31:よろしくお願いします!

「……あの」

 心臓が激しく脈打ち始めた。

 過度の緊張で手が震える。

 カフェオレで潤したばかりの喉が渇く。


「何?」

 恵が私を見ている。

 言いたいことがあるなら聞くよと、その眼差しが言っている。


「……エンドラの、私のマイルームに来て。あ、えっと、男性キャラで来てほしい。ジョブは何でもいいから」

 精一杯の勇気を振り絞って、私はそう言った。

 自分のものではなくなってしまったような右手を操って、傍らのスマホを持ち上げる。


「わかった」

 恵が了承する声を聞きながら、私は操作キャラを『ラブハート』に変えた。

 ラブハートは今年のバレンタインデーに配布されたキャラだ。

 紺色のセーラー服に赤いマフラーを巻いた学生風の少女で、スキルを使うと「付き合ってください!」と叫びながらリボン付きのハート型チョコレートを投げる。


 完全にネタキャラ扱いの彼女だけど、いまの私にはこのキャラこそが必要だった。


「えっすげえ! 何これ!?」

 私のマイルームに入室したらしい恵が驚愕した。

 昨日、私はマイルームの大改造を行った。

 天井と壁には『星空セット』を適用し、壁そのものを消して、あたかも星空の中にいるような風景を作り出した。


 そして床には虹色の花を敷き詰めた。

 その花は花弁の中心から金色の光を放出する、とても綺麗な花で、ずらりと並べた景色はゲームながら圧巻である。


「この花ってリンテの洞窟の奥深くに咲いてる花だよな? これだけの数を採取するだけでも大変なのに、わざわざ染色ポーションで虹色に染めたのか……凄い。本当に凄いわ」

 同じゲームで遊んでいるからこそ、どれほどの手間暇をかけてこの光景を作り出したのかわかる恵は、ひたすら感嘆している。


「ひょっとして寝不足だったのはこれのため?」

「そう」

 私は意を決して、マイルームに飛んだ。


 幻想的な光を放つ、虹色の花畑の中。

 恵が操作する茶髪青目の男性剣士の前に、学生服姿のラブハートが立つ。


「何?」

 意味がわからないらしく、きょとんとした顔で恵が見てくる。


「何って……ええと……だから」

 顔が燃えるように熱い。


 頑張れ! 頑張れ私!

 さあ、言え!!


「私、もう偽彼女でいるのは嫌なの!」


 キャラの立ち位置を調整してから、ラブハートのスキルを打つ。

 ラブハートが私の代わりに「付き合ってください!」と叫び、ハート型のチョコレートを棒立ちの剣士に向かってぶん投げた。


 チョコレートは剣士に見事命中したけれど、そのまま剣士の身体を通り抜けてどこかへ消えた。


 ……恥ずかしくて顔が上げられない。

 いま恵はどんな顔をしているんだろう。


 呆れているんだろうか。驚いているんだろうか。

 永遠にも感じられる長い長い数秒を、顔を伏せてやり過ごす。


「…………ふ」

 やがて、聞こえてきたのは微かな笑い声。


 ぴくりと肩を震わせ、恐る恐る、顔を上げる。


「ゲームで告白って……いや、だからこそ、ゲームで出会ったおれらには相応しいのか」

 恵は笑っていた。

 おかしそうに、片手で口を覆って。


 これはイエスかノーか、一体どっちなんだろう。

 馬鹿にしている感じではないんだけど。

 むしろ楽しそうなんだけど。


 判断に迷っている間に、剣士が消えた。

 恵がマイルームから退室したのだ。


 え、え? なんで? 

 花畑に取り残され、おろおろしていると、恵が再び戻って来た。


 操作キャラが変わっていた。

 彼が使っているのは去年の六月に開催された、ジューンブライドフェスガチャで登場したキャラだ。


 胸に赤バラのコサージュをつけた白タキシード姿のキャラは、位置調整のために三歩ほど下がり、「よろしくお願いします!」と叫んで花束を投げてきた。


 もちろんこの花束もラブハートを透過していずこかへと消えた。


「………………?」

 よろしくお願いします?

 いま見た光景が信じられない。


「あの……つまり? どういうことなんでしょう?」

 まさか、ありえない、と脳が混乱している。


「そのままだけど? これからは彼女としてよろしくお願いしますって」

 スマホをテーブルに置いて、恵が平然と言う。


「…………。え?」

 私は、ただただ、呆然。

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