宙からの招待状
日々野いずる:DISCORD文芸部
第一ステージ 招待状を受け取る
ステージ1
はっ、とした。ここはどこだ。
気がつけば、どこかの人通りが多い交差点で信号待ちをしていた。えっと、ここまでどうやってきたっけ…いくら最近物覚えが悪くなったからと言って、まったく見覚えがない通りに立っているのはおかしい。
ざわざわとしか聞こえない人ごみが立てる音に眉をひそめる。
「お前は星になる」
何とはなしに歩道の赤信号を見つめて考えていたら、耳が意味不明な言葉を拾った。やけにはっきり聞こえた。
変な言葉が聞こえた、と思ったが、雑踏で意味不明な言葉を耳が拾うことはよくあるし、それは置いておくことにした。とりあえず今自分がどこにいるか把握しようとあたりを見渡す。
人目を引く男が信号を道路を挟んだ向こうの花壇の縁に座っているのに気が付いた。髪色が明るいのもあって、黒一色の行き交う人からは浮いている。
まあ、それも今の俺には関係ない。地名が乗っていそうな標識、看板、を探す。が、見えるところには何もなかった。
信号が変わった。周りの人々は歩き出した。俺も周囲に合わせて、一緒に渡る。信号待ちをしていたのに、渡らなかったら変だし。
視線の先へ居た、花壇に座っていた髪の毛の明るい男も立ち上がると、こっち側へ渡りだしているのが見えた。
やけにこっちを見ているような……いや、ばっちりと目が合っている?こっちにまっすぐ近付いてきている……ような。
俺は周りを見ていただけです、目が合ってるとは思いませんでした、と心の中でそいつに言い訳しながら(そうするとうまく視線がそらせる……気がする)視線を脇へずらす。
俺は視線を外したのに、その男からはやはり視線を感じる。
髪を茶というか金色近くまで染め女の子の一人や二人ひっかけられそうな感じ、俺が今まで避けてきた分類、リア充と言ってひがんできた奴らに属する男だった。雰囲気がどこぞのホスト、という感じでチャラいのがマイナス。
そんなやつがなんでこっちを見て、まっすぐ近付いてくるんだ。キャッチか?セールスか?宗教か?それぐらいしか思いつかない。
足を動かしていると男に不可抗力で近付いてしまった。
もうすぐですれ違う。と思ったらまた不可思議な言葉が聞こえた。
「お前は星になるんだって」
金髪の男は突然声を出した。
その声色は、さっき聞こえたものと同じだった。さっきの「星になる」発言は、こいつか。
チャラチャラしているだけじゃなくて、ポエマーであやしい。大丈夫かこいつ。
しかし――しかし、道向こうにいたはずの男の声が、聞こえたのか。
「おーい、聞いてんの?」
「……え、俺に言ってるんですか?」
ホスト(仮)は呆れた顔をして俺の顔の前で手を振る。
こっちを異常に見ているのは、気のせいじゃなかった。わかっていたが、気のせいであってほしかった。
「お前しかいないじゃん」
「いや、俺しかって……」
他にもたくさん、と言いかけた。
俺の声が妙に反響して聞こえた。まるで周りに誰もいないような……
ざわめきが止まっていた。
驚いて周囲を見渡す。
「ほらなー?お前しかいないだろ?」
交差点を渡っていた人も、そこらへんで暇そうに携帯をいじっていた人も。いつの間にか誰もいない。信号を渡る前、向こうの通りのガラス張りの店で食事していた人が確かにいたはずだ。食べかけの食器を置いたままどこかに行ってしまっている。
車もエンジンはかかったままだが、人だけいなくなっていた。無人の車がウィンカーをちかちかと光らせている。
「だから、お前に話しかけてたんだって」
人がいなくなった空っぽの空間に男の声がよく響いた。こっちを向く男の肩越しに信号がちかちかと点滅して赤に変わったのが見えた。信号が変わっても、車は一台も動かなかった。クラクションの音さえない。
「いや、おかしいでしょ。さっきまで他の人が」
「まあいいからいいから、それは置いておくとして……」
シンとした誰もいない、場所に男の不可解な言葉が響く。
「お前は星になる。なんで?とか意味わからん、って顔してるけど、これホント。もう決まったことだから、しかたないって諦めろ。お前も星になりたいだろ?」
「は?星?さっきから何言ってんの?」
あまりにもあれなので、思わず敬語が取れた。
「星は星、空にあるだろ」
上を指さした。つられて上を見上げたが、真っ昼間に星が見えるはずもない。白い雲に混ざって、白い三日月が空にあるのが見えた。
「頭大丈夫?って言うなよ、今までさんざん言われたし、もう慣れたけどそれでも結構傷つくんだからな」
「……」
「まったくこれだから人間は、頭硬いなぁ……」
いよいよ頭おかしい、と思った。電波か、宗教か、変なキャッチに引っかかったみたいだ。こんなのに引っかかるなんて東京に来て何年目だよ。勧誘文句が「星になりたいか?」って、なんだそれ。
「あ、変なのに引っかかったって思ってるだろ」
にやり、と男は笑った。俺は無言でうなずく。その通りだからだ。
男はにやにや笑ったまま、俺の方に手を伸ばしてぐいっと肩を組んでくる。避けたかったが男のほうが素早かった。
「むしろ光栄に思えー?」
「宗教は間に合ってるんで」
「あーもうだから……めんどくさいな、これ受け取れよ」
「パンフレットとかいらないんで」
金髪男が何かの紙(たぶん絶対いらない)を渡そうとするのを横目に見つつ、まだ組まれている腕から離れようとしたが、男のほうが力が強い。職場と家を往復する以外では外に出ない、半引きこもり生活でなまり切った体では太刀打ちできない。
「だから、諦めろって。お前も星になりたかっただろ?」
「だから、星ってなんのことだよ!」
「星は星だよ、空の向こうにあるやつ。宇宙にちりばめられて存在している……あ、そっか」
これを見せれば早かった、と男は言って、やっと組んでいた肩を離してくれた。
ほっと息をつく俺に向かって、得意そうな顔をしてみせるとこれ見よがしに指を鳴らす。
何してんだこいつ、と思ったその瞬間。ばさりと風が吹いた。ハトが一斉に羽ばたいたような音。
「……え、お迎え?」
「まあ、お迎えみたいなもん。宇宙行き一名様ご案内」
さっきまでなんも無かった男の背に羽がついていた。天使のような純白……とは言えない。灰色でところどころ黒ずんでいるが、それはちゃんと翼だった。
「いやいや、ありえないから」
「もー、なんで信じないの。見えてるものがすべてでしょ」
「幻覚とかマジックとか?周りの人がいなくなかったのもマジック?」
「マジックねえ……羽触ってみる?」
男の一挙一動に同調して動く羽は本物の動物に生えている羽、に見えた。作り物ではない。血が通っている。
「……それで飛べんの?」
「飛べるよ?地球の外まではいけないけど」
「まじで?」
「ほんとだって、信じる者は救われるー」
疑心暗鬼の目で見る俺を男は鼻で笑った。
男が笑うと背中の羽もばさりと動いた。風圧で髪がかきあげられる。
羽ばたき続けられると地味に髪が乱れる。前髪をおさえる。
「疑い深いなあ。いいじゃん、ただで宇宙いけるんだぜ、こんな良いことないだろ」
「……天使的な存在?」
「まあ、似たような感じ?俺はただの案内役」
「……まああり得ないな、てか何の案内役だよ。宙と書いて天国(心身の健康は保証しません)への案内役か?」
「だーかーらっ、宇宙、文字通り宇宙への案内役!信用しろよぉ……羽まで見せてるのに」
「……その羽は何?幻覚?宇宙ってなんだよNASAのスカウトか?」
「お前、信用してないのか興味あるのかどっちだよ……」
「よし、お前の言う通り宇宙へ行けたとしても、その対価は何だ?魂か?」
「いや……ファンタジーの見すぎだろ」
はあ、とため息をついて呆れたように男は言った。
お前の背に生えているものはファンタジーの塊みたいなものなのに、理不尽だ、と思った。
「いやーほんとうらやましいよ?俺だって行きたいくらい」
ここ一帯を交通規制しての大がかりなドッキリ、またはいつの間にか催眠術にかかって見えないものを見ているとか、それとももう怪しい宗教団体に拉致されて洗脳される寸前の幻覚とか、現実的な路線を考え……どれも現実的じゃない。
男は話し続けていた。
「いつまでこんなゴミゴミしたところにいなきゃいけないんだって……見てよこの羽、汚くね?排気ガスで羽も汚れるしさあ、いいこと無いって。気分転換に行ってきなよ、宇宙。どうせろくな人生じゃなかったんだろ?」
ん、と天使(仮)が紙をまた差し出してくる。細長い紙だ。それは深い藍色をしていて、金色の縁取りがされていた。
失礼なやつだ。確かにパっとした人生ではなかったけど、それなりに楽しくやってきた……つもりだ。
「チケット、ほら昔の日本の関所手形みたいなもの。これがあれば地球の外にいける」
宇宙は好きだ、宇宙は好きだし行ってみたい。だけど、それよりも胡散臭さが勝つ。
悩んでいる俺を見て、男は焦れたように俺の左手を取る。振りほどく前に無理やりチケットを握らされた。
「っあっつ!」
その時紙に触れた手の中が異常に熱くなった。やっぱりだまされたか!男が平気そうに触っていたチケットも劇物かなにかか!?と慌てた。都会は怖い、だまされない様にしようと散々注意していたのに、こんなところで。
熱くなった左手を確認する。ただれてはいないようだ。だけど、なんか、気のせいか、光って――?
カッと光が溢れ、目を焼いた。
目つぶしされたかのように視界が白くなる。目の前が見えなくなった。メガネをはずして目をおさえる。まさにムスカ状態。なんてのんきなことを言っている場合ではない。
唸っていたら、だんだんと体が上に釣り上げられていくのに気が付いた。むしろ足浮いていないか?
手をはずしてあたりを必死に見る。白くぼやけた視界でははっきりわからない。不安になった。何が起きているんだ?やっぱり超奇術ショーの最中かなんかなのか?どっかにテレビ中継されているとか。焦る俺を見て全国が笑っているんじゃ。
体の重みがフッと消えた。ぽーんと跳ね上がるようにして体が一気に宙へ浮いた。
超ビビった。その拍子に持っていたメガネが手から離れる。
メガネは俺の手から離れて数秒は近くに浮いてた。ぼやける視界の中、必死に手を伸ばす。しかし手が届く前に、重力にしたがって地面に落ちていった。メガネが硬いアスファルトに打ち付けられて、カシャンと高い音を立てたのが聞こえた。ああ、メガネ!!あれ高かったのに!!
「ええっ、なにこれ!?」
目をこする。見えない視界で、見ようと目を凝らす。
俺に向かって男が叫んでいるのが下にぼんやりと見えた。そう、下に。ずいぶんと下に。
金髪が光を反射してきらきらしているから、ぼやける視界でもよくわかる。
「お前が行く先にさあ!挨拶してほしいやつがいるんだ!!お前が行く先にいる灯台守!俺は会ったことないけど!」
えっ、と言う間もなく地面は遠くなった。
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