた少女は、やっと出した大声を一瞬にして口を結び、肩を小刻みに揺らす。

 女性は少女の変わりように愉悦を覚え、拳に力を入れた。


 「いい子じゃないの。これは楽しめそう、だなッ!」


 ゆっくりと、少女に見せ付けるように挙げられた拳が、放たれた。


 「それまでにしておけ」


 その場には、その場所にはいては会ってはいけない『声』が響いた。

 男の、それも女性の出す男のようなものではなく、完璧な男の声帯から発せられる、振動のように細かく振るわされた低い声。


 女子トイレには会ってはならない、男の声。


 「……あ? 誰だてめぇ」


 だが女性はその声に驚くことも、不思議がる事もせずに不満そうな声を上げる。


 「……お前……面白いじゃん」


 女性が男に、俺に振り向き、顔を見た途端に、抑揚のかかった弾んだ声で言った。

 そっと、少女の脇にかけた足を離すと、今度は俺に向って歩いてくる。


 「お前、こいつの彼氏だろ? なぁ由美!」


 「は? 彼女?」


 やけに挑発気味な笑みを口に刻んだ女性が放った言葉に、場違いな声を上げてしまう。

 彼女、それも付き纏ってきてうざい奴と言えば、それは雪のことだろう。

 先ほどまでは女性の体で細かくは見えなかったが、確かに髪の長さや、臆病な振るえ方といいとても見覚えがあるように感じてしまう。


 それなぜか、女性二人にも憤りを覚え始めた。

 分かっている。なぜ怒っているのか、そんなのは分かっているのだろう。

 だが納得がいかない。割り切れない。

 そんな不審が脳裏を過っては仕方が無い。

 なぜ俺はそれに対して憤りを覚えてしまっているのだろう。

 俺自身、そう思っていることだ。他人から教官を得られたと思えばソレでウィイだろう。

 だがなぜだろう。

 普段はあまり抱かないはずの『怒り』という感情が今は志向の大半を閉めてしまっている。

 そんな思考の中、俺が口を開いてしまったら。


 「お前らは言うなよ。こいつにウザいって言えんのは俺だけなんだよ」


 理性を働かせようと思ったときには既に時は遅し。

 ぽっと口から出てしまっていた。


 「あははっ! なにアンタ、ちょっと笑えないんですけど」


 「は? わらっとるやん、ちょっと笑えないんですけど」


 吹っかけられた挑発をそのまま返してやった。

 これで多少はすっきりとするだろうと思ったが、何かが足りないのか、未だに怒りは深まるばかりだ。

 相手側も先ほどの煽り返しが聞いたのか、こめかみに手を置き呻り始めている。


 怒りばかりに任せてしまってはいつか暴力を振るいかねないと、当初の目的を思い出す。

 イジメを止めるという善行だ。

 それを思い出した俺は、軽めに女性の頭にチョップを入れてやる。


 「ともまぁ、お前ら、イジメはメッ、だぞ!」


 先ほどの壁に足をぶつけた音などでなれた耳にはとてもしょぼい、音もなっているかどうかと分からない程度の優しさで叩く。

 するとみるみる内に女性の顔が崩れていき、怒りに刈られた目を剥き出した。


 「キモいんだよ!」


 その一言とともに発せられたのは、死角からの一撃、というものでもない、ただの腹に向っての殴りだ。

 多少なりとは鍛えているこの体だ。俺は防御も何もせずに受け入れた。


 バン、という君のいい音が静かなトイレに響いた瞬間に。


 「……ッあふん……ッ!」


 俺の気持ち悪い声が当たりに響いた。


 女性の放った拳は、予想外にも体の芯までに響かせ、足を地面から放させる。


 「……え? うっそ」


 呆けたような女性が異様な出来事に生気の篭っていないような声を漏らすだけだ。

 そのまま俺の体は地面に付くこともなく、徐除に浮かんでいく。

 謎の浮遊感と、重力に引き戻されるような感覚を覚えながら体制が不自由になる。

 止まる事のない上昇が段々と天井につめ、殆どぶつかるまでの距離まで来て。


 「ッく……ッ!」


 天井に頭を当てる痛さを堪えるためにも歯を食い縛った。

 その瞬間に。


 ――ドーン!


 地鳴りかと錯覚するほどの音が響いた。


 「いっつぅ!!」


 咄嗟に押さえた手は頭に。

 目からにじみ出る涙を必死に堪え、瞼を開ける。

 するとそこには。


 「……なんだ、寝てたんだ」


 逆さになって見える床と、ベットから落ちたのか変な体制になっている下半身と、不審者を見るような目で見つめる妹の姿だった。


 「なんだよ」


 「いーやなんでも。ただ夜ご飯が出来たから呼びに着ただけだもん。うなり声とかが心配で来たわけじゃないもん」


 俺がぶっきらぼうに聞くと、妹もそっけない態度で返してくる。


 「俺魘されてた?」


 「うん、ばっちり」


 「……まああんな現実味をオ簿他ものだったし。それに俺があんな感情を抱く何て、夢に決まってるよな」


 夢だ。

 そうだ、雪をイジメられて、貶されて。

 そんなことを見て覚えた憤りは全部夢のせいだったのか。


 「……はぁ。腹減った」


 夢から覚めたとたんに襲い掛かってきた空腹感に苛まれた俺は妹に冷たい視線を向けられながら、上下逆さまな格好で呟いた。


 「なら早く来なよね? 今日のは頑張ったポトフだから!」


 「ポトフで頑張ったって……まぁお前だしな」


 「なによそれー。でもお兄ちゃんポトフ好きでしょ? この間あんなに熱弁するぐらいだったし」


 雪のお母さんの作ってくれたやつだろう。

 そっと手を伸ばすと、妹がその手をひっぱり起こしてくれた。


 「んじゃ行くか」


 「うんッ!」


 なぜか気分の良さそうな妹に手を引っ張られ、俺は自室を出た。

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