21:彼は手ごわい鈍感男子?

 それぞれのリクエストに応じて飲み物と、青葉くんたちが持ってきたロールケーキをカットして提供した後、芹那のお母さんは気を利かせたらしく買い物に出かけた。


 数学、化学、世界史、英語、等々。

 教師役の青葉くんと芹那に教えてもらいながら、わからないことを一つずつ潰していき、勉学に没頭すること三時間。


「今日はこの辺にしようか」

 青葉くんの口からその一言が出た瞬間、お馬鹿三人組はテーブルに突っ伏したり、天井を仰いだりと、様々な反応を示した。


「なんでそんな答えになるの? もう一回考えてみて」とか「違う、やり直し」とか、芹那の容赦ないダメ出しに耐え続ける過酷な時間から、ようやく解放された……。


 特に「違う、やり直し」とルーズリーフを突き返す芹那の姿は、夢に出そうだ。

 あの冷ややかな視線も込めて。


「あー、疲れた。耳から英単語が出そう……色んなこと詰め込み過ぎて脳が爆発しそう……」

 身体を丸めて両耳を押さえ、風間くんが嘆いている。


「安心して。祐基の脳はスカスカだから、まだ空き容量はたっぷりあるよ。仮に爆発するにしてもそのときは遥か先だ」

 紅茶を啜りながら、さらりと酷いことを言い放つ青葉くん。


「……恵に聞いたんだけど、青葉くんって、本当は鷹条にも入れたんだよね? よく親御さんが霧波に行くことを許してくれたね」

「うん、さすがにちょっと揉めたけど」

 青葉くんは当時を回想したのか、小さく苦笑した。


「最低でも学年五位以内をキープするし、絶対有名大学に行くって約束したら許してくれたよ。一般的に重視されるのは高校名よりも大学名だからね」

「なるほど……」

 常に五位以内をキープ……言ってみたい、そんな台詞。

 赤点の心配をしなきゃいけない私とは、頭の出来が違うな、やっぱり。


「あれ?」

 と、青葉くんが注目したのは芹那がテーブルの下で揉んでいるイルカのマスコットだった。


 さきほど芹那はトイレと言って席を立ち、その足で二階へ行ったから不思議に思っていたのだけれど、このイルカを持ってくるためだったらしい。

 ポケットに忍ばせ、折を見て話題にしたかったのだろう。いまのように。


「そのぬいぐるみって、もしかして、中学のときに僕があげたやつ?」

「ええ、そうよ」

 芹那は若干緊張した様子で、イルカをテーブルに置いた。


「このイルカには随分と救われたわ」

「それはちょっと大げさじゃないかな。でも、本当に良かったね、江藤さん。素敵な友達ができて」

 青葉くんは私を見て微笑んだ。


「学校で山科さんと笑う君の姿を見かける度に、僕はほっとしてるよ。いま君が幸せそうで良かった」

「……気にかけてくれてありがとう。やっぱり青葉くんは優しい人ね」

 芹那が頬をわずかに赤く染め、嬉しそうにはにかむ。


「懐かしい。綾人がゲーセンで取ったやつか。確か中二の秋だよな」

 なんだか良い空気に二人が包まれているうちに、恵がイルカを指で軽く突っついた。


「そうそう。思いの外たくさん取れて、色んな子にあげたんだよね」

 朗らかな笑顔で青葉くんが言った途端、芹那がぴしっ、と凍りついた。


「……色んな子に、あげた……?」

 芹那が震え始めた。


 ああ、なんてこと。

 青葉くんに罪はない。

 けれど、できればその事実は胸にしまっておいてほしかった……!!


 風間くんが露骨に「やべ」という顔をし、恵も無言で指を引っ込めたけれど、青葉くんは芹那の異変に気づかないまま、笑顔で言う。


「うん。江藤さんの他にも、西村さんと山田さんと仁科さんと佐藤さんにあげ――」


「綾人くんのバカあぁ――――ッ!!」

 ドスッ!!


「ごふっ!?」

 腹に強烈な拳の一撃を叩き込まれ、青葉くんはテーブルに突っ伏した。


「バカバカ、おたんこなす! にぶちん! 天然タラシ! ああもう信っじらんねー! 鈍いにも程があんだろ!? お前の恋愛感度センサーは故障してんのか! その鈍さ、小学生どころか幼稚園児もビックリだわ!」

 風間くんは仁王立ちし、悶絶している青葉くんを糾弾するように指さした。


「お前はあちこちでフラグを立てておきながら女子の好意に気づかない鈍感ハーレム系男子でも気取ってんのか! どこのラノベの主人公だよ!?」

「祐基、言いたいことはわかるがちょっとズレてるぞ」

 横から恵が突っ込むと、風間くんは青葉くんを指す指をぶんぶん上下に振った。


「だってこいつ、女子に告白されそうになったとき、ランニング中の運動部員に遮られてたんだぞ! その前の女子の告白は電車の音で遮られたらしいし、もはや難聴系主人公の地位を固めつつあるぞ!? 難聴プラスハーレムプラス鈍感って、もう役満じゃん!?」


「何わけのわからないこと言ってるんだ……」

 手酷く殴られた腹を摩りながら、青葉くんが起き上がって怨嗟の声を漏らし、風間くんを睨んだ。


「何するんだよいきなり」

「嘆きたいのはこっちだっつーの、見ろあれを!」

 風間くんがびしりと芹那を指差す。


 私に背中を摩られながら、芹那は両手で顔を覆っていた。

 声もなく泣いている芹那を見て、青葉くんが目を見開く。


「え、何? どうしたの江藤さん」

「……なんでもないわ。目にごみが入っただけ」

 目を擦り、芹那は弱々しく笑った。


「でも……」

「なんでもないの。青葉くんは悪くない。私が勝手に……ええ、本当になんでもないから」

「…………」

 青葉くんはもどかしそうに唇を震わせ、すぐに閉じた。

 何を言えばいいのかわからなかったようだ。


 青葉くんが思い悩む必要などないことは、頭ではわかっている。

 青葉くんには何の非もないことも。


 でも、私は芹那の味方として、青葉くんにかける言葉を持たなかった。


「さ、今日の勉強会は終わりでしょう? 解散しましょう。コップは置いといていいわ、私が片付けるから」

「芹那ちゃん、こいつは後できっちりシメとくから」

 青葉くんの肩をむんずと掴み、風間くんが真顔で言い、恵も頷く。

「おれも祐基に協力する」


「嫌だ、物騒なこと言わないで。青葉くんは何も悪くないのに、シメるなんてとんでもないわ、止めてちょうだい。私のことは本当に心配しなくていいから。みっともないところを見せてしまってごめんなさいね」

 芹那は気丈に笑い、私に顔を向けた。


「そうだ、途中まで帰る方向が一緒なんでしょう? 萌は赤石くんに送ってもらったらどう?」

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