18:大事な友達

 オリエンテーションが終わった二日後、日曜日の昼下がり。

 私は芹那に招かれ、彼女の家にいた。

 芹那と折り畳み式の小さなテーブルを囲み、ラグマットの上に座っている。


「芹那が家に友達を連れてくるなんて何年ぶりかしらね」

 二階の部屋までジュースとお菓子を持ってきてくれた芹那のお母さんは、テーブルにコップを置きつつ、嬉しそうに私を見た。


 芹那のお母さんはすらりとした細身の美人だ。

 芹那の美貌はお母さん譲りなんだな。


「この子、家でもよく萌ちゃんのことを話すのよ。楽しそうに」

「そうなんですか。光栄です」

「余計なことは言わなくていいから」

 お母さんを睨む芹那の頬は少しだけ赤い。


「これからも芹那と仲良くしてやってね」

「はい。もちろんです」

「もういいから下がっててよ、お母さん」

「はあい、邪魔者は退散します。萌ちゃん、ゆっくりしていってね」

「ありがとうございます」

 私が頭を下げると、芹那のお母さんはトレーを持って立ち上がり、部屋の扉を閉めた。

 遠ざかる足音に続いて、階段を下りる音がする。


「…………もう」

 芹那は頬を赤くしたまま、オレンジジュースが入ったコップを傾けた。

 照れくさそうな彼女を見て笑い、「いただきます」と断ってからコップを手に取り、興味深く部屋を見回す。


 カラーボックスに収納された漫画や小説。

 勉強机には畳んだノートパソコンが置かれ、本棚には教科書や参考書が収められている。

 芹那の几帳面な性格を表すように、全てが見栄えよく整頓されていた。


 小物の類は少ないけれど、一つ気になるものがあった。

 勉強机の上、椅子に座ったらちょうど真正面に見える位置に、キーチェーン付きのイルカのぬいぐるみマスコットが飾られているのだ。


 ピンク色のイルカで、頭に水色の花をつけている。


 100均に売ってそうなクオリティだけど、なんでわざわざ飾ってるんだろう?


 他に飾ってある小物はどれもセンスがいいのに、あれだけ明らかに浮いている。


「ねえ、あのピンクのイルカはお気に入りなの?」

 私が指さすと、芹那はぎくりとしたように身を震わせた。


「そう。可愛いから」

 そっけない口振りで、芹那が再びジュースを飲もうとする。


「大切な人からの貰い物とか?」

 ぐふっ、と芹那は奇怪な音を立てた。

 コップから口を離して咳き込み始める。


「大丈夫? ごめん、そこまで動揺するとは思わなくて」

 私は芹那の背中を叩いた。

 咳の発作が落ち着いてから、芹那はテーブルを見下ろし、己の愚を呪うように呟いた。


「……隠しておけば良かったわ……」

「誰から貰ったの?」

 好奇心を乗せた問いをぶつけると、芹那は口をへの字に曲げてから白状した。


「……青葉くんよ」

「えーっ! なんで、どういう経緯で? まさか青葉くんって、芹那の彼氏とか――」

「言わないわよ。変な妄想は止めてちょうだい」

 芹那はジト目で私を黙らせた。

 それでも私が『聞きたい!』という欲求を全開にして見つめ続けたからだろう。


「……中学のときにもらったのよ」

 いかにも仕方なく、といった調子で芹那は語り始めた。


「私の中学は部活動が必須で、私と青葉くんが吹奏楽部だったと話したのは覚えてる?」

「うん。芹那と青葉くんは中二から二年間同じクラスで、中三のときは風間くんも同じクラスだったんだよね」

 ちなみに恵とは一度も同じクラスにならなかったそうだ。


「青葉くんは昔から思いやりに溢れた優しい人だったわ。中二の放課後、友達からハブられてこっそり泣いてた私を見つけて、一口サイズのチョコレートをくれたの。購買部で買ったからあげる、甘いものを食べると元気になるよって、笑ってね。何があったのかは聞かなかった。踏み込んでこなかったの。私はその優しさに救われた」

 回想しているのか、芹那は淡く微笑んだ。


 その柔らかな表情を見て、私はかつて芹那が言っていたことを思い出した。

 芹那は並外れた美少女であるが故、幼い頃から痴漢やストーカー被害に悩まされ、異性には苦手意識があったという。


 だから、誰に告白されても心を動かされることはなく、相手がどんな美形でも断ってきたそうだ。

 それがまた「お高く留まりやがって」と、ひねくれた非モテ女子たちの反感を買う結果になったらしいけど。


 ともあれ、青葉くんの紳士な態度は、芹那の中の異性に対するマイナスイメージを大きく変えたのではないだろうか。

 そのとき芹那は、世の中にはこんな男性もいるんだと、目から鱗が落ちる思いをしたのではないだろうか。


「通りすがりの、一度きりの優しさだと思ってたのに、彼はそれからも私のことを気にかけてくれたわ。特に印象深く覚えているのは秋の夕暮れを一緒に見たこと。彼は夕陽が綺麗だからと、出入りが禁止されていた特別校舎の屋上に連れて行ってくれたの。私のヘアピン一つで鍵を開けたときは驚いたわ。非の打ち所がない優等生で通ってたのに、彼は先生に怒られるリスクを冒してくれたのよ。あの日彼と見た夕焼けは本当に綺麗だった。信じられないくらいに。いまでも瞼に焼き付いてる」

 喋り続けて喉が渇いたのか、芹那はジュースを一口飲んだ。


「吹奏楽部員の中にはクラスメイトもいてね、教室と同じように悪口を言いふらされたわ。根も葉もない噂まで立てられそうになったけれど、完全に広まる前に風間くんが止めてくれた」


「風間くんが? なんで?」

「それがね」

 芹那は私を見て、口の端を持ち上げた。

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