13:夜、二人きりの国道で
深夜の国道はしんと静まり返っていて、まるで世界に二人きりのようだった。
時間帯も手伝ってか、国道を走る車もいない。
もはや貸し切り状態だ。国道を貸し切って何の得があるのかは別として。
外灯に照らされた歩道を歩きながら、私は黙りこくっている。
隣を歩く恵も同じだ。
深夜の国道に二人きりという、平凡な日常を逸脱した非日常が、私たちを過剰に緊張させる。
本来ならば風間くんもここにいるはずだったのに、風間くんときたら、駐車場で合流するなり「じゃあ後はお二人でごゆっくり」とアルカイックスマイルを浮かべてさっさと引き返していった。
引き留めようとしたら「いやいや、俺は空気が読める奴だから」とNOを突き付けられた。
私は恵にとってハーディの札、本物の彼女じゃないことは彼もわかっているはずなのに。
全くもって意地悪だ。
左右は緑、前後は国道がただ伸びているだけで、気の利いた話題を提供してくれるような存在はどこにもいない。
私は沈黙に耐え兼ねて、夜空を見上げた。
今日は満月で、星空は惚れ惚れするほど美しい。
地元では見られないほどたくさんの星が輝いている。
さすがは高原。
首を傾けて星空に見惚れていた私は、石につまずいてこけそうになった。
「うわきゃっ!?」
変な奇声が喉から出た。
仮にも女子なら「きゃっ」だけでいいのに「うわきゃっ」てなんだ。
可愛らしい女子の悲鳴というより、猿の鳴き声っぽかったぞいまの。
慌てて姿勢を矯正する私を、恵がびっくりした顔で見ていた。
「大丈夫?」
「うん。ちょっとつまずいただけ」
「上ばっかり見てるからだよ。ただでさえ暗いのに」
外灯は道沿いに設置されているとはいえ、その間隔は広く、夜道全体を照らすには全く光量が足りていない。
「わかってるよ。気を付ける」
ついムッとして返すと、恵は再び歩き出した。
彼の後に続いて歩きながら、私は恨みがましくその背中を見つめた。
何さ。
そもそも私が先生に怒られるリスクを冒してまでここにいるのはあなたを心配してのことなんですけど。
でも、ここでもし怒って「帰る!」と宣言したとしても、恵は全く困らないんだろうな。
むしろ「どうぞ」って返されそう。
勝手についてきたのは私なんだから。
「…………」
やっぱり迷惑だったかな。
いまからでも帰るべきかなと、地面を見つめて落ち込んでいたら。
「はい」
唐突に、目の前に恵の左手が現れた。
「転倒防止に。良かったらどうぞ」
「…………」
多分このとき私は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
……えーと……どうしよう?
握っていいものなんでしょうか、これは?
「嫌ならいいよ」
焦れた恵が引っ込めようとした手を、私はとっさに両手で掴んだ。
なんでかは自分でもわからないけど、「掴め」と脳が指令を送って来たのだ。
だからこの行動は私ではなく脳のせいだ。
「お言葉に甘えます」
左手を離し、右手を繋ぎ直しながら言う。
「……そ」
恵がふいっと横を向く。
照れたのだろうか。
外灯はまだ遠く、辺りは暗く、恵の顔が赤くなっているのかどうかはわからない。
私が握るばかりだった手を、恵が握り返してきた。
私の右手を包む恵の――異性の手の感触に、体温が上昇し、心拍数が増加する。
「満月が綺麗だね」
照れをごまかすように、私は頭上の月を指さした。
「そうだな。朝は曇ってたけど、夜は晴れて良かった」
微笑む恵の姿を、私は改めて見つめた。
彼はワインカラーのフード付きパーカーと黒のズボンを履いていた。
パーカーは私と違って厚手で、暖かそうだ。
羨ましい。
実はさっきから寒くて仕方ない。
真冬のような、身を切るほどの寒さじゃないけど、地味に寒い。
薄手のコートでも持ってくるべきだった。
さすがに深夜に出歩く羽目になるとは思ってなかったからなあ。
「星座の名前とか覚えてる?」
「覚えてない」
「私も」
「ゲームのコマンドとかならすぐ覚えられるのにな」
「ねえ? なんで世界史とか古文とかだと覚えられないんだろうね」
「るーらる・すーさす・しむ・ずー・じー・むー・むず・まし・まほし」
古文という言葉が引き金となったのか、夜空を見上げて恵が歌のように口ずさんだ。
「きー・けり・つー・ぬー・たり・たし・けむ」
私も古文助動詞の連用形を口にした。
「もはや呪文だよな」
続いて終止形を唱えるかと思いきや、恵はあっさり打ち切った。
くっ、裏切り者め。
サ変未然形・四段已然形の準備をしてたのに……格好良く「り」って言おうと思ってたのに!
「呪文だよね。『たり・たし・けむ』のとこってさ、なんか発動しそうじゃない? 『たり・たし・けむ!』でドカーンと爆発しそう」
左手を前方に突き出し、キリっとした顔で『たり・たし・けむ!』と強調してみせる。
「わかる。天空の城とか滅びそう」
「あははは。スケール大きい」
話しているうちに緊張も解れ、私たちは色んな話をした。
オリエンテーションのこと、学校の授業のこと、五月末に待ち受ける中間テストのこと。それからやっぱりゲームの話。
元カノとも、恵はこうして手を繋いでいたんだろうか。
表向きは笑顔で恵と話しながら、私は思った。
誰よりも恵の傍にいたはずなのに、なんで元カノは三股なんてかけたんだろう。
子どもみたいにキラキラ目を輝かせて、一生懸命好きなゲームのことを話す恵を、どうして裏切れたんだろう。
許せないな、と思って、そんな自分に困惑した。
私はただのハーディの札なのに。
彼女でもないのに『許せない』なんて、おこがましいのかな。
ううん、私と恵はゲーム友達だもの。
私だって怒る権利くらいはあるはずだよね?
「――くしゅんっ」
話している途中で、くしゃみが出た。
「あ、ごめん、気が付かなくて。寒いよな。そんな薄いパーカーじゃ」
ぶるりと身を震わせたのが繋いだ手から伝わったらしく、恵は手を離し、首まで上げていたパーカーのファスナーを下ろした。
「着て」
黒のラインが十字に入った白シャツ姿になった恵が、脱いだパーカーを差し出してくる。
「え。いや、いいよ。恵が寒いでしょ。風邪引いちゃうよ」
「いいんだよ。おれより萌が風邪を引いたら困る。ほら」
手の中にパーカーを押しつけられた。
「でも……」
「いいから」
「……。じゃあ、ありがたくお借りします」
「うん」
私はパーカーを羽織った。
ためらいを振り切って、ファスナーを上げる。
当たり前だけど、ぶかぶかだ。全然サイズが違う。
袖が余って、指先しか見えない。
まだ残る恵の体温がパーカーを通して身体中にじんわり広がって、私の頬まで熱くした。
「温かい?」
「うん。温かい。ありがとう」
「どういたしまして。多分あと五分くらいで着く。行こう」
再び恵が左手を伸ばしてきたので、私はその手を握った。
知らないうちに微笑みが浮かぶ。
くしゃみをしたとき、「帰れ」って言われたらどうしようかと思ったけど、恵はパーカーを譲ってまで、私を連れて行くことを選択してくれた。
強引についてきた私のこと、迷惑だとは思ってないみたいだ。
「へへっ」
変なの。
ただそれだけのことが、物凄く嬉しいなんて。
「何。なんで笑ってんの」
「なんでもない」
歩きながら、私は恵の手を握り締めた。
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