25:放課後までのカウントダウン

 翌朝。

 私は眠い目を擦りつつ、登校中の生徒に混じって坂を上っていた。

 寝不足状態での山登りは大変だ。

 霧波高校の立地をこれほど恨めしく思ったことはない。


 他の生徒たちが楽しそうにお喋りしながら、足の遅い私を追い越していく。


 皆、なんであんなに元気なんだろう。

 ああ、朝陽が目に染みる。

 いますぐ家に帰って温かい布団の中に潜り込みたい。

 寝つきの悪い私だけど、いまなら秒で眠れるわ。自信ある……。


「ふわあ……」

「すごいあくびだな」

「うわあっ!?」

 急に背後から話しかけられ、私は飛び上がった。


 振り返れば、斜め後ろに恵が立っている。

 なんてことだろう。

 片思いしている相手に大あくびしてるところを目撃されるなんて。

 とんでもない失態に、私の頬は熱くなった。


「おはよ。どうしたんだ、寝不足? もしかしてゲーム?」

「ま、まあ……」

 恵に告白するために夜更かしして、さらにその後も恵のことばかり考えて眠れなかっただなんて、言えるわけがない。


「何だよ、人のこと言えないじゃん」

 オリエンテーションの夜のことを回想しているのか、恵が笑う。

「そうね……」

 私の頬は引きつった。


 好きとはいえ、私はあなたのように睡眠時間を削るほどゲームに狂ってはいない。

 他ならぬあなたに告白するために下準備してたんだよ! と、叫べるものなら叫んでやりたい。


「エスコートが必要なら手を貸しましょうか?」

 おどけたように言いながら、恵が鞄を持ち替え、空けた左手を差し出してきた。


「えっ? な、なんで?」

 予想だにしない提案に、眠気も吹き飛んだ。

 他の生徒たちも見てるのに?


 いや、私と恵は表向き付き合ってることになってるんだから、手を繋いで登校しても別に問題はないのか? 


 でも、学校は不純異性交遊禁止じゃなかったっけ?

 あ、先生たちにばれないように、校門の前で手を離せばいいのか――いや、だからそういう問題じゃなくて、私の心臓がですね……!


「なんでって、足取りも覚束ないし、見てて危なっかしいから。目の前でぶっ倒れて怪我されても困るし。萌だって、バスの中で肩貸してくれたじゃん。そのお礼ってことで」

 混乱している私に、恵はさらに一歩近づいてきた。


 必然、差し出された手も私に近くなる。もう目の前だ。

 恵が私を見つめて、口を開く。


 嫌ならいいよ、というお約束の言葉が吐き出される前に、私は腹を括って恵の手を取った。


「ありがとう」

 にっこり笑ってみせる。


 いつもためらってばかりいた私が素直に甘えるとは思わなかったらしく、恵は目をぱちくりさせて、珍しい言葉遣いをした。


「お、おう」

 恵がどもった! 

 なんとなく勝ったような気分になる。

 たまには私が恵を動揺させるのも悪くないかも。


「じゃあ行こう」

 私は恵の手を引いて歩き出し、横目で恵の様子を窺った。

 恵は「なんか調子狂うな」とぼやいて頭を掻いている。


 それから、私たちは他愛ない話をした。

 恵は昨日も一日一時間の禁を破ってゲームしてしまったらしい。

 青葉くんの目を気にしてシャンテで遊べなくても、家庭用ゲーム機も手軽に遊べるスマホゲームもあるんだから、このゲーム馬鹿から完全にゲームを取り上げるなんて不可能なのである。


「あのさ」

「ん?」

 呼びかけに応じて、恵がこちらを向く。

 恵の茶色がかった髪が、吹き抜ける風に揺れている。


 触れてみたいと思った。

 柔らかそうなその髪に。その綺麗な顔に。


 触れたらどんな感じなんだろうと、私は恵の頬に触れた感触を夢想する。

 手は繋いでいるのに、もう十分なはずなのに、恋心とは厄介なもので、どこまでも貪欲だ。


 友達のままじゃ嫌なんだ。

 この人の全てを独占してしまいたい。

 半端じゃなくて、全部欲しい。


「えっと……もういいよ、手を繋がなくても。恵と喋ってたら眠気もどっかに行っちゃった」

「そ」

 恵が手を離す。


 まだ手に残る温もりを惜しむように、私は右手を握り込んだ。


 もしフラれたら、ハーディの札役も終わり。

 お互い気まずくなって、恵がこんなふうに優しくしてくれることもなくなるんだろうな。

 手を繋いだのも、これで最後になるかもしれない。


「……………」

「何。考え事?」

 地面を見つめていると、恵が横から覗き込んできた。

 顔が近い!


「わっ。ううん。何でもない」

 私は動揺しながら一歩横に引いた。


「ならいいんだけど。悩み事があるなら聞くよ?」

 だからあなたのことなんですってば。


「……本当に大丈夫だから」

 もう苦笑するしかない。


 恵って、青葉くんばりに鈍いよね。

 やっぱり私を女子として全く意識してないんだろうなぁ……。


「そうだ、放課後エンドラするって言ったけど、場所はいつものカフェでいい?」

 気を遣ったのか、恵は話題を変えた。

 放課後。決戦の時。

 私は再び、右手を強く握った。


「いいよ。一緒に行こう」

「うん」

 にこっと笑うその顔を見つめて、どうか、告白を受け入れてもらえますようにと、祈らずにいられなかった。






「まあ、萌も告白するのね!」

「しーっ、声が大きい!」

 事情を打ち明けた途端、芹那が大声で言うものだから、私は慌てて人差し指を自分の唇に押し当てた。


 芹那が両手で自分の唇を覆う。

 そうしてお互いそれぞれが自分の唇を塞いだまま、揃って教室の斜め前方を見ると、恵は自分の席で友達と談笑していた。


 私たちの声は聞こえなかったようだ。席が遠くて助かった。

 幸い、私たちの周囲には誰もおらず、会話に聞き耳を立てている子もいない。


「……ごめんなさい。危ないところだったわね」

 バツの悪そうな顔をしながら、芹那が手を下ろす。


「でも、よく決意したわね。ひょっとして私に触発されたのかしら?」

 芹那が机に頬杖をついて微笑む。


 期間限定とはいえ、晴れて彼女の座を手に入れた彼女は幸せそうだ。

 今朝も顔を合わせるなり「青葉くんから名前で呼んでもらった」と嬉しそうに報告してくれた。


「うん。芹那の頑張りを見てたら、私も頑張らなきゃって思って」

 私は芹那に微笑み返したけれど、

「…………正直に言うと逃げたい。地の果てまで逃亡したい」

 すぐに笑みを消して、席に突っ伏した。


「あら。怖気づいたの?」

「うう、だって、フラれたらと思うと怖すぎるもん。恵って、全然私のこと意識してないっぽいし……ああ、やっぱり止めようかなぁ……私は芹那みたいな美人じゃないし、鼻で笑われたりしたらどうしよう……立ち直れない……」

「何言ってるの」

 この期に及んでぐじぐじと情けない私に、芹那が呆れ声で言う。


「赤石くんがそんな人じゃないってことは、萌が一番よく知ってるでしょうが。そういう彼だから好きになったんでしょう? ずっと偽彼女のままでいいの? 一生ゲーム友達でいるつもり? 赤石くんが誰かと付き合うことになっても平気なの?」

「平気じゃない」

 私は起き上がり、きっぱり言った。


 恵の傍で女子が笑う姿を想像するだけで胸が掻き毟られるようだ。

 ゲーセンでは見知らぬ他人から「格差ありすぎ」とまで言われて傷ついたけれど、恵本人が怒り、突っぱねてくれた。

 だから、他人の評価なんて知ったことじゃない。


「私は誰よりも恵の傍にいたい。偽彼女じゃなくて、堂々と、本物の彼女として胸を張りたい」


「ちゃんと言えるじゃない」

 真顔で私の言葉に耳を傾けていた芹那は、口の端を持ち上げた。


「その言葉をそのまま赤石くんに伝えればいいのよ。大丈夫。私は完全に賭けだったけれど、萌の場合は絶対にうまくいくって保証してあげる」

 励ますように、芹那は私の肩を二回叩いた。


「なんでそう言い切れるの」

「……むしろ私はなんでそうも鈍感なのか不思議で仕方ないわよ。赤石くんが積極的に話しかける女子は萌しかいないって気づいてないの?」

 何故憐れむような目で私を見るのか。

 いや、『憐れむような』じゃなくて、間違いなく憐れんでるよね?


「それは私がゲーム友達だからでしょ?」

 趣味を共有しているから恵は私に話しかけてくるのだ。

 わかりきった問いかけなのに、芹那は何を言っているんだろう。


「……はあ」

 芹那は肩を落とし、額を押さえて首を振り、恵のほうに顔を向けた。

 窓を背後にして、恵はクラスメイトの男子と笑っている。


「赤石くんも大変ねえ……ハーディの札とか言ってけん制されまくった挙句、万事この調子だもの。そりゃあ、萌も赤石くんも度を超えたゲーム馬鹿だけど、それだけであんなに良くするわけないじゃない。朝は仲良く手を繋いで登校したらしいし、ゲーセンで二人きりなんて、デート以外の何だって言うのよ……」

 芹那が恵を見つめて何か言っているけれど、声が小さすぎて聞き取れない。


「え、いまなんて?」

 首を傾げると、芹那はかぶりを振った。何故か疲れた顔で。

「とにかく、応援してるから。逃げずに頑張りなさい」

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