27:予期せぬ嵐
「……確かに。おかしいな。どこ行くんだ?」
「ちょっと待って……」
脳がフル回転を始める。
思い返してみれば、芹那の様子がおかしくなったのは五時間目の体育からだ。
体育は男女別で、四組の女子との合同授業となっている。
初めての体育のとき、私はぎくりとした。
入学式の後、転んだ芹那を嘲笑していた
体育の時間中、荒川さんたちの悪意から守るために、私はできる限り芹那の傍を離れないようにしてきた。
でも、私は今日の体育の授業の後、トイレに行った。
そのときに芹那は荒川さんたちから何か言われたんじゃないだろうか。
もしも荒川さんたちも青葉くんのことが好きだったとしたら――
別れる間際の芹那の台詞を思い出す。
――『そっちは』デートよね。頑張ってね。
じゃあ、芹那は?
「……やばいかもしれない!」
疑惑は確信へと変わり、私は青くなって恵の腕を掴んだ。
「何が?」
戸惑ったように、恵が眼鏡の奥で瞬きの回数を増やす。
「芹那を連れてったのは荒川さんたちかも! 入学式の日のこと覚えてるでしょ!? 転んだ芹那を嘲笑した子たちは青葉くんと同じ四組なんだよ! 芹那が青葉くんと付き合い始めたから、調子乗んなとか、変な言いがかりをつけるために呼び出したんだよ! どうしよう!」
私は恵の腕を揺さぶった。
恵に訴えても仕方ないとわかっているのに、高ぶる感情を持て余し、吐き出す相手が必要だった。
「芹那は気の弱い、普通の子なんだよ! 囲まれて悪口言われたら泣いちゃうよ! 助けに行かなきゃ! ああもうあの子、なんでおとなしくついて行ったんだろ。行かないって突っぱねてれば、せめて私に相談してくれてたら。なんで一人で――」
「落ち着け」
背中を叩かれた。
そのおかげでようやく、自分でも制御不可能だった口が止まる。
「萌が混乱してどうするんだ。慌てなくても大丈夫、いくらなんでも暴力を振るうなんてことはないだろ」
「でも」
「うん」
わかっている、とでもいうように、恵が頷く。
眼鏡のレンズ越しにしっかりと、私の目を見つめて。
力強いその目が、身体中を荒れ狂っていた混乱の嵐を鎮めてくれた。
「助けに行こう。でもそれをやるべきはおれたちじゃない。綾人だ。萌が江藤さんの立場だったら、誰より助けて欲しい相手は綾人だろ?」
「うん」
窮地に陥ったら、誰だって好きな相手に助けられたいと思うだろう。
きっと芹那だって、友達の私よりも青葉くんに助けられたいはずだ。
それに、芹那が荒川さんたちに呼び出された理由は青葉くんとの交際が気に入らないから。
芹那への嫉妬が原因だというなら、事態を収束させられるのは青葉くんしかいない。
「じゃあ、私はどうしたらいい?」
耳が階段を下りてくる足音を捉えた。
それが誰かを確認する余裕はなく、私は視界に恵だけを捉えた。
「萌は江藤さんを探して、見つけたらおれに連絡して。もし危なそうだったら割って入って止めろ。おれは綾人を探しに行く――」
「そこのお二人さん、どうしたの? やたら深刻そうな顔しちゃって」
声が降ってきた。
「え」
首を巡らせ、斜め上を見る。
「綾人ならまだ教室にいたけど、必要とあれば連れて来ましょうか?」
踊り場に下りてきたのは風間くんだった。
ヒーロー参上とばかりに、ドヤ顔で腰に手を当てている。
その手に鞄はない。
周りに女子の姿もない。
これは非常に珍しいことだった。
私たちがやたら深刻そうな顔をしていたから、階段を下りる途中で引き連れていた女子軍団と別れたのかもしれない。
「なんでここに。部活は」
突然の登場に驚いて、どうでもいいことを質問してしまった。
「バスケ部は月曜が休みですよん」
ピースしてみせる風間くん。
「あ」
そういえば同じバスケ部の子がそんなこと言ってたな。
「俺もさっき図書室にいたのさ。読書好きの女子に付き合ってね。二人の姿が見えたから、ちょっとからかってやろうと思って後をつけてみたんだけど、どーもそんな雰囲気じゃなさそうじゃん? んで、どしたのよ?」
ふざけた言葉の調子とは裏腹に、追及する風間くんの目は鋭かった。
「江藤さんがお前のクラスの女子に連れて行かれたんだ。おれと萌は江藤さんを探しに行く」
恵は私を一瞥した。
風間くんが仲間に加わったから、二手に分かれる計画を変更したと言いたいようだ。
頷くと、恵は風間くんに視線を戻した。
「部室棟や第二体育館……いや、それはいまの時間帯、人がいるから可能性は低いな。廃棄された古い自転車置き場か、裏の雑木林か、そこら辺にいると思う」
恵は思案顔で言い、風間くんを見据えた。
「とにかく、見つかり次第連絡するから。綾人連れて来てくれ」
「了解」
風間くんは言うや否や、階段を二段飛ばしで駆け上り、あっという間に消えた。
「……凄い速さ」
呆然と呟く。
「いっつもふざけてるけど、やる時はやる奴だよ、あいつは。おれたちも行こう」
「うん!」
急いで階段を下りようとした途端、バランスを崩した。
前傾姿勢になり、ぐらりと視界が傾く。
落ちる!
この高さなら落ちても死にはしないだろうけれど、それでも相当に痛い思いをするのは確実だ。
左手から鞄が離れ、恐怖で心臓が縮む。
ぎゅっと目を閉じたとき、横から抱き留められた。
回された腕が私をその場に留め、そればかりか大きな力で引っ張り、浮いた踵を下ろさせてくれた。
鞄が立ち続けに床に落ちた音がする。
立て続け――階下からは二回音がした。
「………………」
目を開ければ、恵が私を抱きかかえてくれていた。
密着した腕に、息遣いすら感じる至近距離に、頬の温度が跳ね上がる。
私を抱きしめたまま、恵が大きく安堵の息を吐いた。
その息が額にかかって、心臓が一層激しく収縮を繰り返す。
「……あのな」
恵は抱擁を解き、ずれた眼鏡を指で押し上げ、私の肩に手を置いた。
「萌はな。祐基ほど運動神経よくないんだから。急がなくていいから。気を付けて。マジで。本当に。頼むから」
私の肩を掴んで懇々とお説教する恵は、苦虫を嚙み潰したような渋面。
もう本当に勘弁してくれって、顔に書いてある。
階下では鞄が二つ転がっている。
鞄を放り投げて、衝撃に眼鏡がずれるのも構わず、とっさに私を助けてくれたんだ。彼は。
「はい……」
縮こまっていると、恵が無言で手を差し出してきた。
たったいま転落しかけた事実がある以上、拒否権はない。
「すみません、お手数おかけします……」
私はその手を取り、恵に導かれるまま階段を下り切った。
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