14

 旅を始めて三日目、ギュンターは早くも同行者に対し、嫌気を感じつつあった。今日何度目かの溜息をつく。

 午後の強い日差しの中、二人の間には重い沈黙が下りていた。暑さに苛立ちだけが募っていく。ギュンターは恨めしげに太陽を見上げ、捲し上げた袖で、額の汗を拭う。日差しは容赦なく、じりじりと顔や腕を焼いていく。喉はすっかりからからだ。

 しかし話す気になれないのは、暑さのせいばかりではなかった。


 街を出て二回野宿をこなし、二人の旅自体は順調に進んでいた。

 ギュンターは火を起こしたり、魚を捕まえることができたし、アンは植物に詳しく、食材になるものを選り分けることができた。料理も簡単だが、味は悪くなかったし、華奢な体格ながら、ギュンターの歩幅についてこれるだけの体力もあった。つまり旅の同行者としては、申し分ないのだ。ただ一つを除いては。

 旅を始めて間もなくの頃。休憩しようと提案し、荷を下ろしながら、ギュンターはアンに声をかけた。

「だいぶ歩いてきたな。足痛くないか?」

「ええ、平気」

 アンは近くの岩場に腰かけ、素っ気無く返す。

「そっか。けど、まだ先は長いからな。無理はすんなよ」

「ええ」

「やっぱ馬が欲しいとこだよな。こんなとこ余裕でひとっ飛びだぜ。馬、乗ったことあるか?」

 水の入った革袋を傾けた後、アンは小さく首を振る。

「最高だぜ。なんせ馬の背からじゃ景色も違えば、感じる風も全然違う。それに生きてる鼓動がすぐ傍に感じられて、一心同体になれんだ。一緒にどこまでも走っていけそうな――あれ、もしかして興味ない?」

 ちらりとこちらを見やり、アンはさらりと言った。

「どうぞお好きに」

 これで話を続けられたら、ある意味勇者だ。当然勢いは失速し、結局黙って先を歩くことになる。

 また別のときも、

「ここは空気がうまいなあ。やっぱ都会はどんよりしてたんだな。そう思うだろ?」

「別に」

「お、意外に鈍感か?」

 ここで無視され、気まずい空気のまま終了。

 珍しくアンの方から、「クラーヴはどんなところ?」と訊かれ、内心得意顔で故郷の話をするも、反応はいつもどおり、薄っぺらだったりする。

「アンはパリの生まれなのか?」と逆に訊いてみれば、「言いたくない」とばっさり切られ、即終了。

 とにかく会話というものが成り立たないのだ。黙っていられない性質のギュンターとしては、致命的な問題だった。

 ついに耐え切れなくなった昨夜、ギュンターは思い切って尋ねた。

「なあ、一応確認させてくれ。その冷たい態度は、元々そういう性格なのか、俺のことがすっごく嫌いなのか、どっちだ?」

 彼女は表情ひとつ変えず、答えた。

「別に、そういうつもりじゃないけど」

「ならもうちょっと愛想よくしたってだな――」

「あなたにも接客をしろということ?」

「はあ?何言ってんだおまえ」

「わたしは男の人を満足させるのが仕事だったの。あなたもそれを求めるのか、と訊いてるの」

 あっけらかんとした言い方に、ギュンターは一瞬返す言葉を失った。以前着ていたドレスや、司祭との会話の内容が思い出される。言葉の意味を理解した途端、さすがにかちんときた。

「ふざけんな!いらねえよ、一生黙ってろ!」

 こうして翌日まで、沈黙が続いているというわけだ。


 それから半日。さすがに黙っているのも、加えて暑さに耐えるのも、限界に達していた。

 隣を窺うと、アンは涼しい顔で黙々と歩いている。長い外衣を纏い、頭にはベールまで被っているのに、汗を拭う素振りも見せない。彼女との間を境に気候が違うのかもしれないなどと、馬鹿げた考えまで浮かんでくる。

 音をあげたのは、やはりギュンターの方だった。

「おまえ、暑くないの?」

 返事どころか、アンはこちらを見向きもしない。

「……もうやめよう。俺が悪かった」

「何が?」

 暑さも凍らせそうな、冷たい問いが投げられる。ここまで話せば話すほど嫌いになれる相手は、そういないんじゃないかとギュンターは思う。

「――別にぃ」

 アンの口調を真似てやったつもりだが、当の本人はそ知らぬふりで、「そう」と言っただけだった。ただ黙々と、前に進むことだけ専念している風だった。

 そのときふと、ギュンターは彼女に違和感を感じた。どことなく、歩き方がおかしいのだ。びっこをひいているわけではないものの、不自然に左半身が傾いている。右足に負荷がかかるのを嫌がっているのだ。

「足、どうした?」

「なんでもない」

 アンは固い声で答える。ギュンターは少し語気を強め、彼女を引き止めた。

「何でもなくないだろ。そこ座れ」

「いいの。大丈夫だから」

「後で歩けないって言われても迷惑なんだよ。いいから靴脱げ」

 アンはさらに何か言いかけたが、渋々その場に腰を下ろした。案の定、彼女の足首は真っ赤に腫れあがっていた。見るだけで痛々しい。よく平然と歩いていたなと、思わず感心してしまう。

 足を冷やしてやりたいところだが、あいにく水筒の水は、とうに生ぬるくなってしまっている。近くに水場もない。

 ギュンターはアンの傍に屈むと、背を向けた。

「その足じゃ、歩くのは無理だ。背負ってく」

「まだ歩けるから」

 背後から、頑なな拒否が返ってくる。一度は反発しないと、気が済まないらしい。ギュンターは顔だけそちらに向け、

「あのなあ」溜息混じりに、説得にかかる。「何のために、二人でいるんだよ」

 アンは何も答えない。

「助け合うためだろ。こういうときは、素直に頼れよ。じゃなきゃ、一緒にいる意味ねえじゃん」

 さらに沈黙。

「置いてくぞ」

 躊躇いつつも、ようやく肩に手がかかる。

「――ありがとう」

 その一言で、今までの言動全てが許せてしまうから不思議だ。おう、と返す声も、自然と弾んでいる。

「その代わり、足が治るまでは飯当番な。朝も、昼もだからな。これが助け合いってやつだ」

「わかった」

 ギュンターは「よっしゃ」と言いつつ立ち上がった。

 いざ背負ってみると、アンは驚くほど軽かった。ナイフを手に、単身立ち向かうような度胸や、男顔負けの脚力を持っていても、やはり一人の女なのだと、今更ながら思う。すると無性に今の状況が気恥ずかしくなり、ギュンターは早足で歩き始めた。後ろで彼女がどんな顔をしていたのかなど、気にする余裕もなかった。

 会話こそ生まれないものの、和やかな空気が二人を包んでいった。

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