11:他意はありません

 雑談の声がさざ波のように引き、生徒たちが前方に注目する。

 バインダー片手に立つ担任教師は、人数を確認するように生徒たちを順番に眺めてから、小さく頷いた。


虹丘にじおか高原には正午に着く予定です。途中休憩を挟むけれど、各自霧波高校生という自覚と責任を持って行動するように」


 はあい、という声が上がる。高校に入って初めてのオリエンテーションということもあって、生徒たちのテンションは高めだ。


「じゃあもう少しで出発します。私は一番前の席にいるから、何かあれば声をかけてね」

 担任教師はひらひらと手を振って、バスの運転手と少し話した後、最前列の席に座った。


 程なくして、隣のバスに続いてバスが走り始めた。

 その頃にはバス内の雑談も完全に復活していた。

 芹那も安藤さんと談笑しているようだ。


 良かったねと、私はこっそり微笑んだ。

 芹那の人格を知れば仲良くなりたいと思う子はたくさんいるはず。

 このオリエンテーションが良いきっかけになればいいんだけど。


 彼女を気にするのは止めて、私は隣に目をやった。

 恵はうつらうつらしている。

 たまに深く俯いては、はっとして背筋を伸ばす、そんなことを繰り返していた。


「……肩貸そうか?」

 見ているのが忍びなく、私は思い切って尋ねた。


「いや、いいよ。重いし。だいじょーぶ……」

 いや、全然大丈夫じゃない。

 いつか前方の座席に激突するんじゃないかって、見てるこっちが心配になる。呂律もなんだか怪しいし。


「いいから寝て。宿泊先の施設に着いて入館式と昼食が終わったら、その後は先生方のありがたいお話をたっぷり二時間も聞くんだよ? もしそこで寝たら絶対怒られるよ? 悪目立ちしたくないでしょ?」

「……。本当にいいの? 頭って五キロくらいあるよ?」

「いいからどうぞ。寝心地は保証しませんけど」

 苦笑すると、恵は迷うような顔を見せた。

 数秒して踏ん切りがついたらしく、眼鏡を外し、前の座席についたポケットに入れる。


 彼が眼鏡を外したところを初めて見たので、ドキッとした。

「お邪魔します」

 胸中に巻き起こった嵐など知る由もなく、彼は私の右肩に頭を預け、目を閉じた。


 一分も経たずに寝息が聞こえた。

 まさか本当に寝るとは。


 肩は固定したまま、ゆっくり首と目を動かして彼を見る。

 綺麗な寝顔だ。

 どこかの美術館に飾ってあった彫像が、命を持って動き出したかのよう。


「山科、幸せ?」

 通路を挟んだ向かいの席に座っている男子がニヤニヤしながら聞いてきた。

 彼の隣、窓際に座る男子もこちらを見て笑っている。


「………はい」

 偽とはいえ、彼女としてはこう答えざるを得ない。


「馬鹿、からかうなよ。二人の世界に俺らは邪魔なだけだって」

「そうそう、放っといてあげなよ」

 周りの生徒たちにまで同調され、私は赤面した。


 全くもって困ったものだ。

 私は本当の彼女でも何でもないのに。

 こほん、とわざとらしく咳払いして、私は集中する視線を払った。


 手持ち無沙汰になり、スマホを手に取ってネットサーフィンを開始。


 本当はゲームしたい。

 携帯型ゲーム機も密かに持ってきている。


 でも、バスの中でそんなことをすれば没収必至だ。

 本当は持ってきちゃいけないものだもの。


 それから十分ほど経っただろうか。

 恵の頭の重みで右肩が痺れて感覚がなくなってきた頃、突然、鳴り響くクラクションと共にバスが大きく揺れた。


 落ちる!


 私はとっさにスマホを放り出して身体を丸め、落ちそうになった恵を両手で支えた――というか、抱きしめた。


 その結果、恵は後頭部を私の胸に押しつける形になった。


 ごとん、と落下したスマホが足元で鈍い音を立てる。

 私の腕の中で、恵はただただ硬直している。


 彼が起きていることを悟り、カーっと頭に血が上った。


「ご、ご、ごめん!!」

 大慌てで手を離す。


「何?」

「びっくりした」

「焦ったわー」

 あちこちでそんな声が上がり、運転手が車内アナウンスで「急に割り込んできた車がいた為ブレーキをかけた」と状況を説明する中、私はクラスメイトたちとは別の意味で焦っていた。


「……いまのは、庇ってくれたんだよな?」

 私を見ようとしないまま、上体を起こした恵が確認してくる。


「うん。そう。それだけで。特に深い意味は。ございませんので」

 俯き、膝の上で親指を揉みながら、しどろもどろに言う。


「ああ、わかってる。ありがとう……」

 恵は気まずそうに言った。

 それきり、何も言わない。


 私もとてもじゃないけれど、何か言えるほどの余裕がない。

 なんてことをしてしまったんだと、頭の中は大パニックだ。


「………………」

 落ち着け。とにかく落ち着くんだ。

 ふと、床に落ちたままだったスマホが目に入った。

 拾い上げ、ホームボタンを押すと、無事ロック画面が表示された。


「……壊れてなかった?」

「えっ。あっ。うん。大丈夫」

 電源ボタンを押して答え、ちらりと恵を見る。


「それは良かった」

 窓の外に向けたその顔が赤くなっていることに気づいて、私は勢い良く顔を背けた。


 うるさいくらいに心臓が鳴っている。

 ああ、本当に、なんてことしちゃったんだろう……。


「…………………………」

 しばらく私たちはお互いに顔を逸らしたまま、赤くなって沈黙したのだった。

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