17:たとえ時間を巻き戻しても

「しかもコンビニでねえ」

 風間くんの隣に座る青葉くんが缶のプルタブを開けながら呟いた。


「コンビニでっ!? コンビニ……はっ、もしかしてトイレ? トイレで淫らな……?」

「違う、誤解!!」

「そうだ、違う! 断じて違うから!!」

 軽蔑すら籠った疑惑の眼差しを交互に向けられ、私たちは真っ赤になって否定した。


 風間くんは突っ伏してテーブルをバンバン叩きながら笑っているし、青葉くんは涼やかな無表情でカフェオレを啜っている。

 どうやら青葉くんの怒りはまだ解けていないようだ。


「だから本当に違うんだってば……!!」

 大騒ぎする私たちを、周りの生徒たちが好奇の目で見ている。

 芹那の目にも、周囲の目にも、もうこれ以上は耐えられそうにない。


「わかった、降参! 正直に言うからその零下の眼差しは止めてお願い!?」

 じりじりと後退し続け、いまや長椅子の端っこにいる芹那の腕をひしっと掴み、私は懇願した。


「私いま、あなたと縁を切るかどうか迷ってるんだけど。その必死さに免じて聞いてあげるわ」

「弁解の余地を与えてくれてありがとう。でもその前に場所を変えよう」

 さすがに皆の注目を浴びている中で深夜に抜け出した事実を暴露するのはまずい。

 私は芹那の腕を掴み、立ち上がらせた。





「馬鹿なの?」

 人気のない裏庭で真実を打ち明けると、芹那は心底呆れ果てたような顔と声で言った。

 春の夜風に彼女の長い髪がなびいている。


「もっと言ってやって、江藤さん」

「綾人……悪かったって言ったじゃん……」

 冷ややかな態度を崩さない青葉くんに、恵が情けない声音で言う。


「いーや、そう簡単に許すわけにはいかないね。もし君に手を貸したことがばれたら、品行方正な優等生として広く先生方に認知されている僕の評価も地に墜ちる」

 カフェオレ片手に、ぷいっと顔を背ける青葉くん。


「それがわかってて手を貸してやるんだから、お前も大概お人好しだよなー」

「誰が巻き込んだと思ってんだ……?」

「いやん、あやちゃんこわーい」

 青葉くんに凄まじい形相で睨みつけられ、風間くんが缶を握った右手と左手を顎の下にやり、いかにもぶりっ子のポーズを作って首を振った。


「…………」

 青葉くんが憤怒のオーラを立ち上らせながら、缶を静かに地面に置いた。

 そして、あろうことか――無言で風間くんの首を絞め始めたではないか!


「青葉くん!?」

 泡を喰って言ったのは芹那。


「ちょ、ごめ、俺が悪かったから!」

 風間くんが青葉くんの腕をぺしぺし叩く。

 喋る余裕がある時点で本気で力を込めてないのはわかるけれど、見てるだけで怖い! 目が据わってるんだよ青葉くん!


「落ち着け綾人! 絵面がヤバいわ、もし先生に見つかったら内申に響くぞ!?」

 恵が慌てて割って入り、青葉くんを引きはがした。

 すんなり剥がれたことからして、やっぱりそれほど力はこもってなかったらしい。


 でも、青葉くんは手を離すときに舌打ちした。

 温厚な彼が舌打ちするとは……。

 よっぽど『あやちゃん』呼ばわりが嫌だったらしく、彼は殺気すら漂わせていた。


「あー死ぬかと思った」

「二度とあやちゃんって呼ぶな。次呼んだら殺す」

 吐き捨てて、青葉くんは缶を拾い上げ、立ち去った。


「やれやれ。あいつまーだトラウマなんだなー」

「トラウマって?」

 跡も残っていない首を掻いている風間くんに、芹那が尋ねた。


 芹那は彼らと同じ中学に通っていて、部活は青葉くんと同じ吹奏楽だったらしい。


 友人がほとんどいなかった暗黒の中学時代、青葉くんが部長を務めていた部活動の時間だけは楽しかったと言っていたから、気になるのだろう。


「ああ。萌ちゃんには話したことがあるけど、芹那ちゃんは知らないか」

「……私は『ちゃん』付けで呼ばれるほどあなたと親しくなった覚えはないんだけど」

 芹那が愚痴るように零した。


「細かいことは気にしない。それとも聞くの止める?」

「……どうぞ、ちゃん付けでもなんでも、好きに呼んでちょうだい」

 知りたい欲求が勝ったらしく、早々に芹那は白旗を上げた。


「よろしい。萌ちゃんには前に話したことがあるんだけど、小さい頃、綾人はめちゃくちゃ可愛くて、その可愛さと女子たちの人気ぶりに嫉妬したクソガキどもから虐められてた時期があるんだよ」

「え」

 芹那が軽く目を見張った。


「そのとき虐めっ子から『あやちゃん』ってからかわれたのがトラウマらしくて、そう呼ばれるとブチ切れるの。ご覧のとーり」

「なんでわかってるのに呼ぶんだよ……」

 恵が渋面になる。


「いやあ、つい」

 てへっと笑う風間くん。

 表情から察するに、全く凝りてないようだ。


「風間くん、笑ってる場合じゃないわよ。人が嫌がることをするのは間違ってるわ」

 珍しく芹那が強い眼差しで風間くんに抗議した。


 その反応を見て、おや、と思う。

 もしかして、芹那って?


「おやおや? 芹那ちゃんってもしかして綾人のこと」

 私と同じ発想に至ったらしく、風間くんがにやっと笑った。


「!!! ちちち違うわよ! 人が嫌がることはしないっていうのは人の道というか道理というか、幼児でも知ってる当然の共通概念でしょう!? 妙な勘繰りは止めてちょうだい! そうよ、いまは青葉くんより赤石くんのことよ!」

 赤面してまくし立ててから、芹那はきっと恵を睨んだ。


「あなたが度を超したゲーム好きなのはわかっているけれど、私の友達まで巻き込むのは止めてちょうだいね!」

「待って芹那、それは違う」

 私は芹那の手を掴み、その目を見つめて訴えた。


「恵は最初からついてくるべきじゃない、もう遅いから寝ろって言ってたんだよ。その忠告を無視して勝手について行ったのは私。私は巻き込まれたんじゃない、自分から巻き込まれに行ったの。だから恵を怒るのはおかしい。馬鹿なことをしたっていうなら、その説教は私が受けるべき」


 でも、たとえ芹那や万人が愚かな選択だと言っても、私は自分が取った行動を後悔していない。


 借りたパーカーや繋いだ手の温もり。道中で交わした他愛ない会話。コンビニでルシファーを引き当てたときに恵が見せたとびきりの笑顔。

 その一つ一つがあのとき二人で見た星空よりも美しく、いまも胸の中で光っている。


 もし私がおとなしく恵の忠告に従っていたら、あんな思い出は作れなかった。


 だから、たとえ時間を巻き戻しても、あのとき私が取る選択肢は、布団の中で安眠を貪ることじゃなく、枕元に畳んであったパーカーを引っ掴んで外に飛び出すことだけだ。


 そりゃあ、青葉くんには迷惑をかけてしまったけれど……後で私からももう一度、彼にはきちんと謝っておこう。


「…………そうなの?」

 芹那がバツが悪そうな顔で恵を見る。


「ごめんなさい。私はどうやら誤解していたみたい。そもそも、萌が自分の意思でそうすることを選択したと言うなら、たとえ友人であろうとそうでなかろうと、他人がどうこう言う権利はないわね」


「いやでも、元はといえばおれのせいだよ。おれが抜けだしたりしなきゃ萌がついてくることはなかったんだから」

「そうそう、諸悪の根源は恵で間違いないからなー」

 手を振る恵の隣で、風間くんがしたり顔で顎を引いた。


「……そう……じゃあ、私はこれで失礼するわ」

 気まずそうに言って、芹那が長い髪を翻す。


「私も行くよ。じゃあね、二人とも」

「ああ。また明日」

「またねー」

 私は部屋へ戻る途中、芹那に今日一日心配をかけたことを詫び、改めてお礼を言った。

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