白南関攻防戦 03


 フェザーミルを出立して、六ディエ目。

 ヘネシーたちは街道を外れ、草が多い茂る平野を切り開きながら、真っ直ぐ白南関に向かっていた。リンカーフォルにも、フェザーミルから援軍が送られたことは伝えてある。

 そんな折、空を伝信鳥が旋回し、ヘネシーを発見すると、滑空してその腕に止まった。

 一見するとただの鳥だが、鷹ほどの翼と、六本の足を持つ。この“伝信鳥”のお陰で、グラファリア大陸の通信は円滑に行われていた。

「あなた様が、この軍の総大将ですね?」

 伝信鳥は、ヘネシーにそう訊ねた。

「如何にも。フェザーミルからの援軍、ヘネシー・ストーリア女侯爵だ」

「これはこれは、女侯爵様でしたか。腕に止まってしまったご無礼、お許し願いたい」

 伝信鳥が、ちょこん、と、頭を垂れた。

「構わないわ。手紙貰うね。送り主は?」

「はっ。リンカーフォル領主、ゴダード・イセントリク子爵でございます」

「ふむ。ということは――」

 ヘネシーは六本足の伝信鳥の、最後尾の足に括り付けられた筒を抜き取り、中から書簡を出して、それを、広げて読んだ。

「! ……驚いたわ。鈍足のトロール軍が、もう白南関に到着したの!?」

 その声にジノを始め、周囲のものもざわめいた。

「如何にも。既にトロール軍は、白南関に攻撃を加えております。フェザーミルの方々には、一刻も早く白南関に来られたし、とのお言葉でございました」

「そういうことならば、行軍の足を速めるわ。誰か、先頭のライバーに、戦はもう始まった。これからは全速力で白南関に向かうようにと伝えよ!」

「ははっ!」

 ヘネシーの周囲を警護していたヴァンパイアが、馬を駆って前軍に向かって走った。

「伝信鳥よ、お役目ご苦労。こんな場所なので口伝でしかないが、フェザーミル軍が間もなく到着する旨を、ゴダード子爵に伝えて貰えぬか?」

「承知致しました。それでは、失礼」

 伝信鳥はヘネシーの腕より飛び立ち、漆黒の闇へと消えていった。

「トロールの割には、随分と早い行軍だったわね。何か、乗り物でも手に入れたかな?」

「トロールはかなりの巨体だと聞いている。馬はまず使えないよね」

 ジノが、そう応えた。

 蔵書にあったトロールという種族の特徴は、身長三メル(メートル)、体重は二〇〇カルガラ(キログラム)を超える巨体であり、トロール兵は鋼鉄の鎧に、大剣やハンマーなど、力任せの重装備になることが多いという。

「馬に変わる何か……多分、四足歩行型の魔獣に乗って、白南関まで進軍したと見ていいわね」

「だとしたら、機動力を手に入れたトロール兵ということになる。それは驚異だよ」

「今回が攻城戦だったからまだよかったけど、野戦だったら、手に負えないほどの打撃を受けていたかもしれないわね」

 ヘネシーの言う通り、攻城戦において、乗り物となる馬や四足歩行型魔獣は、ただの足手纏いだ。何せ、乗り物は城壁を登れないのだから。

「予想より少し早いけど、ここからは少し急ごうか」

「分かったわ!」

 二人は馬の腹を蹴り、一気に速度を上げる。

 先を行くライバー将軍もそれを理解したらしく、援軍に出て初めて、歩きではなく走りの行軍に切り替えた。

 輜重隊は、そうすぐに速度を上げられないので遅れてくるだろうし、鉄壁の防御を誇る白南関が、たった一、二ディエで陥落するというのも考え難い。

 しかし、フェザーミルは援軍である。万が一、援軍の到着が遅れて白南関が落ちてしまったら、この失態は大きすぎる。既にリンカーフォル領に入ってはいたが、白南関に着かなくては何の意味もない。

 ヘネシーはライバー、ターシャらに事態が急転したことを皆に説明し、これからは急ぎ、白南関を目指すことにした。


        ★ ☆ ★ ☆


 そして翌日。

 フェザーミル軍は、歓喜の声をもって迎えられた。やはり、今回のトロール軍の動きは、リンカーフォル側でも予測していない事態だった。時刻は夜の三ハル。

 今の季節だと夜が明けるのは六ハル前後なので、あと三ハルはヴァンパイア兵が白南関の外に討って出て、暴れ回っているだろう。

 ヘネシーは着陣すると、ジノ、ライバーを引き連れて、直ちに白南関の城壁に上った。輜重しちょう隊を預かっていたターシャも、やや遅れて現れた。

「ここを守る将は誰か!? フェザーミルより援軍に参った!」

 ヘネシーが叫ぶと、望楼にいた一人のヴァンパイアがヘネシーの許に降りてきて、片膝を突いて拝手敬礼した。

「そう仰るあなたは、フェザーミルのヘネシー・ストーリア女侯爵閣下とお見受けしました。援軍、深く感謝致します。私はリンカーフォルの将軍、アイザックと申します」

 筋肉質の男で身長もニメルはありそうだ。ほりが深く、眉は炎のように燃え逆立ち、銀色の瞳と金髪で、深緑色の上着を身に纏い、白いズボンを穿いている。片手に持ったヘルムも同じ色で、その容貌は肉食獣を連想させた。

 因みに深緑色はリンカーフォルの象徴色である。

「あなたのような体格に恵まれたヴァンパイアは珍しいわね。この狩りの時間に、砦の防衛なの?」

「はい」

 ヘネシーの問いに、アイザックは執事のように淡々と応えた。

「何故? とお訊きになられると思いますので先に申し上げますが、私以上に強い、我が主君とその姫君が出陣しておりますので」

「!!」

 ヘネシーらは、アイザックの言葉で、眼下に広がる戦場に目を向けた。

 先ほどのように、ただ見たのではない。じっくりと観察したのだ。

 トロールは、この白南関の城壁に一人たりとも存在しなかった。

 それどころか、一万を超えるトロール軍相手に、合わせても一〇〇程度の二軍に押し返されていた。

「これ、は……?」

 ジノが思わず、そう声を漏らす。

「左軍五十を率いるは我が主君【鉄壁の】ゴダード・イセントリク子爵。そして右軍五十はそのご息女、アリューゼ将軍でございます」

 アイザックは、その体躯に似合わず、語り口は丁寧だった。

「これは驚いたわ。【鉄壁の】大将軍ゴダード殿は、守備戦の名手だと聞いていたけど、攻めも強いのね」

「左様でございます」

 ヘネシーの呟きを、アイザックが丁寧に拾った。

「しかし……リンカーフォルのゴダードには、あんな力を持つ娘がおったのか」

 ライバーが、ヘネシーの隣で唸った。

「僭越ながら【疾風の】ライバー大将軍に申し上げます。ゴダード様は子爵。将軍は男爵です。敬称をお忘れなく」

 アイザックが、睨みを利かせてライバーに迫る。

「はっ! 口を慎むのは貴様の方じゃ。ワシはその昔、大公陛下と共に戦場を駆けたものじゃぞ。その重みは、爵位なんぞで計れるものではないわい!」

 ライバーはアイザックに向かって、怒気を孕んだ覇気を放った。思わず狼狽したのは、アイザックだった。 

「……お、仰る通りです。失礼致しました」

 そんなやり取りをしている中、ジノはただ一人、望楼から身を乗り出し、白南関の対防御設備を調べていた。

 白南関の外壁は、高さが二十メル程度。その真ん中に、手や足を掛けられる段があった。

 その段から頂上までの間に、窪みのようなものが切り込まれている。更にその窪みから上部には、煉瓦を一個分、抜いた穴が等間隔に並んでいた。

(成る程……考えたもんだね。これを考案したのは【放逸の】発明家キリエだっけ。こりゃあ相当なものだ。よく出来てる)

 ジノは何度も頷きながら、次は望楼の下、つまり白南関の城壁上の踊り場に目を向ける。ジノの予想通り、前日、ここで戦闘が行われたようだ。

 血痕は、穴がない部分の上に残されており、その下にはトロール兵の死体が折り重なって放置されており、更によく見ると、トロール兵の死骸には何本もの矢が突き刺さっていた。

 トロール兵は怒濤の如く押し寄せる罠をかいくぐり、ここまで辿り着いたが、この場所に拠点を築くまでには至らなかったのだろう。

 だが、どうやら城壁を上ることには成功したらしい。その証拠にあちこちの床に血痕が残されていた。

「ジノといったか?」

 その時、アイザックがジノの行動を不審に思い、声を掛けてきた。

「何?」

「いや、噂は耳にしている。ヘネシー様が直々に侍従贄フィーズにするほどの切れものとか。一応、昨日のここでの状況を伝えしておこうと思ってな」

「いや、オレは殆ど理解しているよ。するなら他のみんなに頼むよ」

「な、何だって?」

 大仰に驚くアイザック。

「それより今、リンカーフォルの右軍左軍に押し込まれ、中央が空いている。ライバー将軍、ターシャ、中央突破を狙うには、いいチャンスだよ」

「おお、そりゃいいのう!」

 ライバーが、双剣“ディスティーノ”を引き抜いて、闘気を宿す。

「てめーに言われなくたってやってやらあ」

 ターシャも、背負っていた円月刀を手にした。

「辺境姫様、もうあまり時間がない。即刻、二人に命令を」

「分かったわ。ライバー将軍、ターシャ兵長、それぞれ五十の兵を率いてトロール軍中央に攻め込み、一気に蹴散らしなさい! 時告げの鐘が鳴ったら、すぐ退却するのよ!」

「「承知した!」」

 ライバーとターシャ、そしてフェザーミルの兵士たち、その場から一気に外壁の外へと躍り出た。

 幾ら頑丈なヴァンパイアとはいえ、二十メルの高さから落ちたらひとたまりもない。

 それ故の、あの段差なのだ。

 ライバーとターシャは外壁へと躍り出ると、一端、高さ十メルの箇所にある段差に足を掛け、二段構えで戦場に降り立った。

 兵たちもライバーらに倣って、瞬時にして白南関前に、一〇〇のヴァンパイア軍が現れた形となった。

「アイザック将軍だっけ? まさかこの砦に“時告げの鐘”がないなんてことはないよね?」

 ジノが、アイザックを睨めつける。

「勿論、時告げの鐘はある。あと二ハル後に鳴らす予定だ」

「それだけあれば充分だね。ライバー将軍とターシャ兵長なら、敵中央軍を打ち破り、充分な戦果を挙げて来るよ」

 ジノが、城壁の下に目を向ける。そこには、真紅の兜を被ったフェザーミル兵と、ライバー将軍、ターシャ兵長が、闘志を剥き出しにしていた。

「よーし皆のもの、フェザーミル兵の強さを見せつけてやるぞ!」

『おおおおおおおお!』

 ライバーは双剣を広げ、鳥のように疾駆していく。

 その早さにターシャは着いていけず、若干遅れてトロール軍の中央目掛けて疾駆した。



「ヘネシー様、幾つか質問があります」

 そう切り出したのは、アイザックだった。

「ライバー将軍は、あの外壁の段差に気づいておられたのでしょうか?」

「あー、その辺はたぶん、カンじゃない?」

「何と!」

 ヘネシーもよく分からなかったので、適当な返しになった。

「いや、ライバー将軍は気づいてたよ。ヴァンパイアの跳躍力が十メル以上あることを考えれば、白南関から撤退する時、高さ十メルのところに段差を設けておけば城門を開かずに撤収出来る。この白南関はそういう細かな配慮が施された、いい城塞だと思うよ」

 ジノがそう言うとアイザックは益々、驚嘆の色を隠せなかった。

「そういえばジノは、昨日の戦いもほぼ理解していると言っていたな。それが本当ならば、ここでそれを説明して貰いたい」

 アイザックの要請に、ジノは腕組みして答えた。

「まず、トロール軍は昨日の昼に着陣すると、愚かにもそのまま攻撃を仕掛けてきた。この素早い動きに、リンカーフォル軍は対応が遅れた。何せ鈍足だと思われていたトロール軍が、こんなに早く現れるとは思っていなかったんだから。鉤縄や梯子を使って白南関を攻めるトロールに対し、リンカーフォルは防衛設備を発動させた。これは城壁に仕込まれたスリットから刃のようなものを出して、敵の鉤縄や梯子を斬り落とすものだろうね」

「!?」

 アイザックが、思わずジノから後ずさりした。何故なら、全てジノの言う通りだったからだ。

「幾らトロールが頑丈とはいえ、あの巨体が数十メル以上の高さから落ちて、無傷でいられるわけがない。そこですぐに新手の第二、第三軍が攻撃に移る。そこでさっきのスリットの刃に加え、等間隔に開けられた穴から熱湯か、薬品を噴霧した。それに加えて白南関上部からの矢を浴びせて昼を凌いだんだ。それでも上がってきたトロール兵には、遮光服を着たヴァンパイアと弓矢を持ったヒトが対応し、トロールに拠点を築かせなかった。そうこうしているうちに時告げの鐘が鳴り、ヴァンパイアが目を覚ますと、一気に砦の上部からトロールを一掃した後に討って出て、今の状況に至っている。違うかな?」

「どうして……そこまで……全て、見ていたのか!?」

「まさか。オレにそんな能力はないよ」

 ジノが仮面の下の瞳を輝かせ、アイザックを観察する。アイザックはまさかヒトである侍従贄フィーズから、前日の昼に起きた白南関攻防戦の一部始終を語られるとは思わず、動揺を隠せなくなっていた。

「ならば伝信鳥か間諜を使い、既に知っていたとか!?」

「冗談でしょ? 幾ら女侯爵の侍従贄フィーズとはいえ、オレにそんな権限は与えられていないよ」

「では……今、現場を見て、推理を?」

「そうなるね。ところでアイザック将軍は昼間担当の指揮官でしょ? ということは、今まで眠っていて、ついさっき起きたばかり、といったところかな?」

 その言葉には、アイザックだけでなく、ヘネシーも驚いた。

「よ、よくぞ見抜かれた。その通りだ」

「そうだと思ったよ。見た感じ、率先して戦場へ駆けていきそうな、立派な体躯の持ち主であるアイザック将軍が、ここでただの留守番とは考え難い。だとすると、昼間を担当するヴァンパイアとしてこの白南関の防衛を任されてるんでしょ?」

「最早、言葉もない。ヘネシー様の侍従贄フィーズが遠謀深慮に長けた天才だという噂は本当だったのか……」

 アイザックが、思わずジノに片膝を突いて拝手敬礼した。左拳を突き出し、右の掌をピンと伸ばして、胸の前に突き出す。これがヴァンパイア流の拝手敬礼だ。 

「いや、これくらいは推理で想像つくけど、問題は今日の昼だね。実際に、アイザック将軍がどうやって白南関の防衛をしているのか、この目で見てみたい」

「それじゃジノは昼、寝ない気なの!?」

 ヘネシーが、残念そうに言った。

「勿論、寝ないよ。アイザック将軍さえよければ、だけどね」

「こちらとしては有り難い申し出です。何せ昼のトロールは中々しぶといですからな」

「とはいえ昨日の昼よりは楽になるさ。出来ることなら、昨日の戦いを見たかったなあ」

「……は?」

 ジノの言葉の意味が分からず、狼狽するアイザック。

「ジノは、今日の昼のトロール軍の攻撃が、昨日よりも劣ると言うのか?」

「確実に昨日よりも楽な防衛戦になるよ。トロール軍がこの白南関を落とすなら、昨日の昼じゃなくちゃダメだったんだ」

「その理由を、聞かせて貰えるか?」

「理由は二つ。トロールは夜行性の魔物じゃないこと。夜は眠らなきゃならないのに、

ご覧の通り、ヴァンパイア兵に襲われて眠ることが出来ない。つまり夜明け後は、寝不足のまま白南関を攻めなくてはならなくなった。もう一つはフェザーミルという援軍が到着してしまったからだよ。これで護衛の数も増やせる。これで昨日より苦戦するというのは、考え難いよ」

「な、成る程……」と唸る、アイザック。

「きっと時告げの鐘は、ヴァンパイアにとっては絶好機を逸する無念の合図となるし、トロールにとっては天の助けとなるだろうね」

「確かにジノの言う通り、昨日のトロールは中々手強い相手でしたが、何とか私の手勢で食い止めました」

「その時点でリンカーフォル軍の勝ちだよ。でも、敵も馬鹿じゃなければ、早朝から攻めてくることはないかな。午前中は休憩させて十三ハルあたりから攻め寄せてくるかな」

「どうしてそこまで分かるんだ!?」

 思わず叫ぶ、アイザック。

「うーん。オレが天才だから、かな」

 ジノは悠々と、戦場を眺めながら言った。

 その戦場では正に、ヴァンパイアの為の戦いが繰り広げられていた。

 トロール兵は、馬より大きい四足歩行型の魔獣に乗り、ヴァンパイアと剣を交えていた。

 だが、夜のヴァンパイアと互角に戦えるものなど存在しないのである。トロール軍は両翼に加え、途中で参戦してきたフェザーミル軍に中央軍を散々に叩かれる結果となった。


        ★ ☆ ★ ☆


 そしてトロール陣営は、全体的に疲労のピークだった。

 何せ一日五食は食べるトロールが、着陣してから何も口にできていないばかりか、寝る暇も与えられていないのだ。

「ぐむう……」

 そう唸るのはトロール軍の総大将、ディッジダリン将軍だった。

 左翼も右翼も、リンカーフォル軍にいいようにやられている。

 更に援軍として中央突破を図ったフェザーミル軍には、後方の予備兵二〇〇〇を差し向けたが、まるで相手にならなかった。

 中央から攻めてきた軍は、右翼左翼とは身なりが違う。

 真紅のヘルムで頭部を守っている。援軍なのは明らかだった。

 その中で特に先頭を駆けるヴァンパイアの突破力は、凄まじいの一言だった。エメラルドグリーンに輝く双剣が軌跡を描く度に、トロールの首がぼろぼろと落ちていく。

 トロール兵らの動きは明らかに鈍かった。食うものも食わず、寝る間も与えられていない兵士たちが相手を出来るほど、ヴァンパイアは甘くないのである。

(このままでは、何もせずに戦が終わる!)

 そう察したディッジダリン将軍は、大声で叫んだ。

「全軍、一時撤退だ! ここは距離を取り、日の出を待って、奴らを砦に封じ込めるぞ!」

「ははっ!」

 トロールの伝令が、四方八方に飛ぶ。

 もう戦わなくていいんだと、空腹と眠気を抱えたトロール兵が踵を返したその瞬間、上半身と下半身が両断され、血飛沫を上げて地面に落ちた。

「我が領国を侵略しておいて、もう逃げの一手か! ちと早すぎないか、鈍感なトロールどもよ!」

 そう叫びつつ、次々と宙を舞い、トロールの首を、刃の部分が大きな鋸のようになっている鎌のような長ものの武器で、容赦なく刎ねていくヴァンパイアがいた。それはディッジダリンから見て左手、左翼で暴れまくるゴダード・イセントリクだった。

「手応えがありませんね。折角、この自慢の薙刀を振るえるのです。もっと気を入れて来なさいっ!」

 ゴダードとは対照的に、馬に乗り、長刀を振り回しながら、後ろに纏めた銀の髪を靡かせ、トロールを始末していく美しい女性兵が叫んでいた。

 トロール軍右翼を散々に切り刻んでいるのは、ゴダードの娘、アリューゼ将軍だ。

 その時。ゴーン、ゴーンと、地鳴りのするような音が鳴り響いた。

 時告げの鐘の音である。

 トロール軍は散々に背中を討たれながらも、辛うじてヴァンパイアの領域から逃れることができた。

 一五〇〇〇で白南関を攻めたトロール軍だったが、一昼夜で一三〇〇〇まで数を減らしていた。

 寧ろ、何とか被害を二〇〇〇に留めたと言う方が正しいのかもしれない。

 初日の昼間に攻略できなかったのが最大の失策だったと気づいたのが、遅すぎた。

 しかし、これだけの兵数があれば、まだまだ戦うことは可能だ。ディッジダリン将軍は拳を握り締めて、白南関を睨み付けた。


        ★ ☆ ★ ☆


「おお、これはこれは! ヘネシー女侯爵様ではありませぬか!」

 帰陣したゴダードは、ヘネシーの姿を見て、思わずそう叫んだ。

「お久しぶりね、ゴダード子爵」

「まさか我らの援軍に、御自ら参られたのですか!?」

「まあね。あたしの侍従贄フィーズが、この白南関を見たいっていうからさ」

「それは……ご助力、感謝いたします」

 ゴダードは片膝を突いて拝手し、ヘネシーに感謝の気持ちを示した。

「ワシもおるぞ、ゴダード!」

 そこへ割って入ったのは、ライバーとターシャだった。

「これは、ライバー大将軍。そうか、それで納得したぞ。トロール軍の中央に進撃したフェザーミル軍がやたらと強かったのは、将軍がいたからか!」

「はっはっは、久しいのう。ストーリア公国五本の剣と呼ばれたうち、その二本がここにおる。最近では中々ないことじゃなあ」

「仰る通りですな」

 ゴダードとライバーが、互いに視線を交わし、笑い合った。

 ストーリア公国五本の剣とは、【黒炎神の現し身の】ハーシュタット大公、【繊美の】カルウラ、【煉獄の】グレン、そして【鉄壁の】ゴダードと【疾風の】ライバーのことを指す。

 この五人のヴァンパイアは、かつて大陸を席巻した人間との戦いに参加し、猛烈な戦いぶりを見せ、他の妖魔や魔物から、そう謳われるようになった。

 だが、この中でも序列というものが存在する。

 大公が頂点なのはいうまでもないが、次にグレン、ライバー、カルウラ、最後にゴダードという順になる。この序列はどれだけ戦で活躍してきたか、そして、いかに大公への忠義が厚いかによって定められたという。

 ゴダードは子爵なので、男爵であるライバーより格は上だが、大公から与えられた伯爵位を断り、戦場に立ち続けるライバーを、大公は高く買っていた。

 それ故に、爵位は下でも序列は上のライバー、その逆のゴダードという二人の間には、生じるべくして生じた若干の軋轢があった。

「此度の戦ではお主の娘も剣を振るったとか。奇遇じゃのう、このワシにも武を売りとする娘がおるんじゃ」

「ほう、では、あのフェザーミルの快進撃は、将軍だけではなかったと?」

「そうじゃ。ターシャ、前に」

「はっ!」

 ライバーの後ろから、巨大な円月刀を持ったターシャが現れた。身長はライバーよりも低く、一七五セナメル程度だったが、癖のある髪や、その目つきがライバーと瓜二つだった。ターシャは円月刀を床に置き、片膝を突いて、ゴダードに一礼した。

「待ってくれ、将軍。そういうことならば、是非とも我が娘を紹介したい。アリューゼ、前へ」

「ははっ!」

 ゴダードの声で、背後から流れるような銀の髪を持つ女性が現れた。身長はターシャよりもやや低めの一六八セナメル。その瞳の色はゴダードと同じ金色だった。

「ゴダード・イセントリクが息女、アリューゼでございます。ヘネシー様、以後、お見知りおきを」

 アリューゼが、ヘネシーに片膝を突いて言った。

 その声は凜として気高く、誰もが言葉を失うほどの美しさだった。

「へえ、ゴダード子爵に、こんな立派な娘さんがいたんだ!」

 ヘネシーは、自分と同じ色の髪を持つ女性のヴァンパイアを、久しぶりに見た。

 何せ“銀の髪”を持つヴァンパイアは、ストーリア公国広しといえど、僅か数名しかいない。何故なら、銀の髪は“始まりのヴァンパイア”の一族である、大公家の血筋でなければ与えられないからだ。

「アリューゼはまだ未熟ながら、将として先頭に立ち、領内を治めさせれば必ず結果を残します。親の贔屓目を差し引いても、文武両道を実現させている、数少ないヴァンパイアであると自負しております」

 ゴダードが、胸を張ってアリューゼを紹介した。

「うん、私もここからあなたの戦いぶりを見させて貰ったわ。あなたの武力、子爵が胸を張れるだけのことはあったわ」

「有り難きお言葉、光栄でございます」

 ヘネシーとアリューゼの視線が交錯する。

 ジノの見立てでは、このアリューゼは武力においてはターシャと同じ程度だろう。しかしこの銀の髪を持つ少女は、ターシャにはない底知れぬ深さを感じた。

 それは偏に、父親が領主であるという幸運がもたらしたのかもしれない。ジノはアリューゼ・イセントリクの名を、その胸に深く刻みこんだ。

「さあさあ時告げの鐘が鳴ったのだ。間もなく夜明けがやってくる。我らは返り血を洗い流し、眠りにつこう。ヘネシー様も快くお休み下され。アイザック、後は任せたぞ」

「ははっ!」

 昼間を担当するアイザックは、足早にヘネシーを寝所に案内し、その他のものも夜明け前には、棺桶に入って眠りについた。



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