俺たちは愛を語れない

サクライ

第1話

 バチンッ!なんとも小気味良い音が聞こえた。それも自分の左頬から。

 一拍遅れてジワリと痛みだす患部を押さえながら、俺はじとっと目の前の女を見つめた。普通に痛いんですけど。

 胸元が強調されたワンピース。振りかぶった右手をそのまま顔の前で掲げながら、彼女は意志の強そうなつり目を更に吊り上げて俺を睨んだ。わなわなと毒々しい赤で彩られた唇が震える。

「うわ怖」

「はぁ!?」

 おっと行けない、つい本音が。

 しっかりと俺の失言を拾ったらしい彼女はドスの効いた声を響かせる。それと同時に右手に拳が。

「ごめんねミカちゃん俺が悪かったよ!!」

「あんた私が何に怒ってるのか分かってんの?」

「…いやー、あはは。いや、分かってる!分かってるよミカちゃん!」

「じゃあ言ってごらんなさいよ」

「えーっと…」

 目の前で刻一刻と力が込められている拳の前で俺はだらだらと汗を流す。

「今日遅れてきたこと…?」

「それと?」

「昨日女の子家に連れ込んだこと…?」

「それだけ?」

「1週間前、お財布を漁ったこと…?」

「あれテメェの仕業かこのコソ泥が!!」

「痛っ!!」

 結局殴られるのか。あ、ダメめっちゃ痛い。骨折れてんじゃないの?

 地面に転がって、自分の頬を押さえている俺はずいぶん滑稽に見えるだろう。先程から俺たちを避けて歩いていく人たちがチラチラと視線をよこしていた。ユカちゃん今めっちゃ目立ってるよ!あれ、ミカちゃんだっけ?

 というかバレてないなら言わなきゃ良かった。

「言い訳できるもんならしてみろよ」

「え、あー、はは、言い訳かぁ。正直出来ないね!」

 笑った俺と対照的に、はな…違うな、ミカ?ちゃんは盛大に舌打ちした。殺されそう。

「そうやってすぐに弁解を止めるところも大っ嫌い」

「弁解したらしたらで、『言い訳する男は大っ嫌い』? 俺がなんと言ったって君は怒りそうだけど」

「分かってんじゃない屑のくせに」

 俺を見るその瞳にはもはやいつかのような愛情も恋慕も見えはしなかった。むしろ人を見るどころか、良くて虫を見る目だ。

 もっと正確であろう自己評価に基づくなら、道路に捨てられて降った雨でぐちゃぐちゃになった唐揚げを見る目。

 女の子ってすごい変わるね。まあ俺のせいだけど。

「もう許してはくれなさそうだね」

「最後のチャンスは貴方が全て踏みにじった」

「うん、ごめんね」

 深々とため息。終わりの合図。

「…さようなら。もう二度と出会わないことを祈ってる」

「君がそれを望むなら、俺もそれを望むべきかな?」

 彼女はもう返事はしなかった。カツカツと遠ざかるヒール音に俺は肩をすくめて立ち上がる。

 大きく伸びをして空を見上げる。すっかり夜の帳が下りて、その上から星々のヴェールがかかっていた。

 そろそろ流星群が降るんだっけ。願い事を唱えれば叶う?ただの宇宙からのゴミに捧げる願い事は、すぐには思いつきそうになかった。



 ゴッと人体からしてはいけない音がした。背中から倒れ込んだ俺は、声も出せずに悶える。左頬はダメだって。殴られたことついさっき聞いてたくせに。

「お前は馬鹿か?」

 地を這うような声にひくりと右頬が引きつった。左頬は痛みでそれ以外の感覚がない。こう言うのを馬鹿になったって言うんじゃないの?

「なんで殴るかな」

「お望みとあらば右も殴ってやるが?」

「勘弁して」

 起き上がってスーツについた埃を払った。全く、これ安くはない代物だよ一応は。

 周りを見渡すと、他の客は俺たちを気のすることなくゆったりと過ごしている。ああ全く便利なところマナーが良いトコだよここは。

「何故お前は同じ事を繰り返す。馬鹿は死ななきゃ治らないと言うのなら殺してやろうか?」

「やだよ。よりにもよって君に、だなんて」

「そうかよ。俺だってお前なんかを殺して罰せられるのは割に合わないな」

「捕まるの前提なの?」

「当たり前だろう。自首する」

「へー」

 至極真面目な顔でそう言ってのける精神は尊敬に値する。自らの行いと清々しいほどに矛盾する彼の正義とやらは嫌いじゃない。

「それで、ちゃんと回収してきたんだろうな?」

「何を?」

 催促するために差し出されていた手のひらが握られる。慌ててポケットから取り出した。

「待って冗談だよ!!これ、でしょ?」

「最初から寄越せ」

 再び開かれた手にソレを落とした。彼は節だった指でつまみあげて、天井のライトに掲げて検分する。

 照度が低くオシャレさを重視したそれにかざす事がどれほど意味があるのかは分からないけど、ゆったりと吐かれた息とつり上がる口端を見るにお眼鏡にはかなったらしい。傍目からは極悪人にしか見えないのはなんとかならないのだろうか。

「さっきからの話にしては、上等だな」

「俺の手腕を舐めてもらっちゃ困る」

 桃色と白がマーブル状に混ざり合った模様の球体が、ライトに反射して虹色を生み出す。人の眼球ほどもある大きさは、ここ最近では1番。タイミングがこれ以上にないってほど良かった。

「こんなになるほど搾り取られるとは、彼女も災難だな」

 あからさまに同情しました、と言いたげな声には唇が尖った。君はこういうお遊びが好きすぎる。

「またそんな事言って。彼女を選んだのは君のくせに」

「彼女にとってはお前と出会ったのが、幸せの終わりだよ」

 すくめられた肩とは対照的に、片手で覆われた口元はきっと笑みの形を作っている。彼はそのまま、目の前を通ったバーテンダーにスコッチを頼んだ。しかも指を2本立てて。俺酒はあんまり。

「幸せの終わりは否定しないけど。君にしては今日は饒舌だね」

「俺は心の底から憂いてるんだぜ。屑と関わった彼女のこれからの行く末を」

「その屑には君も含まれてるってことで良いんだよね?」

「勿論だ」

 届けられたグラスを持ち上げて彼はニヤリと笑った。琥珀色に浮かんだ氷が音を立てる。

「…君の素直なところは好きだよ」

「お前に好かれても」

 舐めるように酒を飲みながら彼はそう言い捨てた。俺なんかよりよっぽど酷い。

「それ、どれくらいで売れそう?」

「んー、そうだな」

 告げられた金額に目が丸くなった。彼が喉の奥で笑う。誤魔化すためのアルコールが喉を焼く。

「最近値段の上昇が著しいね」

「だんだん有名になってきたってことだ」

「そろそろライバルが出てくるかも」

「お前以外に誰があんなイカれたもの作れるんだよ」

 まあそれはそうか。だけどイカれただなんて失礼な。

「あれは愛の発明だよ」

「愛を発明な」

「奪うだなんて人聞きの悪い」

「はいはい。分けて貰う、だろ」

 恭しく置かれた球体は『愛の塊』だ。彼女の愛をギュッと濃縮した素敵なもの。これを食べれば最高に幸せな気分になれる。味はふわふわとした実体のない甘さ。あれが愛の味だと考えると、意外と愛って美味しくない。

「彼女は今後どうかな」

「しばらくはうまくいかないかもね」

「しばらく? 一生じゃなくてか」

 彼が鼻で笑う。俺はひとつ咳払いをした。

「そりゃ、しばらくは性格は破綻するけど、すぐに戻るはずだよ。だからこそこのビジネスが成り立つんじゃないの?」

「俺はお前が回収してきた愛を売りさばく役だから、その辺は知らん。ただ今まで愛を奴らの半分が死んだことは知ってるだけだ」

「それがおかしいんだ!」

 身を乗り出した俺と反対に彼が背中をそらす。手のひらを下に向けて、腕を上下に動かした。落ち着けって? 大丈夫だよ、俺たちはただ愛の話をしているだけなんだから。

「愛は無尽蔵じゃないの? いろんな歌や小説で言っているのに。『愛は永遠だ!』」

「誰も実際に愛をもらおうなんて実践したやつがいなかったから仕方ないんじゃねえの?」

「それにしたって重大すぎる間違いだよ。こういうのって誰に訴えれば良い?」

「諦めた方が早い」

 彼の指先がクルクルと氷を回した。濃褐色の瞳がじっと俺を見据える。

「そもそも愛が何か分かってないのに、この議論に意味はあんのか」

「愛なら、この球体こそが愛そのものさ」

「それは商品って言うんだ」

「愛であり商品だ」

 その言い方がいいならそれでも良いが、と彼はまたアルコールを口に運ぶ。

「じゃあその愛を集める度に直接もらってるお前は、目的は達成できたのか」

 続いた沈黙に耐えかねたのは俺の方だった。

「…まだ」

 予想に反して彼はただ目を伏せただけだった。ほらな、と鬼の首を取ったような顔はされなくて、なんだか逆に調子が狂った。

「正直言えば、」

 ポツリと吐かれた言葉に胸がざわつく。座っていられない嫌な焦燥感。

「俺たちが罪を重ねるほど繰り返すだけお前はその目的を達成できない、と思う」

「…随分酔ってるみたいだね」

「…ああ、そうだな。悪い、忘れてくれ」

 それには返事はせずにグラスを傾けた。困ったな。ちっとも酔えない。

「次こそは達成できるはずなんだ。俺にだって愛がなんたるか、この美しい球体が何か理解できるはず」

「…ああ、そうだな」

「そしたら君にも教えてあげるよ」

「いらん」

 やっぱり酔ってても君は君だ。もう少し俺に優しくしてもバチは当たらないよ。

「…ああ、ほら」

「え?」

 後ろを見やれば、ロングヘアの美人と目が合った。お酒で血行が良くなったのか、頬がほんのりと赤く染まっている。真っ赤なマニュキュアで彩られた爪が、ゆっくりと彼女の下唇をなぞった。

 彼女の方を見ながら囁く。

「あの人?」

「ああ、仕事だ。行ってこい」

「休みももらえないの」

「面白い冗談だ」

 拒否権などなかった。重い腰を持ち上げてグラス片手に近づくと、彼女もまたこちらへきた。

「お話に付き合って?」

「もちろん」

 ニッコリと意識して微笑めば彼女の頬の赤が濃くなる。お前の良いところは顔だけだ、と言われたのを思い出す。毎回不安になるんだけど、これは怒りで赤くなってるわけじゃないんだよね?

 彼女が俺を口説くのに対して、こちらが口を開いて紡ぐのは実質交渉にすぎない。

 俺たちの商品になってくれませんか?


 まあ、確かに彼の言うことにも一理ある。


 俺たちの行いは、少なくとも愛を語るには向いていない。

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俺たちは愛を語れない サクライ @sakura_kura

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