第二ステージ 受付へ上昇

ステージ2

 まるで限りないエレベーターに乗っているような。ひたすらに上昇していく。


 地面はあっという間に遠ざかって、こちらを見上げていた男も目でとらえることができなくなった。無尽蔵にデカいと思ってた灰色のビル群も小さくなって、見えるものは緑色ばかりになった。街の灰色は海岸からシミのように広がっていた。山を削って建てられた街のはずなのに、街のほうが山に浸食されているみたいだった。


 訳の分からない状況にパニックになりかけた。空飛んでる、というか宙に吸い上げられていく。UFOのキャトルミューティレーションのよう。いや実際キャトられているのかもしれない。あの変な羽をはやした男は宇宙人で……俺は宇宙人に拉致られて、それこそ発信機とかなんやらを埋め込まれてしまうのかも。


 考え込む俺の体の横を雲がすり抜けていく。


 まさかこのまま宇宙に飛んでいくのだろうか。宇宙飛行士じゃないし、普通の一般人には宇宙は夢のまた夢。無理なこと、と諦めていた。もしかすると、その夢がかなおうとしているのか。現実に今、空を飛んでいるし。これがマジで現実なら、宇宙にだって行けるのだろう。

 いや、夢落ちという可能性だってまだあるか……


 上昇が緩やかになる。

 そのフワッとした感覚はエレベーターが止まる直前の浮遊感にそっくりだった。

 感じていなかった重力が体にかかる。が、地上にいるよりだいぶ軽い気がした。空に近い分、高山にいるときのように気圧が低いらしい。空気も薄いのかもしれない。


 完全に体が停止した。

 目の前はまぶしいくらいの白い雲。ふかふかしていてどんな高級ベッドよりも寝心地がよさそうだ。

 動くと雲を突き抜けてまっさかさまにならないだろうな、とおそるおそる踏み出した足の裏には確かな弾力を感じた。一歩踏み出す、地面(雲)はぽよんと動いてしっかり俺の体重を支えた。

 どこからか宇宙人がわらわらとやってきて、俺を捕獲しようとする……という想像は外れた。雲の上には、誰もいない。発信機も埋められないで済みそう。ちょっと安心する。いくら宇宙人にあってみたくても、改造されるのは嫌だ。

 白い雲の上に場違いな建物が見える。観光地にある駐車場の駐在所みたいなちゃちい建物だ。


 建物の中を覗き込むと、宇宙人らしくはない人間の姿をした男がいた。人がいるとは思っていなかったので俺は面喰う。

 男はちらっと視線をよこした。


「宇宙行きのやつか、チケットを拝見」


 事務的に男は言った。

 チケット、と言われあわてた。そういえば、チケットがない。左手が急に熱くなって、それでどうしたっけ。あの時握ったチケットは?まったく記憶になかった。

 男は、あわてるこちらを見て怪訝そうな顔をした。


「左手」

「え?」

「左手出して」


 訳も分からず、左手を窓口に出す。

 男は「持っているじゃないか」と言った。


 出した左手はいつも見るものと少し違っていた。手の甲に謎の模様が描かれて、それが光を放っている。光る点で構成された模様は何かの星座の形をしているようだ。

 宇宙は好きだが、星座の名は知らない。せいぜい夏の大三角形とか北斗七星とか。宇宙は好きでも星の名前は覚えるつもりがなかったので、詳しくない。俺が知っているわずかな星座の形よりもはるかに複雑な形をしている。

 男は用紙を引き出しから取り出して、何か書きものを始めた。


「あなたが灯台守……ですか」

「灯台守?ここが灯台に見えるか」


 男は書き物をしながら下を向いたまま返事する。


「……いえ」


 駐車場とかにあるプレハブに見える、とは言わなかった。


「宇宙の灯台はまだまだ先だ。俺は地球と宇宙の間の……まあ受付か」


 男は紙をかきあげるとスタンプを持ち出した。

 何をするのか、と見守っていると俺の左手の甲に押し付けてきた。ぎょっとしている間に、スタンプを押されてしまった。

 男は「手を戻していい」といった。

 手に押されたスタンプを確認しようとしたが、左手はさっきとなんの変化もなかった。なんなんだ。


「行先は宇宙の外までだな」

「あの、宇宙の外って」

「……天使が説明してないのか」


 あ、やっぱりあれって天使だったんだと思った。


「天使ってあの金髪の」

「アステリオ=YUM」

「え?あすれちっく、ゆむ?」

「なぜYUMとつけたのかわからないが、本人は気に入っているみたいだ。俺は長いのでアスレと呼んでいる」

 アステリオ=YUM、あすてりお、ゆむ。口の中で言葉を転がした。

「あれ天使なんですか」

「天使らしくないだろ、名前もそうだが」


 確かにミカエルとか○○エルのようなよく聞く名前とは違う。格好も普通の服だったし。ただ羽が生えていたところだけ天使らしい。

 最近あいつは仕事をさぼるし、正装じゃないし、と男は憤慨したように言う。


「星になる、ということは聞いたか?ああ、ならいい。宇宙はどんどん広がっているんだけど……それも知っている?なんだ。簡単に言うと、外の広がった部分の星が足りないんだ。宇宙だってどこもまんべんなく星があるわけじゃないが、あまりにも足りなさすぎる。そこだけ真っ暗だったらおかしいだろ。それで星になってくれそうな奴をスカウトしている。お前みたいにな。

 俺はどこまで行けば宇宙の端なのか知らないが、宇宙の灯台が照らす先が宇宙の外だ。灯台の灯りにそって行けば、端まで行ける。つまり、まずは灯台まで行かなきゃならない。宇宙の灯台まで行くには、汽車に乗るか、彗星につかまって行くかのどっちかしかないが、彗星は今時期じゃない。汽車に乗るってことでいいな?」

「えっと、選べるんですか?」

「彗星が地球の近くに来るのは二年後だがそれでもいいのか」

「……汽車で行きます」


 なんとなく、帰ることはできないんだろうな、と思った。


「それが賢明だろう。汽車は木星から出る……それで木星までは、紐をたどって行け」

「紐?」


 黙って男は俺の背後を指さした。そこに空から――ここは空だけど、さらに上から――伸びる白い紐が垂れていた。

 どこから来ているんだろう。


「あれ、持ったらどうなるんですか?」

「木星まで行けるぞ」

「じゃなくて、……えーと、歩いていくんですか?」

「歩いて?どんだけ時間をかけるつもりだ」


 会話がかみ合わない。


「持ったら自動的に木星へ行くんですか?」

「そうだ」


 ほら、と男はまた紐を指さした。早く行け、と言っているようだ。説明不足な気がしてならない。

 納得いかないまま、紐の方へ歩き出す。紐はぷらぷらと風で揺れていた。紐がどこから垂れているのか見ようと見上げても、その先はかすんでいた。本当に木星へ続いていそうだ。

 紐を持った。


「それと、木星に着いたら気が狂いそうになるらしい。気をしっかり保てよ」


 え、どういうこと、と思ったら、瞬く間に宙に引き上げられてしまって、聞くことはできなかった。


「っなんでどいつもこいつも!別れ際に大切そうなことを言うの!!」

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