第33話 決戦へ

 ヨハネスが一路クラーヴへ向かっている頃、ギュンター達は、連日粘り強く、裁判への抗議を続けていた。

 父オスヴァルトは、法廷に現れた息子に対して何の感情も見せなかった。そしてブラントら家族に対しても、「被告の親近者が、無実の証明をすることは不可能だ」と、彼らの申告を冷酷に突っぱねた。

 とはいえ、これは予想の範囲内だった。ここからが正念場だ。今重要なのは、相手にどれだけ打撃を与え続けられるかだ。

 しかしわかっていても、進展の見えないやり取りは、ギュンターを非常に苛つかせるものだった。何とか抑えていられたのは、ヨハネスに予め、きつく釘を指されていたからだ。

 ――絶対に、法廷で短気を起こしたらだめだよ。それが難しくなったら、目の前のことじゃなくて、セレーナのことを考えて。

 あのときは「言われなくてもわかってるって。俺を誰だと思ってんだよ」と自信満々で言ってのけ、ヨハネスも「そうだよね、ごめん」と頭を掻いていたのだった。ここに来て、言われた意味がようやくわかった。セレーナが、大切な人がいる時点で、今までの異端審問とはまるっきり違うのだ。

 その日も審問が終わり、皆で帰る途中のことだった。審問所の門を出たところで、ギュンターは荒れ狂う感情の波に抗えず、足を止めた。振り返ると、審問所が目の前いっぱいに立ちふさがっている。越えていくにはあまりに高い障害だ。けれどこの先に、セレーナが待っている。陽の光も届かない暗闇の中で。

 ギュンターは深く息を吸った。訝しがる門番達をよそに、声を張り上げる。

「アン!すぐにそこから出してやるからな!おまえが魔女じゃないってこと、絶対証明してやる!」

 何か言いかけた門番達を、ぎろりと睨みつける。それからすぐに背を向け、大股でその場を後にする。

 注意を受けなかったのは、父の影響が大きいのに違いない。彼らにとってギュンターは上司の一人息子という、非常に扱いづらい存在なのだろう。それならそれでいい。大いにこの立場を使ってやるまでだ。

「らしくねえな。負け犬の遠吠えみたいでよ」

「ブル――」

 姿をみせたのは、いつもの仲間達だった。

「俺達だっているぞー」

「そろそろ出番かな、と思ってさ」

「遠慮なく頼ってくれていいんだよ、ギド」

「本当、水臭いんだから」

「ヴォル、コニー、アヒム、デル……」

「ギド」とバルテルが強めの声で言う。「おまえがやるべきことは何だ?」

 答えはひとつしかなかった。

「あいつの居場所を、つくってやりたい」

「で、どうすんだ?」

「異端審問所を、この町からなくす」

 皆が一瞬黙り込む。それがどういう意味なのか、今更誰も尋ねようとはしなかった。

 父と別れる覚悟は、すでにできている。同じ状況なら、きっと父もこうするだろうと思った。

「いいんだな?」

 バルテルの問いかけに、ギュンターは決然と頷いた。

「よし、決まったな」

 二人の声が同時に重なる。ヴォルフがすかさずバルテルを真似たのだ。

「はい、予定通りでーす」

 コニーがからかい、和やかな笑いが広がる。

 落ち着いたところで、ギュンターは改めて言った。

「悪い。おまえらにも協力してほしい」

「今更なんだよ、気持ち悪いな」

 バルテルが鼻を鳴らす。続いてヴォルフとコニーも、「そうだそうだ、バカリーダー」「もっと言ってやれブル」とはやし立てる。こっちは本気で心配しているのに、随分な言い草だ。

「あのなあ――」

 むっとして言い返そうとすると、バルテルがそれを制して、先を続ける。

「そうやって変にかっこつけようとするのが腹立つんだよ。ガキの頃からリーダー風吹かして、散々俺らを引っ張りまわしてきただろ。こっちはもう慣れっこなんだよ。おまえはおまえらしくやればいい。後先考えず大声出すようなバカリーダーに、俺らは今までついてきたんだ。これからだって同じだ。覚悟なんかとうについてんだ。だからいつもどおり頼れよ。仲間だろ」

「ブル……」

 現実を知ってしまった今、昔の自分にはもう戻れない。けれど。いくら年月を経ても、決して変わらないものがある。それは間違いなく、昔の自分が作り上げてきたものだ。自分らしくやればいい。過去の過ちも、届かぬ想いも、強い絆も、全て含めて今の自分があるのだから。

 ギュンターが感慨に浸っている間、他のメンバーは相変わらず、いつもの調子で勝手に盛り上がっている。

「ブル、よく言った!」

「かっこよく吼えてたぞ!」

「そうそう、シェパードにも負けない凛々しい――」

「うるっせえんだよ!さっきからいい加減にしろよ!」

 ついに堪忍袋の緒が切れ、バルテルが猛犬のごとき形相で、ヴォルフとコニーにつかみかかる。二人は笑い転げながら、彼の拳が届かないところまで逃げていく。

 夜の広場で追いかけっこを繰り広げる三人を見遣りつつ、デルトルトが溜息をつく。

「あいつらは、少し変わった方がいいと思うけどね」

「そうかな。僕は楽しくっていいと思うよ」

 アヒムがほのぼのと返す。それからギュンターの方を振り向き、ね、と促す。

「だな。これが俺達だ」

 暗闇で不気味に浮かぶ処刑台の下、陽気な笑い声が駆け抜ける。

 明日はきっと、晴れになる。根拠はないが、そんな予感がした。

  

 翌日から、ギュンター達は新たな活動を開始した。デルトルトが名づけた“SB作戦”。

 内容はいたってシンプルだ。シェパードのように気高い精神で、反面ブルドッグのように猛々しく行動する。実際のブルドッグは、小柄で比較的性格も穏やかなのだが、細かいことには目を瞑ることにしたらしい。

 バルテルはセレーナの無実を訴えるビラを作成し、ヴォルフとコニーがそれを配って回った。しかし手渡しだとほとんど誰も受け取ろうとしないので、途中から彼らは、片っ端から家々のポストに放り込む方針へと切り替えた。

 一方デルトルトは、過去にこの町で処刑された者のリストを入手し、それぞれの近しい親族、関係者などを調べ、アヒムが新たにリスト化していった。そういった人達なら、異端審問反対に協力してもらいやすいと考えたのだ。

 そして、実際彼らに話をしに行くのがギュンターの役割だった。最初は、父の存在がある立場上まずいのではないかと、仲間達から反対を受けた。しかし自分が話さなければ意味がないとギュンターは頑として聞き入れなかった。

 そして案の定、ほとんどの家で門前払いをくらい、時には罵りの言葉を受けた。

「おまえに何がわかる!」

 彼らは一様にそう言った。ある者は薄ら笑いを浮かべ、「今回で思い知ればいい」と鼻先で勢いよくドアを閉めた。

「ギド、大丈夫?」

 ギュンターの報告を基に、リストへ印をつけながら、アヒムがそっと尋ねた。

「平気だ、こんなもん。あいつは一人で、もっとずっと辛い思いして戦ってんだ」

 きっぱり言い切ると、彼は「――うん、そうだね」と頷き、自分の作業へ戻った。

「けどさ、俺らもアンの一割くらいはきつい思いしてるよな?」

「そうそう、目の前でビラを破かれたりなんかね」

 隣のテーブルで、ヴォルフとコニーが疲れた顔でぼやく。

 活動を始めてから、ギュンター達は毎晩“ヘヴン亭”に集まり、一日の出来事を報告しあうようになっていた。全体的に大した成果は得られていなかったが、彼らの間で、励ましや慰めの言葉は一切交わされなかった。誰一人、本気では弱音を吐かなかったからだ。皆が自分のできることを、できる限りやりつくそうとしていた。

「ギド、ちょっといいかい」

 デルトルトに呼ばれ側へ寄ると、彼は「聞いた話なんだけど」と声を落として切り出した。

「パン屋のサブリナさんは、若い頃魔女と疑われたことがあるらしい」

 これにはギュンターも驚いた。初耳であったし、彼女が疑われる要素など見当もつかなかった。

「タイミングが悪かったんだ。彼女はずっと子どもができなくて、何度か流産もしてた。そんな時期に、町全体の出生率と死亡率のバランスが崩れて。誰かが、“彼女は死を呼び寄せてるんじゃないか”って、馬鹿なことを言い出したんだって。

 だけど実際は戦争で男達が戦場へ出て行ったのが原因だった。それにサブリナさんは周りから好かれてたのも幸いして、噂はすぐに立ち消えたらしい。まあそれだけなんだけど……だから、なんていうか……」

 デルトルトが言いたいことはわかっていた。

 クラーヴに戻ってきてから、ギュンターは意図的にサブリナのパン屋へ行くのを避けていた。どんな顔をして夫妻に会えばいいのか、わからなかったからだ。けれど、いずれはもう一度、頭を下げようと思っていた。罵倒される覚悟はできた。サブリナの苦しみを知った今は尚更だ。

「ちょっと行ってくる」

 ぱっと立ち上がると、ギュンターはヘヴン亭を飛び出した。


 パン屋の前まで来たときには、軽く息が上がっていた。勢いに任せ、ドアをノックする。

 姿を現したサブリナは、以前より幾分痩せたように見えた。目の下にはくっきりと隈ができている。目が合うと、ギュンターは深く頭を下げた。

「サブリナさん、ごめん」

 彼女は身じろぎひとつせず、次の言葉を待っている。

「アンは必ず俺が助ける。あいつは魔女じゃない。信じてやってほしい」

 ドアから手を放す気配がして、ギュンターは顔を上げた。張り手を食らうような気がしていた。

 だが返ってきた反応は、予想外のものだった。彼女は何も言わず、ギュンターを力いっぱい抱きしめた。全身から、甘いパンの匂いが漂ってくる。物心ついたときから、すっかり嗅ぎ慣れた匂いだ。

「ごめんね。責めたりして、本当にごめんね、ギド。あんたは一生懸命頑張ってたんだよね。あの子のことが、大好きなんだよね」

「わかったから、もう何も言うな。悪いのは俺だから」

 おいおいと声を上げて泣くサブリナを宥めつつ、ギュンターは彼女の背をさすってやった。

 小さくなったな、とつくづく思う。子どもの頃は、よく上から拳骨が降ってきて、ときには息が詰まりそうなほど強くハグされたものだ。当時は、あの巨体を絶対追い抜いてやる、と息巻いていた。

 父の次に強い存在だったサブリナ。彼女に認めてもらうために、今度は自分が強さを見せる番だ。

「アン取り返して、また戻ってくるからさ。そんときは、また受け入れてやってよ。あいつ、ここの生活すごい気に入ってんだ」

「当たり前だよ、大歓迎さ。もうあの子はうちの子なんだからね」

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃのサブリナを見て、ギュンターは思わず吹き出した。

「っていうか、ババアのくせにいつまでも泣くなよ、気持ち悪い」

「なんだって!?それが散々世話になってきた態度かい!」

 今度は予想通り、拳骨が肩に飛んでくる。以前よりもいくらか威力の落ちた拳。避けるのは容易だったが、ここは甘んじて受け止めることにした。

 どちらからともなく、笑いが漏れる。サブリナがしてやったり、という顔で言った。

「泣いてんじゃないよ、ガキじゃないんだからさ」

 ギュンターは慌てて、手の甲で乱暴に目を擦る。うるせえな、と虚勢を張るも、後の祭りだ。

 背丈が逆転した今になって、ようやくわかった。彼女の強さは、大柄な体格だけではなかったのだと。追い抜くのは、まだまだ先になりそうだ。

 そのとき、奥から主人のトルベンがひょいと顔を出した。しかし一瞬こちらを見ただけで、すぐにまた引っ込んでしまう。

「あの人はシャイだからね。まだ時間がかかるだろうね」

 物音で気づいたサブリナが、そう言うと肩を竦めて笑った。

 

 数日後。町中を歩いていたギュンターとデルトルトは、突如現れた男達数人に取り囲まれていた。

「なあ。なんでおまえみたいなくずが、偉そうにこんなもん配ってんだ?」

 目の前に突き出されたのは、バルテルが作った例のビラだ。

「自分の立場を考えろ、親不孝者が!」

 彼らは皆、よく見知った連中だった。以前は、通りがかれば声をかけ、冗談を交し合っていたのだから当然だ。しかし今、彼らの目つきに懐かしさは欠片も残っていない。

 最初に突っかかってきた新米大工の青年も、その中の一人だった。子どもの頃、ギュンターは三つ年上であるこの新米大工と喧嘩し、あっさり打ち負かした。一度や二度ではなかったため、力の差を裏付ける結果となり、以来喧嘩を吹っかけられることはなくなった。その後は特にいざこざもなく、ごく普通の仲である、つもりだった。

 初めて自分の優位を感じ取ったからか、彼は歪んだ笑みを浮かべた。

「見苦しいよな、魔女で躍起になりやがって。散々たぶらかされて、後戻りできなくなったんだろ?」

「やめろ、ギド」

 デルトルトの声が背後で聞こえる。が、すでに遅かった。ギュンターは無言のまま、新米大工の胸倉を掴み上げた。得意げだった顔が、微かに怯む。それでも彼の口は、挑発を続ける。

「いいのか?手を出せば、大事な審問が不利になるぜ。おまえの親父さんは、公平で厳粛なお方だからな、たとえ息子が相手でも――」

「だから何だよ」

 声を荒げたつもりはなかったのだが、周囲は途端に静まり返った。デルトルトも側まで来ていたが、ギュンターの目を見て、それ以上口出しするのを諦めたようだった。次の言動を、皆が固唾を呑んで見守っている。

「取り消せ」掴む拳に、力がこもる。「おまえに、アンの何がわかるんだよ。適当なこと言ってんじゃねえぞ」

 思い切り殴ってやろうと、一瞬本気で考えた。今までずっと我慢してきたことが、我ながら奇跡的だったのだ。溜まりに溜まったものを吐き出せば、どれだけすっきりするか。

 しかし思いのままに拳を振るえば、後悔するのも目に見えている。

 掴んだ胸倉を突き放し、代わりに思ったままの言葉が勝手に飛び出し、ぶつかっていく。

「好きな女庇うのは当然だろ!無実の罪で殺されんだぞ?黙って見てられるわけないだろうが!」

 本当の理由はこれだけなのだ。立ち向かうべきものが、あまりに身近で、巨大すぎただけで。

「俺は、今まで魔女がどんな奴かなんて、考えたこともなかった。あいつらは人間じゃない、恐ろしい化け物だ。焼かれて当然だって思ってた。……むしろ楽しんでたよ。どんな暴言吐こうが、石投げようが、誰も止めないんだぜ。祭りみたいな感覚だったんだろうな。今思えば、おめでたいクソガキだったよ。親父が異端審問官のくせに、何も知らなかったんだからな」

 そう言って、自嘲気味に笑う。気づけば周囲には野次馬も集まっているというのに、場は一様に静まり返っていた。ギュンターは一人一人の顔を見ていきながら、ぼんやりと思う。

 ここにいる何人が、異端審問の真実を知っていたのだろうか。疑問を持ったのは、決して自分一人ではなかったはずだ。そうでなければ、この沈黙は生まれない。仲間を集めてまで、わざわざ突っかかってくる理由もない。

 もし真実を知っていて、それでも処刑を楽しんでいたとしたら。とてつもなく恐ろしいことだ。これがもし他所の町で起こっていたのなら、おまえらこそ人間じゃないと、声を大にして言っていただろう。

 でもギュンターが今向き合っているのは、全くの他人ではない。多くが年上だが、彼にとっては一人一人が気の置けない、“いい奴ら”なのだ。

 あの見習い大工にしたってそうだ。やることはどうあれ、仲間を従えているのは、信頼を寄せられている証拠だ。そして大工になるために、彼が少年時代努力してきたことも、ギュンターは話を聞いて知っている。

 だから否定などできない。この町が、人が、大好きだから。

「今回あいつが連れて行かれて、ようやくわかったよ。異端審問なんてのは、ほとんどでたらめだ。いつの間にか異端審問所なんてのができて、偉い奴らが適当に細かいルールを決めてっただけだ。

 俺達住民は、いい機会だとばかりに“選ばれてもよさそうな奴”を、喜んで差し出した。理由はどっちかだろ。自分や周りの人が選ばれないように。それか人の殺される様を見て、憂さ晴らしがしたかったから。

 選ばれる方がどんな気持ちか、俺は今まで考えたこともなかった。あいつは引きずってきた過去を乗り越えて、やっと新しい一歩を踏み出そうとしたときに、それを断ち切られようとしてる。辛いなんてもんじゃない。あいつの家族も死ぬほど心配してる。皆必死で戦ってんだ。あいつはまだ、生きることを諦めてない。いや、絶対諦めさせない。

 けど俺は、いつも考えるたびに、恐くて焦って震えが止まらなくなる。今すぐ審問所に乗り込んでって、助けてやりたい。けど立ちはだかってるのは親父だけじゃない。その背後に巨大すぎるほどの集団がある。太刀打ちなんかできっこねえよ。

 でも俺達には、一人ひとり意思がある。皆の声を合わせれば、世界は変えられなくても、この町ぐらいは動かすことができるんじゃねえかなって、俺は思う。全員で口揃えればいいだけだ。“クラーヴに異端審問所は必要ない”って」

 場が不安げにざわめいた。多くの者が、ギュンターから視線を逸らしていた。周囲を見渡し、ひそひそと何事か交し合っている。

 一方見習い大工はこちらを睨みつけ、「ヘルマン審問官にとって、おまえは唯一の汚点だ」と吐き捨てた。

 間違ってはいないだろうと、ギュンターは思う。一言でいいから、今父の口から想いを聞きたかった。父の目に、自分はどう映っているのかと。けれど、きっと知ることはできない。だから信じるしかなかった。まだ残っているはずの、親子の絆を。

「考えてみろよ。本当に魔女はどこかに隠れてて、災いを起こしてるのか?誰かを踏み台にして生き残って、それで本当に幸せなのか?

 俺は違うと思う。ここには魔女なんかいねえよ。どっからどう見たって人間だ。だって、クラーヴはいいとこじゃんか。皆仲良くて、優しくて、平和で。表面だけじゃないってこと、俺は知ってる。自信もって言える。

 腐った習慣を最初に覆すのは、王でも教皇でもない。俺達だ。もう目を逸らすのはやめようぜ。誰かの人生を奪う権利は、誰にもない。事実を知ってて何もしないのは、殺してんのと同じだ。すでに俺達は、たくさんの命を見殺しにした。その罪は、たぶん一生懸けたって償えるもんじゃない。けど今からでもできることはある。変えよう。皆が笑って暮らせる場所に。

 いいか、悪魔がいないって言ってんじゃねえぞ。あいつらはいつも、弱った心につけいる隙を狙ってる。心の闇は、ときに人格そのものを変えちまう。警戒すべきは魔女なんかじゃない。悪魔は――」




 フリッツは少し離れた所で壁にもたれ、事の一部始終を聞いていた。騒ぎが気になって来てみれば、案の定輪の中心にはギュンターがいた。剣を向け合ったときにも思ったが、彼は顔つきが変わった。あえて傷つく道を進んでいるのに、迷いがない。そう、彼の行動力は今までと全く変わらない。それがずっと気に入らなかった。ただ迷い、傷ついていればよかったのに。

「よぉ」

 声の方を見やると、そこにはバルテルがいた。

「久しぶりだな」と続ける様はごく自然で、特に何かを問うつもりもないようだった。こちらに話すつもりがないのを、見越しているかのように。彼はそういうところで、妙に勘が鋭かったりする。他の仲間達なら、ただでは済まなかっただろう。だからずっと避けてきた。二度と会いたくなかった、はずだった。

 バルテルは上着のポケットに手を突っ込み、騒ぎの方へと目を向ける。

「あいつはやっぱリーダーだよ。俺らだけじゃない、この町皆を引っ張ってく気だ。もうすぐ大きな変化が起きる。リッツ、ぼやっとしてたら置いてかれるぜ」

 それだけ言うと、彼は壁の日陰から出て行った。

 かつての親友が辿り着いた、ひとつの答え。それはフリッツが失ったはずの一部分を、深く抉った。

 ふっと吐息が漏れる。膝から崩れ落ちそうな気分だったが、何とか足を踏ん張り、逃げるようにその場を後にした。

 ギュンターの答えを、肯定するわけにはいかなかった。そうでないと、自分の生き様全てを、否定することになってしまうから。




「待たせてごめん、ギド」

 突然の声に振り向く。立っていたのは、待ちに待った人物だった。その手には、ロール状になった一枚の羊皮紙が握られている。

「遅えよ」と言ってやると、ヨハネスは「うん、ごめん」と朗らかな笑みを浮かべる。けれどマメのできた手やすきりれた服装を見れば、どれだけ急いできたかが覗える。

「ようやく揃ったよ」

 ヨハネスはそう言うと、手に持った羊皮紙を広げて見せた。思い思いの形で綴られた文字列に、思わず胸が熱くなる。これが二人で、いや全員で作り上げた集大成だ。戦う準備は、全て整った。

「よし、じゃ行くか」

「うん、行こう」

 互いに頷き合うと、二人は決戦の地へと足を向けた。

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