見たいお芝居

楠樹 暖

見たいお芝居

 お母さんが亡くなって半年が過ぎたある日、お母さん宛の一通の封筒が転送されてきた。

「あら、義雄さんにお願いしていたお芝居のチケットやっととれたのね」

 そこには亡くなったはずのお母さんの姿があった。

「ウフフ、そのお芝居が見たくて戻ってきちゃった」

 亡くなったはずのお母さんが甦ってきた。なんとも不思議な話だが、何故か私はすんなりと受け止めることができた。

「今日子ちゃん、また大きくなったみたいね。最後に会ったのは私が元気な時だったので一年くらい前かしら」

 娘の今日子をお母さんのところに連れて行ったのは一年前のことだ。その半年後、お母さんは脳出血で倒れ、そのまま他界した。

「そのお芝居ね、どうしても見たくて見たくてたまらなかったものなの。なかなかチケットが取れなかったので義雄さんにお願いしてたの。嬉しいわあ。ちゃんと取ってくれたんだ」

 チケットは二枚ある。上演日は明日。娘はダンナに見ていてもらうことにして、お母さんと二人でお芝居を見に行くことにした。

 しかし、幽霊になってまで見たかったお芝居っていうのはどういうものなのだろうか? 確かに生前、お母さんはお芝居が好きでよく見に行っていた。今回のこのお芝居に贔屓の役者が出ているのだろうか?


 古くからある演芸場に着いた。ここはビルの老朽化によって来年取り壊される予定だという。

「この演芸場にはね、色々と思い出があるの。ほら覚えがない?」

 演芸場の看板を指さすお母さん。薄っすらと記憶に残っている。小さいころお母さんに連れられてきたことを。物心付く前にお父さんを亡くしてから、お母さんは女手一つで私を育ててくれた。お母さんはいつも忙しく、あまり遊びに連れて行ってはくれなかった。でも、好きな役者が出るということで無理をしてこの演芸場へ来たことがある。今回のお芝居はその時のお芝居と同じ演目である。結局、私が就職するまでお母さんが見に行ったのは、そのお芝居だけだった。お金に余裕ができてからは、それまでの鬱憤を晴らすかの如く、よく友達とお芝居を見に行っていたようである。

 演芸場の中に入ると、地下に食べ物屋や、グッズ売り場が並んでいた。グッズを楽しそうに眺めているお母さん。こんな姿は見たことがなかった。

「いけない、いけない。お買い物はまた今度来た時にしましょうね」

 また今度って、そんなにしょっちゅう甦ってくるつもりなのだろうか? この世に未練を残して甦ってきたというなら、このお芝居を見たら成仏してしまうのではないだろうか? などと考えているとお芝居が始まった。

 お芝居に疎い私が役者の名前を見てもよく分からないが、主役の役者の名前は聞いたことがある。テレビにもよく出てくる役者の二代目だ。先代は二年ほど前にガンで亡くなっており、二代目はまだ若かったが、最近襲名している。

 お芝居を見終わり、お母さんが言った。

「本当はね、これは見たかったお芝居じゃないの……」

 あんなにも楽しみにしていて、甦ってまで見たかったはずのお芝居なのに何故?

「私が見たかったのは同じ名前でも、先代の方の役者さんだったの……」

 名前を襲名したということは、先代も二代目も同じ名前ということ。見たい役者だと思っていたら別人だったということなのか。お母さんは先代が亡くなっていたことを知らなかったのだろうか?

「私が見たかったお芝居は先代のなんだけど、このお芝居はあなたに見せたかったお芝居なの。二代目は若くして襲名してるじゃない? でも、お芝居の稽古はずっと幼い頃から先代につけてもらってたのよ。先代が亡くなっても、伝統は二代目にちゃんと受け継がれているの」

 気がつくとお母さんの姿は消えていた。伝えたいことを伝えて満足したのだろう。

 家に帰ると娘が私を出迎えてくれた。

 お母さんから受け継がれてきたことを、今度は私が娘に受け継ぐ番だ。私にうまくできるのだろうか? 自信が無くてもやらなくてはならない。今は、私が「お母さん」なのだから。

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見たいお芝居 楠樹 暖 @kusunokidan

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