19:ようこそネトゲ世界へ
「青葉くんに相談されたんですって。同じ部員の青葉くんが注意したら角が立ってしまう。何より、下手に注意してますます私が女子に嫌われたら意味がない、どうしようって。風間くんは『そんじゃ無関係の俺が一発かましてくる』って答えて、本当に何かしたらしいわ。具体的に何をしたのかは教えてくれなかったけれど、その日から私の悪口を言う子はいなくなった。少なくとも部活動中は平和になったわ」
再びジュースを飲み、芹那は首を捻ってイルカを見た。
「青葉くんがくれた中で、形として残るものはあのイルカだけだった。友達とゲーセンに行ったときに取ったんですって。きっと赤石くんや風間くんと一緒に行ったんでしょうね」
大事なものを慈しむ様な、愛しむ様な、そんな目で芹那はイルカを見ていた。
「あのイルカは、私にとって暗黒の中学時代を共に乗り切った戦友であり、宝物なの。いつだって鞄の中に潜ませたあの子が私を励ましてくれたわ。あの子を見てたらどんな苦しみも和らいだ。だって、見てよあの間の抜けた顔――」
笑ってこちらに向き直った芹那は、驚いたように目を見張った。
きっと私が涙ぐんでいたからだろう。
「芹那と同じ中学だったら良かったのになあ……」
私は指先で涙を拭いながら言った。
「もしも私がそこにいたら、芹那を独りにはさせなかったし、悪口を言う子から守ることだってできたのに」
悔しい。無い物ねだりだとはわかっているけれど。
「な、何よ、大げさね。昔の話だって言ってるでしょう。あんたが気に病むことなんてないのよ。私は十分萌に救われて――ああもうっ、恥ずかしいこと言わせないでよね!」
ばんばん激しく背中を叩かれて、息が詰まった。
「辛気臭い昔話なんてどうでもいいのよっ。そうよ、私に何か言いたいことがあったんでしょう、言いなさいよ!」
「ああ、うん」
私は目を白黒させながら背筋を伸ばし、恵から許可を取った事実を口にした。
「実はね、私と恵が付き合ってるっていうのは嘘なの。私は恵に頼まれて、女子対策として彼女役を演じてるだけなの」
「……そうなの?」
完全に信じていたらしく、芹那はびっくりしていた。
「うん。高校で知り合う前から、私と恵は同じオンラインゲームで遊ぶネトゲ友達だったんだ。お互い重度のゲーマーだってことと、その二年の縁があったから、恵は私に彼女役を頼んだんだと思う。ついでに言うと、風間くんと青葉くんも同じネトゲ友達だったんだよ」
「ふうん。そうなの……」
芹那が何事か考え込んでいる間に、私はジュースを飲んだ。
爽やかなオレンジの酸味が喉を突き抜けていく。
このオレンジジュースは果汁100%みたいだな、なんて呑気に思っていると。
「でも、彼女役がどうとかは置いといて、萌は赤石くんのことが好きなんでしょう?」
「………へっ!?」
その言葉はまさに、青天の霹靂だった。
芹那はなにをそんなに驚くんだ、とでもいいたげな顔で私を見ている。
冗談ではなく、本気でそう思っているらしい。
「違うよ、私はあくまで彼女として振る舞ってただけ! 話聞いてた!?」
わたわたと両手を振る。
「じゃあ、赤石くんのためにわざわざ深夜に抜け出したのは何故? 誰も見てないのに彼女役を演じる意味はないわよね?」
「う」
確かにあのときは彼女役とか関係なく、私は私の意思で、恵のために外に出た。
心配だったからだ。
でもそれは、クラスメイトとして?
それとも……それとも?
「認めなさいよ。好きなんでしょう?」
「……いや……それは……どう……かなあ?」
これまで恵が私に見せた表情が次々と蘇る。
ルビーと言い当てられて驚いた顔、寝不足でうつらうつらしている姿、無防備な寝顔、熱くゲームを語る姿、子どもみたいに拗ねた顔、そして――コンビニで見せた飛び切りの笑顔。
恵のことはもちろん好きだけど、それが恋愛感情なのかと言われると……どうなんだろう?
昨日も彼とボイスチャットをしながらシャンテで遊んだけど、それはもはや日課のようなもので、特にドキドキするようなことはなかったし……。
「二年近くの付き合いがあったとはいえ、それはネトゲの中の話だし、実際に会ってまだ三週間も経ってないし……」
「馬鹿ねえ、人を好きになるのに時間なんて関係ないわよ。出会ってすぐ、一目惚れすることだってあるんだし」
芹那はコップを両手で持ち、優雅にジュースを飲んでいる。
人を大いに混乱させておいて、彼女だけ余裕たっぷりなのが面白くなくて、私はきっと眼差しを鋭くした。
「そういう芹那はどうなのさ。青葉くんのこと好きなの?」
「ち、違うわよ! 彼には感謝してるけれど、そこに恋愛感情はないわ!」
芹那は大いに慌てた。
そうだ、彼女にも混乱してもらわなければ不公平だ。
「彼に貰ったイルカを宝物だって言って、あんなに大事そうに飾っておいて?」
口元をつり上げる。
「宝物だから飾って何が悪いのよ! 大体、青葉くんは人気者なのよ! 女子は選び放題、私なんて眼中にないわよ!」
「ほーう、眼中にないことを嘆くってことは、つまり好きってことですよねー?」
「…………っ!!」
完全な失言だったと悟ったらしく、芹那の顔が熟れたトマトよりも赤くなり――ついに爆発した。
「このっ……調子に乗るんじゃないわよ!!」
「きゃー!」
涙目で錯乱した芹那に首を絞められそうになり、私は笑いながら逃げた。
壁に背中を押しつけ、両手を振る。
「まあまあ、落ち着いて。一つ提案があるんだよ」
「何よ」
毛を逆立てた猫のようにふーっと息を吐き、目で威嚇しながら、芹那。
「芹那も私たちと同じネトゲで遊ばない?」
芹那をシャンテに誘うことは、既に三人から了承を得ていた。
「そしたら放課後、芹那も青葉くんと遊べるよ。ほぼ毎日入り浸ってる私や恵と違って、青葉くんはログイン率が低いけど、土日は大抵いるよ」
「え……じゃあ、今日日曜日だし……」
芹那はあからさまに挙動不審になった。
意味もなく身体の前で手を組み合わせ、もじもじしている。
「い、いえ、でも、私、ネトゲどころか、ゲーム自体やったことないし……足手まといになるだけなんじゃ……難しそうだし……」
「難しくない難しくない、大丈夫。万が一死んでも僧侶の私が蘇生してあげるから。操作方法だってばっちり教えるし」
「……そう?」
「うん。ってわけで、パソコン借りていい?」
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