28:芹那のピンチに駆け付けたのは

 化学室やLL教室が入った特別校舎の裏手、学校の敷地を囲うコンクリートの壁沿いにトタン屋根のついた小さな自転車置き場がある。


 この自転車置き場は老朽化しているため、生徒たちは玄関脇に新設された大きくて立派な自転車置き場を使用していた。


 現在は錆の浮いた自転車が数台放置されているだけ。


 そんな寂れた自転車置き場の前で、芹那は三人の女子に囲まれていた。


「――だからさ。別れろって言ってんの」

 芹那の姿を見つけ、思わず飛び出しかけた私の手を恵が引っ張り、特別校舎の陰に隠れさせた。

 そして手を離し、スマホを取り上げる。


「――ああ、いた。特別校舎の裏、旧自転車置き場の前だ。――そう。コンクリート沿いの」

 恵が口早に報告する。

 通話相手は風間くんだろう。

 風間くんは早々に青葉くんを捕まえ、校舎を出てこっちに向かっているらしい。


「青葉くんを好きな子はたくさんいるのに、抜け駆けも甚だしいわ。なんでよりによってあんたなのよ。中学じゃぼっちの根暗だったくせに」

「ちょっと顔がいいからって調子乗ってんじゃないわ。あんたと青葉くんじゃ不釣り合いなの!」


「釣り合いが取れているとか取れていないとか、どうしてそれをあなたたちが決めるのかしら。あなたたちに一体なんの権限があるっていうの」

 泣くのではないかと思ったけれど、芹那は毅然と荒川さんの目を見返した。


 スカートの左ポケットが不自然に膨らんでいる。

 あのサイズ、多分、中に入っているのはいつも鞄に忍ばせているというイルカだ。


 傍目には一対三の構図で追い詰められていても、イルカに勇気を貰っているのか、怯えもせずに凛と胸を張る芹那を見て、私はいくらかほっとした。

 どうやら芹那は私の想像を遥かに超えて強かったらしい。


「はあ? あんた何様のつもりよ?」

 荒川さんの目に強烈な怒気が宿る。


「その言葉、そっくりお返しするわ。どうして青葉くんとの交際にあなたたちの許可を求めなきゃいけないのかしら。あなたたちは青葉くんの家族でも恋人でもない、ただのクラスメイトでしかないはずなんだけど。私の認識が間違っているのかしら? 間違っているなら教えてちょうだい」

 荒川さんたちは言い返せずに黙り込んだ。


「何も言わないということは肯定と捉えていいのよね? なら、あなたたちはただのクラスメイト。無関係な人たちにどうして文句を言われなきゃいけないの?」

 芹那は風に黒髪を靡かせながら、荒川さんを睨み据えた。


「青葉くんに思いを寄せる女子が大勢いることは知ってるわ。でも、誰と交際するかは青葉くんが決めることでしょう? 誰が泣こうと喚こうと私はこの恋を手放す気なんて毛頭ないの。期待に添えなくて、ごめんなさいね?」

 トドメのように、芹那は極上の笑顔を浮かべた。


 か……格好良い、芹那……!!

 私は感動に打ち震えた。


 何故芹那が私を頼らなかったのか。

 それは、誰かの庇護を必要とするほど、か弱くなかったからだ。


 いままで深く思い悩んでいたのは、過去の自分と決別し、青葉くんとの恋を貫き通す覚悟を決めるため。


 もう孤独に泣いていた少女はどこにもいない。

 ここにいるのは愛のために戦う、一人の強い女だ。


「言うようになったじゃない……」

 荒川さんがぷるぷる震えている。

 その顔は怒りで真っ赤に染まっていた。


「え。マジで?」

 隣でまだ通話中の恵が怪訝そうな顔をしながら、何故か自転車置き場を見た。

 どうやら屋根を確認しているらしい。


「強度的には大丈夫と思うけど……ああ。わかった。対処は綾人に任せるよ」

 通話を切ったらしく、恵がスマホを下ろす。


「何? どうかしたの?」

「綾人が一発かますから、耳塞いどいたほうがいいかもだってさ」

「耳を?」

 どういうことか尋ねようとしたとき、視界の端で動きがあった。

 芹那が荒川さんに胸倉を掴まれたのだ。


 大変!

 私は身体ごと向き直り、意識をそちらへ引き戻した。


「いい加減にしなさいよ! 殴られなきゃわかんないわけ!?」

 荒川さんが右手をあげる。

 それでも芹那は臆さず冷静に返した。


「後悔したいならどうぞ」

「待ってカナ!」

「暴力はまずいって――」

 慌てた取り巻き二人が荒川さんの手を掴み、制止しようとした直後。


 物凄い轟音が耳をつんざいた。


「!!??」

 誰もが仰天し、私はびくりと身体を震わせた。

 取り巻きの一人が「きゃあ」と悲鳴をあげ、もう一人は耳を塞いで身体を丸めた。


「……何なの?」

 荒川さんは呆然とし、芹那から手を離した。

 芹那も荒川さんと同じく口を半開きにして、呟いた。


「……青葉くん?」

 芹那の視線を追えば、自転車置き場の屋根の上に青葉くんが立っていた。


 察するに、コンクリートの壁の上を歩いて――もしくは走って――から、勢いをつけてトタン屋根に飛び移ったらしい。


 青葉くんは湿り気を帯びた風に髪をそよがせ、灰色の曇り空を背に、芹那を囲む女子たちを見下ろしている。


 刃物のように鋭い視線を受けて、荒川さんが顔を引き攣らせた。


 青葉くんは登場から数秒が経っても一言も発していないけれど、激怒していることは言わずもがな。

 空気すらも彼の激情に呼応して、ピリピリと帯電しているかのよう。


 轟音を伴う不意打ちの一手で完全に場を支配した青葉くんは、無表情のまま芹那を見て、口を開いた。


「芹那。無事?」

「……ええ。見ての通り」

 芹那は微笑んでみせた。


「そう」

 青葉くんは足音を立ててトタン屋根の端に行き、躊躇なく飛び降りた。


 膝の屈伸だけで衝撃を逃がし切った青葉くんは、荒川さんたちの前に立った。


「申し開きがあるなら聞こうか。芹那を呼び出したんでしょう? どういう理由で? 当然僕が納得できることだよね?」

 声に抑揚はなく、冷気すら感じる。


「……あの……それは……」

 初めて見るであろう激怒した青葉くんの姿に、荒川さんは色を失くしている。

 助けを求めるように二人を見たけれど、二人は上手な言い訳を思いつかなかったらしく、首を振った。


 もはや荒川さんは俎上の魚でしかない。

 怒り狂った青葉くんがこの後どういう行動に出るのか、想像もつかない。

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