第3話 いつもの二人と別離の予言(3)

「おかしいな。普通の人間は人払いの結界で近づくことすら出来ないはずなんだけど」


 宙を見つめながらそんなことを零す女を、内田は鋭い目で睨みつけた。

 視線に気づいた女は、内田に向けて笑顔を作り直す。


「あっあー、ごめんごめん。私は一人でいるのが長くてね。独り言がクセになっちゃってるんだ。そんなに警戒しないでくれよ」

「警戒するに決まってる。今、『人払いの結界』っつったな。あれは、お前の仕業か?」


 両手を上げて敵意のないことを示そうとする女に、内田はしかし油断なく目を向け続ける。


 思い出すのは、つい先程感じた、悍ましい感覚。

 今すぐここから離れなくては、こんなところにいても仕方がない、という衝動を煮詰めて濃くしたような。

 そんな感覚を、曖昧なものを、この女は自在に操ることができるというのだろうか?


 しかし女はそれには答えず、へらへらと笑みを浮かべるだけだった。


「そんな怖い顔しないで、仲良くしようよ。私は愛野いとしのフエ。気軽に『愛しの先輩』と呼んでいいよ」

「誰が愛しの先輩だ。絶対呼ばねえかんな……つーかお前、先輩どころか、ウチの生徒じゃねえだろ」

「生徒だよ。ちゃんと制服も着てる」

「歳考えろよ、中学生ってナリじゃねえだろお前」


 女の方が成長が早いとか、そういう理屈では説明できないくらい、「女の子」の身体ではない。

 内田の言いたいことに気づいたのか、身体を煽情的にくねらせると、冗談っぽく笑みを浮かべた。


「見た目で決めつけるなんて酷いなあ」

「見た目で決めつけるよ。生徒の顔と名前くらい全員覚えてる。お前の顔は見たことがないし、愛野フエなんて名前の奴はこの学校にはいない」

「―――へえ」


 愛野は少し驚いたように目を丸くして、それからまるで獲物を見つけた獣のように口角を上げた。


「優秀なんだね。すごいすごい。ところで、私は名乗ったのだけど、君たちの名前はまだ教えてくれないのかな」

「あいにく、不審者に教える名前は持ち合わせてない」

「天座周です。こいつは内田」

「おい」


 あっけらかんとした周の自己紹介に、愛野と内田の間にあった緊張感が溶けて崩れた。

 勝手に名前を教える周に向き直り、内田は抗議の声を上げる。

 周は困ったような笑みを浮かべながら、まあまあ、と内田を窘めていた。

 そんな二人を見て、愛野は周に向けて笑顔を作る。

 

「フム。天座くんは素直でいい子だね」

「ねえ、フエセン。ヒントおじさんって知ってる?」

「フエセン?」


 唐突に変な呼び名を口にした周に、愛野は首を傾げて問う。


「フエ先輩だからフエセン」

「だから周。こいつ、先輩じゃねえってば」

「いや、残念ながらそんなおじさんに知り合いはいないな。済まないね」


 よほどその話題に戻って欲しくないのか、内田のツッコミに被せるようにして、愛野はそう答えた。

 周は頷くと、抱えていたバケツを愛野に向けて差し出した。


「このボールから、ヒントおじさんが喜びそうなのを探して欲しいんだ。できれば二つくらい」

「……内田くん。この子はアレかい? あんまり人の話を聞かない子かな?」

「そう。スイッチが入るとな。困ってるんだよ。俺はいつも」


 愛野が内田に向けて、僅かに固まった笑顔でそう問いかけると、内田は諦めたようにそう吐き出した。

 愛野は腕を組んで、眉間に皺を寄せた。

 わざとらしいしかめ面には、しかしどこか喜んでいるような気配があった。


「なるほど。しかし、後輩に頼られて、悩まされるのもまた、先輩の勤めと言える」

「だからお前は先輩じゃねえだろって」


 内田の言葉を無視して、愛野は差し出されたバケツからボールをいくつか手に取って物色しはじめた。


「フム。選ぶとするならば……これだろうね。あとこれ」


 そう言って差し出された二つのボールは、一見してほかのものと全く区別がつかない。

 特別汚れているわけでもなく、特別綺麗というわけでもなく、部活の備品として適度に使い込まれたボールでしかない。

 しかし、それを突き出す愛野の手つきは、自信に―――確信に満ちたものであった。

 周はにこにこしながらボール二つを受け取る。


「ありがとう!」

「どこが違うのか全然わかんねえんだけど」


 喜ぶ周を尻目に、内田が正直に思ったことを言うと、愛野は天を仰ぐように斜め上を見上げた。


「人の強い感情をぶつけられた痕が残ってる。部活ってやつは、青春だね。若いというのはいいものだ」

「まるで自分が若くないみたいな言い方だな、フエ先輩?」

「なんだ、あれほど警戒していたのに、どうしたんだい、内田くん」


 散々「先輩じゃない」と主張していた内田による、突然の先輩呼びに、愛野は探るような視線で応える。

 内田はそれに、肩をすくめてみせた。


「周が全然警戒しないってことは、あんたは悪くない奴って事だ―――不審者は不審者だけど。だからもう、警戒する必要はない」

「へえ。信頼関係って事かい。いいね、そういうの。すごくいいよ」


 ニマニマといやらしい笑みを浮かべる様も、愛野の整った顔立ちだと妙に絵になる。

 内田はそんな愛野から視線を外すようにそっぽを向いた。


「でもいいのかな? 天座くんが悪い先輩に騙されているだけかも」

「帰るぞ、周」

「うん。はやく野球部にボールを返してあげないと」

「あっ待ってよ、もう行っちゃうのかい」


 用が済んだらさっさと教室を後にしようとする内田と、バケツを抱えてその後を追う周を、愛野は慌てた様子で引き止める。

 周は振り返って申し訳なさそうに頭を下げた。


「これ、野球部から勝手に借りてきてるから……はやく返してあげないと練習に支障が出ちゃうかも。ごめんね」


 愛野は目を細めて、愛おしそうに周のことを見つめた。


「なに。構わないさ。またいつでも来てくれよ。私はこの教室にいるからさ」

「うん。また来る」

「愛しの先輩って呼んでもいいんだよ?」

「フエセン、ボールをありがとう」


 肩越しにそう答えて、周はボールを抱えて部屋を立ち去った。

 横引きの扉は自動的に閉まった。

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