第三ステージ 木星にて停滞
ステージ3
木星の底に沈んでいく。
ガスでできた星は地面がない。紐にひかれるまま木星に着いた。降りたった時には見えていた深い藍色の星空も、今はぶ厚いガスの空にとって代わってしまって、目の前は土色だ。ずぶずぶと自重で沈み込んでいくのが分かった。体は重く、横たわっていないと体が崩れ落ちてしまいそう。
俺は横になりながらじっと待った。汽笛の音が鳴るのを。汽車の蒸気が上がるのを。どんな兆候でも逃してたまるか、と思って精一杯目を見開いていた。目を開いているつもりなのに、寝る気などないのに、まぶたが自然と落ちてくる。
代わり映えのしない絵の具をぶちまけたようなガスで渦巻くまだらな空。その空に沈み込み、ゆっくりと落ちていく自分。この状態がいつまでも続くような気がして、眠くて、眠くて、意識が揺れる。
まぶたをこすろうにも手が重くて動かない、だるい。ここにいるのはなんでだっけ。
寝てしまってもいいんじゃないか。
『気をしっかり保つ』なんて、別に。ええっと、誰が言ったんだっけ。誰がそう言ったんだけど……。よくわからない。
この壮絶な眠気に身を任せて、寝てしまってもいいんじゃないか。別に、俺は、それでも……
「乗りますか?」
「……」
女の声がする。頭の中にうずまく眠気を切り裂いて届くような声だった。
「この列車は宇宙の外周をぐるりと回り、宇宙の中心まで戻ります」
行先が違う。灯台まで行ってくれないと。これは、俺が乗るはずだったのではないし……眠い。答えなくても、いいか。
「意識はどうでしょう。答えられますか?チケットはお持ちでしょうか」
矢継ぎ早に女の声は問いかける。
俺はピクリとも動けない。
「列車はあと10分ほど停車したのち出発します」
そうして声は静かになった。ガスがぐるぐると渦巻き、空で弾ける音でいっぱいになった。
このままここで寝ているのもいいか、と思った。ここの空間はどろりと濁っているが安心できる。このままでもいいか……
宇宙の端は見てみたい。宇宙に行っていろんなものを見るのは子供のころの夢だった。空を見上げて、星の名前もしらないが、その先にあるものを想像した。宇宙人グレイとか火星人の襲来とか、そういうものが流行ったし、友達と一緒にそういうエセ科学の雑誌の切り抜きを回し読みしては「行ってみてー!」と言い合った。子供のころの幼馴染だったか、一緒に遊んだあれは……
「……灯台、へは」
「ええ、灯台も回ります、行先は灯台でしょうか」
ひとり言のようにつぶやいた言葉には、きちんと声が返った。
振り絞って目を開ける。目に光が飛び込んできた。車内の灯りを窓からぴかぴかともらし、白い蒸気をあげる列車、とその光に照らされている人影。逆光になっていて、人の顔はよく見えない。車掌の服を着てこちらをのぞき込んでいる。
「……はい」
ずいぶんと長く声を出していない時のような、乾いた声が出た。
人物は、手に持ったボードに何かを書き込んでから、再びこちらをのぞき込む。
「乗車ということでいいですね?一人で起き上がれますか、人を呼びましょうか」
「……人を」
出たのは蚊の鳴くような声だったが、ちゃんと聞き届けてくれたらしい。がやがやと、周りが騒がしくなった。体が持ち上がってしばらくした後、どこかに寝かされた。
意識を持ちなおそうとしても、うまくいかない。眠気が飛ばない。コーヒーが飲みたい。ひどくのどが渇いているのに気が付いた。
口元に湿り気を感じた。うながされるように口を開いてみると、冷たいものが口に入ってきた。水だ。すごくうまい。
震える手を伸ばして、口に寄せられたコップにかぶりついた。一息に飲み干す。目の前の霧が急に開けるようにさあと意識がはっきりした。
黙ったまま車掌は水差しから水を、空になったコップに注いでくれた。それを二三度繰り返し、ひと心地つく。
「……どうもすいません、車掌さん、迷惑を」
「木星の停留所では、みなさんあなたのようにいつも寝ています。あそこらへん一帯は地球からのお客様がおおいのですが、木星の重力が合わないのでしょうか。とても眠たくなるようで」
「そうです、なんか、すごく眠くなって」
「私もみなさんが健やかに寝ていらっしゃるところに声をかけるのも心苦しいのですが、停留所で待っている方は乗車確認をしないといけません。怠ると私が怒られます。今回起きられたのはあなただけでした」
「……俺だけ?」
「ええ」
「……俺のほかにも人が?」
「ああ、あそこの場所は見晴らしが悪いですから、気づかれなかったですか」
何でもないことのように言う。
「他に寝ていた人がいるんですか?」
「はい、そうです。私もこの仕事について長いですが、私が来る前からあそこでお休みなっている人もいますよ」
「……」
汽笛が鳴った。彼女はその音を聞くと、会釈をして帽子をかぶりなおした。ではよい旅を、と言い残し、急ぎ足でカツカツと靴の音を立てながら隣の車両に移っていった。
まだ聞きたいことはあった。聞きたいけど、聞くのが怖い。
俺はあそこで何回、声をかけられても起きなかったのだろう。
列車は滑らかに走りだした。車両がレールを踏むガタンガタンという音はせず、たまに鳴る汽笛と、蒸気の音だけ聞こえる。静かだ。窓を開けて下をのぞき込んだら、レールがなく、底なし沼のような宇宙の蒼さが見えた。粉末のような小さな星がずっと遠くに見えた。
レールがなくて宙を走る分、音が静かなんだな、と納得する。
車窓から星雲、銀河、惑星系、まるで何にも所属していないぽつんとした外れ星が見える。
流れていく星々に目を奪われていると、何もかも忘れてしまいそうになる。
はっと目が覚めた。座席に横倒しになっていた体を起こす。口元をぬぐい涎がでてなかったのに安心する。
何かの夢を見ていた。誰かと話していたような夢。
近くに車掌が立っていて、気づかわしげにこちらを見ていた。
「すいません、寝ていました」
「いいえ、水をどうぞ」
彼女はコップを渡してきて、手に持った水差しで水を注いでくれた。
勧められるまま、喉をならして飲み干した。
「ありがとうございます。この水すごくおいしいですね。何の水なんですか」
「宇宙の青さを濾した水です」
頭にはてなが飛ぶ。やはりここは宇宙らしい。よくわからない。宇宙のよくわからない仕組みで水ができたらしいことはわかった。
コップを返しまた礼を言うと、彼女はほほえんで隣の車両に移って行った。
列車は走り続けていくが、ずっと乗客は俺一人だった。
列車は何度か星に止まったが、どこにも灯台はなかった。
いくつもの銀河を横目に、うつらうつらとしては起きて、外を眺める。宇宙空間は地球から見るとぺったりとしていて平面に見えたが、まだらでむらがある。星が密集していてまぶしいばかりの場所を走ったと思ったら、まったく星がない暗闇を通ったりする。星の近くをかすめるような軌道で走った時は、もしかすると星にいる生き物が見えるかも、と星の表面に目をこらした。
星の全くない暗闇の中。ぼんやり窓に映る自分を見ていると、まるでいつもの電車で通勤しているような、日常は変わりなく続いていて長い空想にふけっていただけなような、そんな気持ちになる。
だが常と違うのは誰も席に座っていないし、車両もいつものフラットシートの通勤電車ではなく、旧時代の赤いビロードが張られふかふかした木枠のソファだ。そして窓の外もすぐに、街の灯りではどうやっても再現できない、幾千の星でいっぱいになってしまう。
乗っている間中、地球のことを思い出していた。
灯台はまだまだ先らしい。腹は減らないままだった。
車掌はたまにやってきて左手の星座を確認し――「チケット拝見です」と彼女は言った――コップに水を注いでくれる。水はつめたくて、とてもうまかった。
汽車から降りた。ずいぶん長い間乗っていた気がする。汽車は唯一の乗客であった俺を降ろすと、汽笛を鳴らしまた走り出していった。群青色の空間に消えていく汽車から伸びる蒸気が、彗星の尾のようにきらきら光った。伸びる尾を眺めていたら、もしかすると列車も彗星の一種なのかもしれないと思いついた。
灯台が一つ、闇に浮いていた。のっぺりと宇宙に存在する灯台は、周りから浮きあがるような白さをしていた。
現実感はまるでない。とんでもない夢のようなところまで来た、と思いはする。残念これはすべて夢でした、といわれたら納得できる。
このだだっ広い何もない星が光るばかりの空間に突っ立っていると、ずいぶん遠いところまで来てしまった、どうしてこんなところまで来てしまったんだろう、という考えが心の底をひんやり撫でる。それは今まで感じていた宇宙空間へのわくわくと、運ばれるばかりだったこれまでの安心感とは全く逆の、果てしないものを見たときに感じる恐怖に近い感情だった。
自分が足をどこに着けて立っているのか、じっと足元をのぞき込んでみた。よくわからない。透明な板に乗っているのか、それとも足を踏み出すたびに足の下に床ができるのか。考え込んでいると見えない地面がなくなってどこまでも落ち込んでいく気持ちになった。下に広がる底なしの宇宙空間に吸い取られてしまいそう。
宇宙に浮かぶ灯台は、どこも照らしていなかった。灯りがともるはずの灯台の先端は黒く、群青色に溶け込んでいた。灯台は宇宙の先を照らすのではなかったっけ。これではどちらに行けばいいかわからない。
よく見れば、灯台の入口へ続く階段に誰か座っているみたいだった。人影がある。
急に心細くなっていた俺は、人を見かけてうれしくなり、そちらに近寄っていった。
そこの人もじっとこっちを見ているようだった。
近寄るとその人の異様な風体に気が付いた。
今まであってきた人たちは、宇宙人というよりは人の形をしていたからどうも宇宙人ぽさがなかったが、こいつは宇宙人そのままの姿をしていた。
沈んでいた気分が上向き、テンションが上がった。これこそが宇宙人!
人型をしてちゃんと四肢もあるけど、人間には見えない。人がまるで黒い布に包まっているようだ。文化祭でやったようなお化けの役のような。顔からすべて布で覆っている。目のあたりに二つ丸い穴があいていた。そこが目の役割を果たしているらしい。ついでに何故か帽子もかぶっていた。
襲い掛かってこないだろうな、と一応警戒して、少し距離をとった。
「よお、地球から来たのか?」
そいつはどこからか、声を出した。
「ああ、なんでわかるんだ?」
「左手でわかる」
「左手」
左手を見ると星座は相変わらず光っていた。
「左手の出発スタンプの出発地が、地球ってなっているだろ」
「そうなのか?俺には見えない」
「ああ、へえ、そう。お前たちには見えないんだな、初めて知ったわ」
宇宙人は考え込んだようだった。
沈黙が漂った。宇宙人は何か考えたままで、俺も特に言うことを思いつかない。ふと、こいつに会ったら何かしなければならないことがあったはず、と思い出した。埃をかぶった記憶を掘り起こす。
「……そうだ、あすれちっく=ゆむって知ってるか?」
「ゆむ……?」
宇宙人は首を傾げた。知らないのか、まあ、あの天使も確かあったことないってと言っていたはずだし。
「ゆむは地球の天使だろ、よく名前だけは聞く」
「あ、そうなの?」
「地球から来るやつみんなに伝言を頼んでいるみたいで、よろしく、よろしく、と言われる。会ったこともないのに」
「へえ、それは……」
アスレチック=ゆむがやりたい事がいまいちわからない。『よろしく』と言われ続けては宇宙人も困惑するだろう。
気を取り直して、自分に頼まれたことを果たそうした。
「あ、それで、アスレチックが……ええと、」
「……」
挨拶をして、と言っていた。が挨拶と言っても、何を言えばいいのかわからない。
「……アスレチックが……よろしくって言ってたよ」
「ほら、お前も。あいつは俺に何をしてほしいんだ」
その宇宙人は困った声を出した。いかにも異様な姿をしていても、困ることとかは人間と同じなんだ、と思った。
宇宙人は首を振って、気を取り直したような声を出した。
「宇宙の先まで行くんだろ」
「ああ、そのつもりだ。それで、灯台がその行先を照らしていると聞いたんだけど」
「灯台に灯りがないのは俺がここにいるせいだ」
「……?そうなのか?」
「俺が灯台の中に入れば、光がつく。そういう仕組みだ」
「お前が入れば、なのか?人の手で灯りをつけるわけじゃないのか?へえ……」
宇宙とはよくわからない仕組みで成り立っている。
そいつは立ち上がり、灯台へ続く階段を上りだす。灯台への扉に手をかけたが、開けずにこっちを振り返った。
「あっちに、お前を待っているやつがいたはずだ」
と言って指さした。
「俺を待っているやつ?そんなやつ、こんなところにいるはずない」
「しばらく見てないけど、まだいるはずだ。俺みたいに自意識を保ったままやってくるはず、と言っていた。だからきっとお前だ」
戸惑う俺にそいつは続けて言う。
「宇宙の外へは早く行かないといけないんだ。早くしないと、体が崩れて宇宙の藻屑になる。俺はここから動けないし、まだあいつがいるかわからないけど……一応確認してやってほしい。きっと痕跡は残っている」
「体が崩れるってまじかよ!そんな。っというか、誰が俺を待っているって……」
思い返してもわからない。靄がかかったように、地球での記憶がはっきりしない。だけど、胸騒ぎがする。これだけは思い出さなければならないような、そんな……
うなって、目頭をもんだ。思い出さないと。思い出さないといけない。
ぐるぐると記憶をいじりまわす頭の中で、ようやくはじけた。ずいぶんと昔の記憶だ。鮮やかによみがえった。
俺を待っているやつ。宇宙で。
確かにいた。
「俺がいなくなると灯台の光がなくなる、示す光がなくなると宇宙の外を目指す人達が困る。だけど、ずっと気にしていた。あんなところにずっといるのは、良くない」
「……どっちの方?」
あっち、と宇宙人は指さす。その方向をじっと見据える。
何もない空間だ。暗闇の宇宙。
後ろでぱたんとドアが閉まる音が聞こえた。
振り返ると誰もいない。灯台に灯りがともり、さっき宇宙人が指さした方とはまったく別の方向を照らし出した。
本当なら、そっちのほうへ行かなければならない。宇宙の先が目的地だ。体が崩れる、といった宇宙人の言葉がよみがえる。だけど。
だけど――体は勝手に動いた。
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