15:手を繋いで帰りましょう
「そんなことないよ。私はただ引いただけで、その運は本来恵が持ってたものなんだから」
私は照れながら手を振った。
「いや。萌が引いたんだから萌のおかげだよ。ここまでついてきてくれたことも、ありがとう。付き合ってくれて、感謝してる」
明るい蛍光灯の下で笑うその顔が、あまりにも無邪気で無防備だったから、心臓が跳ねた。
「いえいえ、どういたしまして」
人気のない深夜の国道を二十分も歩く羽目になったし、今日は睡眠不足に苦しむことになるだろうけれど、そんなの全部、恵の笑顔で帳消しだ。
この笑顔は私だけに向けられたもので、私しか知らないと思うと、自然に頰が緩んでしまう。
「Wi-Fiだけ利用して帰るっていうのもなんか悪い気がするし、ガムでも買おうかな」
ルシファーを間違って売却したりしないようにロックしてから、恵はゲーム画面を閉じた。
「お金持ってきたんだ?」
「ああ、一応小銭だけ持ってきた」
恵はズボンのポケットに手を入れ、小さな小銭入れを引っ張り出してみせた。
二人でお菓子コーナーに向かおうとしたとき、恵が片手に持っているスマホから、無料通話アプリの短い着信音が聞こえた。
「えっ」
画面を見て、恵が固まっている。
「どうしたの?」
恵が画面を見せてきた。
『楽しんでますか?』
そんなメッセージが表示されている。
送信者は青葉くんだ。
「なんで綾人が?」
動揺しながら、恵が『なんで起きてるの』と返した。
『いまコンビニ?』
質問に答えず、青葉くんはそう返してきた。
『そうだけど』
『電話していい?』
そのメッセージを見て、恵は私にアイコンタクトを送り、店の外へ出た。
広い駐車場の一角で、恵はコンビニを背後に電話をかけた。
「もしもし? どうしたんだよ綾人。なんで起きてんの?」
『それはこっちの台詞なんだけどね』
恵がスピーカーモードにしているらしく、青葉くんの声は隣にいる私にも聞こえた。
「意味がわからない。順を追って説明してくれ」
『いいよ』
青葉くんは穏やかな声で語り始めた。
『先生方の目を盗んで深夜に徘徊するようなどこかの不良と違って、僕は四組の学級委員長として、常に節度ある行動を心がけているんだ』
青葉くんはごく普通の声量で話している。
人目を気にしていないということは、彼はいま部屋ではなく、外にいるんだろうか?
『今日も――いや、既に昨日かな。昨日もきちんと消灯時間を守り、三十分ほど前まで夢の中にいたよ。祐基に叩き起こされるまではね』
「叩き起こされた? なんで?」
恵が訝しげに眉を寄せる。
『もちろん君のためだよ』
答える青葉くんの声はひたすら優しかった。
『出発したときは大丈夫だったみたいだけど、もし恵が帰って来たときに玄関が施錠されてたら入れないでしょう? そのときは開けてやってくれ、俺は眠いから寝るって、全てを僕に託して祐基は寝たよ。布団に入って五秒で寝るんだよ、凄いよねえ祐基って』
ふふ、と上品な笑い声がする。
「そ、そうだな……凄いな……」
冷や汗が恵の頬を滑り落ちていく。
私も聞いていて心臓がきゅーっと縮んだ。
怒っている。
間違いなく青葉くんは激怒している!!
『睡眠時間を削るような馬鹿な真似はするなと、僕は昼間、あれだけ言ったよね? さて、ここで問題。祐基に叩き起こされたときの僕の気持ちを推測してみよう』
「…………『ふざけんな』」
『よくできました』
にっこり笑っている青葉くんの姿が目に浮かんだ。
ただし、口元は笑っていても目だけは笑っていない、そんな恐ろしい笑顔。
『でね? 悲しいお知らせなんだけど、さっき施設の管理人さんがあちこち施錠して回ってたんだ。玄関も裏口も施錠されてるよ。ここで僕が寝たらどうなっちゃうかな?』
青葉くんの声のトーンが上がった。楽しげに。
「すみません、もう二度とこんな馬鹿な真似はしないと誓いますので起きていてくださいお願いします」
恵がスマホを握り締めて縋りつくと、青葉くんの声が一転して低くなった。
『五分以内に戻ってこい』
地の底から響くような声だった。
子どもが聞いたら泣き出してしまうことだろう。
恵が何か言うより早く、電話が切れた。青葉くんが切ったのだ。
「やばい……殺される……」
スマホを握って、恵が震えている。
コンビニの明かりに照らされたその顔は蒼白だった。
「どうするの、五分以内って無理だよ? 自慢じゃないけど私、五十メートル走で十秒切ったことない。ここから施設まで走り続けるほどの持久力もないよ」
私は半泣きで訴えた。
締め出しを喰らって、もし先生にばれたら、私たちは終わりだ。
反省文ならまだしも、最悪、保護者呼び出しの刑に処されるかもしれない。
「心配しなくていい。なんだかんだ言っても綾人はお人好しだから、見捨てられることは絶対ない。祐基の奴、なんで綾人に頼むんだよ。一度協力するって言ったんなら最後まで面倒見てくれればいいのに……まあ、あいつはそういう奴だ。昔っから」
恵は嘆息して、スマホを尻ポケットに入れた。
「嘆いても仕方ない。これ以上綾人を怒らせないためにも、とにかく急いで帰ろう!」
恵が手を差し出してきた。
「うん!」
緊急事態だ、もう恥ずかしいとかそんなこと言っている場合じゃない。
私はためらわずに恵の手を掴み、走り出した。
最後に一度だけコンビニを振り返り、恵の分も込めて謝った。
Wi-Fiだけ利用して、何も買わなくて、ごめんなさい!
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