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『父さん、母さん、お元気ですか。僕の方は、オルレアンでの生活にもだいぶ慣れてきたところです。まだまだ国の違いに戸惑うことも多いですが、いろんな方達の助けを借りて、何とかやっていけています。どうか心配しないでくださいね。


 思い返せば、アグリッパ先生と別れて単身この地に来たときは、不安でいっぱいでした。僕の拙いフランス語は現地で通用するだろうかとか、新しい医学校に馴染めるだろうかなど、挙げればきりがありません。

 でも実際住んでみると、ここはとてもいい街です。メイン通りは活気で満ち溢れ、商店の品揃えも豊富です。店主達の多くは朗らかで商売熱心なので、余所者の僕とも一生懸命交渉しようとしてくれます。(時折お釣りをちょろまかされたりもしますが、これはほんの愛嬌です。)

 学校の方では、どうやらアグリッパの弟子が来るという噂が広まっていたようで、登校してすぐ質問攻めにあいました。賑やかに迎え入れてもらって感謝しています。今では新しい友人も増え、充実した毎日を送っています。


 とはいえ、楽しんでばかりもいられません。六ヶ月後、医師免許を取得する試験があります。合格すれば、僕は学生生活を終えることになります。その後は、しばらく医療の現場を学ぶ旅に出ようと考えています。都会から田舎町まで、今の実態を直に目で見て、感じてきたいのです。そしていずれは独り立ちして、自分の診療所を建てるのが目標です。医学をもっと広め、深めることで、多くの人を助けたい。新たな希望を知ってほしい。医師を志したときから、この思いは変わりません。きっと実現してみせます。

 落ち着いたら、一度ネーデルラントに戻ります。早いもので、家を離れて三年の月日が経ちました。慌しい毎日の中で、ふとしたときに故郷への思いが募ります。

 父さんと母さんに話したいことが山ほどあるのです。僕が今までに経験したこと、感じたこと、たくさん土産話を持って帰りますね。その日を心待ちに、明日からも頑張ります。マテューにもよろしく伝えてください。

           オルレアンより愛を込めて ヨハネス』


 そこまで終えると、ヨハネスはペンを置き、ふうと息をついた。本当はまだまだ書き足らないのだが、いつまでも手紙に没頭しているわけにはいかない。医師免許の取得に向けて、やるべき事は山ほどあるのだ。

 オルレアンに来てちょうど三ヶ月。現在は授業の僅かな合間に、ジャンヌ・ダルクについても独学で学んでいる。なので、ほとんど一日中机に向かっているときも少なくない。おかげで目の奥が痛み、肩はガチガチに凝ってしまう。それでも彼女への関心は強まる一方だった。

 きっかけは、ある時偶然出会った女性、ルイーダが見せてくれた二つの像だ。あれからずっと考えていた。異端とは、一体何なのか。彼女の波乱万丈の人生は、そう疑問を感じずにいられない。普通の農村の娘が街を救って英雄になり、聖女といわれ、最期は異端者、すなわち魔女にされた。そして死後、彼女は再び英雄となった。

 これが神の導きなのだといわれても、到底納得できることではない。それでは魔女として処刑された説明がつかない。彼女が鎧を身につけたのも、剣を手にしたのも、全ては神の声に従っての行為だ。聖女で終えるべき偉業を成し遂げたのに、なぜ。

『自分の目で見て、考え、行動しろ。』

 師の言葉がよみがえる。

 二人のジャンヌ・ダルクを見て、ヨハネスが行き着いた答え。それは恐ろしく単純なものだった。

 多数決の原理。全ては誰かが、ではなく、集団で決めているのだ。魔女にするのも、英雄にするのも、支持が多ければ変えられる。どちらが本当のジャンヌ・ダルクなのかは関係ない。人々の最も望む姿が、最後の真実になるのだ。広場に堂々と鎮座する女騎士と、教会にひっそりと佇む少女が、それを物語っているように思う。

 一度魔女の疑いがかかってしまえば、人々は当然のように処刑を望む。恐るべき一体感でもって、疑問の余地を挟ませない。大都会よりも地方の町で処刑の頻度が高いのはこのためだ。

「先生。僕にできることは何でしょう……?」

 ヨハネスはそっと呟いた。

 できることなら、アグリッパとも手紙のやり取りがしたかった。紙いっぱいに書き殴っていた文字が懐かしかった。

 しかしクルトからの手紙で、それが不可能だと知らされた。アグリッパはクルト達弟子と移り住んだ土地ボンで、逮捕されていたのだ。

 きっかけは彼の有名な著書、『学問の空虚と不確実性』にある。これがボンのあるドイツのみならず、神聖ローマ帝国でも無視できなくなるほど、ヨーロッパ中で注目されてしまったのだ。かつて歴史の記録係として在籍していたこともあり、当然国の主要大学や知識人達からは猛抗議を受けていたのだが、アグリッパは怖気づくことなく、真っ向から対決する姿勢を見せていたらしい。

 こうして話題の本は正式に焚書のリストに登録され、彼も国の反逆者として投獄されてしまった。

 クルトの手紙には『こっちは大丈夫です。先生は逮捕されるときも動じることなく、すぐに戻ってくると言っていました。その言葉がただの強がりだとは思いません』とあったが、ヨハネスはやはり心配だった。それに、師の帰りを待つクルト達についても気がかりだ。周囲の風当たりが強くならないことを祈るばかりだった。

『何か困ったときはすぐに手紙をください。できる限りの協力はするから』

 クルトへの返信にはそうしたためたものの、実際遠くにいるヨハネスができることなど、数少なかった。本当なら、今すぐにでも師のもとへ駆けつけたい。自分も弟子の一員として、先生を心から信じていますと直接伝えたい。クルト達の側にいてやりたい。しかしアグリッパがそんな行為を望まないのは、百も承知していた。

「無駄な寄り道をするな」と彼なら言うだろう。「おまえが今やるべきことは何だ」と。

 そのとおりだ、とヨハネスは自分自身に言い聞かせる。自分には師を釈放させる権力も、無実を裏付ける説得力も持っていないのだから、今行ったところで意味がない。そして気丈に振舞っているだろうクルト達の気持ちを、踏みにじることになってしまう。今やるべきなのは、信じる道を前に進むこと。

 ヨハネスは椅子から立ち上がり、窓を開けた。夜空に浮かぶ月は、きっとどこから見ても同じはずだ。繋がっている、どこにいても。

「主よ、どうか僕らの道を照らしてください」

 歩みはまだ、始まったばかりだ。

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