32:女神マールに愛を誓う
「え、って。なんで驚くかな」
恵は視線を下ろし、カフェオレのストローをくるくる回した。
「萌がおれのことを異性として意識するように、これまでめちゃくちゃ頑張ってアピールしてきたつもりなんだけど。ゲーセンじゃ結構わかりやすく告白したのにさ、スルーされて『そろそろ解放してくれませんか』って。あれはさすがにちょっと傷ついたわ」
恵はストローを回す手を止め、拗ねたような目で見てきた。
あのとき恵は、何事もなかったかのように笑ってたのに?
「え。いや。え? だって、あれは、ゲーム友達だから庇ってくれたんでしょ? 本当は凄く嬉しかったし、動揺したけど、でも私は本物の彼女じゃない、恵にとってはただのハーディの札でしかないんだから喜んじゃダメだって……惚れ込んだなんてそんなわけない、本気なわけない、お世辞だからスルーしなきゃダメだって……」
私は意味もなくスマホを握り締め、狼狽した。
まさかあの台詞が本気だったなんて。
惚れ込んだ? 恵が、私に?
一体私のどこに惚れるような要素があるっていうんだ?
女子にしてはゲームが上手だから?
さっき言ってた通り、ゲームの相棒として最高だから?
「じゃあ、なんでそう言ってくれなかったの。いつから好きになってくれたのかわからないけど、そのときに偽彼女じゃなくて本当の彼女になってほしいって言ってくれてたら、私はきっと喜んで――」
「あのなあ」
恵が今度こそ不機嫌そうになる。
「祐基にからかわれるたびに『私はハーディの札です』って言い張ったのはそっちじゃんか。五月の初めに祐基が言っただろ? もうお前ら付き合っちゃえよってさ」
「……言った」
そして私は恵の前で即答した。
ないない、って。
しかも、笑って。
手まで振って――ああ。
過去の言動を心の底から後悔し、私は内心で顔を覆った。
「………………あの……ひょっとして、恵がこれまで告白できなかったのは、私のせい?」
「ひょっとしなくてもそうだよ。どっかの誰かさんが『お前の彼女になるなんて絶対嫌だ』オーラをこれでもかと放出してたおかげだよ」
恵はしかめっ面でカフェオレを飲んだ。
――萌はことあるごとに『私は赤石くんの本物の彼女じゃなくてハーディの札だ』って言ってるけど、それって『私は頼まれて彼女役を演じてやってるだけなんだから勘違いするな』って主張してるようにしか聞こえないから、好きだと自覚したなら止めたほうがいいわよ。
芹那の懸念は、全くその通りだったらしい。
……そうか。
他人の評価とか、自分を卑下する気持ちだとか――そんなことどうだって良くて、私はもっと信じるべきだったんだ。
恵が差し出してくれた手を、繋いだ手の温もりを、いつも向けてくれた優しい笑顔を。
嫌いな子にあんな笑顔を向けるわけがないのに。
私は自信がないあまりに「そんなわけがない」と端から否定して、可能性に目を瞑り、何度も「私は恵の彼女じゃない」と主張して――そしてきっと、彼女になって欲しいと言い出せないくらいに恵を傷つけた。
「……えっと……ごめん。私は恋愛経験なんてなくて、自己評価も低いほうで、恵と私じゃとても釣り合わないと思ってて」
私はスマホをテーブルに置き、膝の上で自分の手を握り合わせた。
「恵が私のことを好きになるなんて夢物語、ありえないと思ってた。だから、風間くんにからかわれたときも、恵が迷惑だと思う前に流したつもりだったの。まさかそれが仇になるなんて……」
「それで?」
もう言い訳はいいから、いまの気持ちは? と、目で促された。
ゲームではキャラが元気に叫んでいたけれど。
やっぱり、大事なことは改めて、ちゃんと自分の口で言わなきゃダメだよね。
「……私と付き合ってください」
私は姿勢を正し、まっすぐに恵の目を見つめて言った。
「はい、喜んで」
恵が笑う――やっと、笑ってくれた。
炭酸のように元気よく弾けながら、喜びが身体中を駆け巡る。
これで名実ともに、私は恵の彼女だ。
もうハーディの札なんかじゃない、本物の彼女だ。
自然と笑みが零れる。
――やった!
「でも、なんで? 私のどこが好きなの?」
溢れ出ようとする喜びを苦労して押し殺しつつ、私は前のめりになって尋ねた。
これは是非とも聞いてみたい。
「ゲームが上手なとこ」
「そこっ!?」
「嘘だよ」
私の反応が面白いらしく、恵はけらけら笑った。
こっちは真剣に尋ねているというのに、なんて意地悪な。
「いや、まあ、それもあるけど。一番は性格だよ。大勢の前で江藤さんを庇って一喝した姿に惚れたんだ。オリエンテーションの夜は駆けつけてくれただろ。おれのために息切らして、全力で走って来た姿見て、本気で惚れた。いい子だなーって。おれは萌の、ひたむきで、強くて優しいとこが好きなんだ。くるくる変わる表情とか、人懐っこい笑顔とか、恵って呼ぶ声とか。つまり全部。わかった?」
「…………」
頭の中が真っ白だ。
何を言えばいいのかわからない。
まさか恵が私のことを好きだと言うなんて。
しかも、私の全部が好き?
夢でも見ているんじゃないだろうか。
「……わ、私も、恵が好き。恵の笑顔とか、低い声とか、ゲーム馬鹿なとことかも、全部ひっくるめて、好き」
私はつっかえつっかえ、想いを口にした。
「……それはどうもありがとう」
恵の顔が赤くなったのを見て、私の頬の温度がますます上がった。もはや発火しそうだ。
「……ええと」
お互い赤くなって黙り込んでいると、仕切り直すように恵が咳払いした。
「正式な彼氏になったからには、これまで以上に頑張るよ。よろしくな」
恵がテーブルの上で手を差し出してきた。
「……はい」
はにかみながらその手を取ろうとしたとき、恵が急に手を引っ込めた。
「どうしたの?」
まさか気が変わったとか言わない……よね?
はらはらしながら待っていると、恵は真顔で言った。
「一つ約束して欲しいことがあるんだけど」
「は、はい。なんでしょう?」
つい緊張して背筋を伸ばし、声が裏返ってしまう。
「浮気しないでね」
「…………」
私は目をぱちくりさせた。
恵は至って大真面目な顔をしている。
何故こんなことを言うのかは、恵の元カノのことを思えば瞭然だ。
過去のトラウマを思い出したのか、恵の顔が翳った。
そんな顔はしてほしくない。
――ううん、私がさせない。
「大丈夫。不実な元カノのことなんて私が忘れさせてあげる」
私は腰を浮かせ、上体を乗り出して恵の手を掴んだ。
恵が眼鏡の奥の目を見張る。
「恵だけを愛するって誓うよ」
私は恵の目を見つめて微笑んだ。
「……何に誓うの?」
ややあって、恵は試すような口調で尋ねてきた。
「そうだね、女神マールなんてどう?」
不敵に口の端をつり上げる。
マールはエターナルフォレストⅤに出てくる海の女神だ。
海の国の民は、女神マールにかけた誓いを破るとハリセンボンを飲まされる。
棘だらけの丸い魚を一気飲み。普通に考えて死ぬ。
「あはは。それじゃ絶対だな」
恵は気に入ったように明るく笑って、私の手を強く握り返してきた。
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