5

 時は一五二七年、同じく神聖ローマ帝国のとある小さな町、クラーヴで、少年が声を張り上げていた。

「おいおまえら、今日は魔女探しやろうぜ!」

 彼の名前はギュンター・ヘルマン。この町で生まれ育ち、物覚えがついた頃から異端審問を身近に感じてきた。魔女が捕らえられるのはごく当たり前のことであり、処刑するのが絶対的な正義だ。なので“魔女探し”という遊びを思いついたときの彼は、得意満面だった。

 集まっていた仲間達は、喜んで賛同する。これもグループのリーダーであるギュンターにとっては、当然の成り行きだった。なぜなら彼は、いつも何かを提案するのが自分の役割であり、毎日をスリルと興奮で満たすのがグループの信条だ。年上の少年グループに喧嘩をしかけたり、大人達から禁止されている林の奥地に入り、アジトを作ったりもした。ときには捕まったり、痛い目を見たりもするが、それもまた新しいことに挑戦する上での醍醐味である。

 そして今回、ギュンターが魔女に拘ったのにはもうひとつ理由がある。それは最も尊敬する父、オスヴァルトの存在によるものだった。彼はこの町の異端審問官だった。そんな偉大な父に少しでも早く追いつき、認めてもらうことこそが、最大の目標だった。そのために魔女を見つけ、投獄までの手助けをするのだ。

 しかし本来未成年には、魔女を告発する権限がない。あるのは成人かつ、ある程度の人数で、それなりの根拠を提示できる場合だけだ。それから集団の代表が異端審問所へ赴き、逮捕の判断は異端審問官の手に委ねられる。

 それならばと、子ども達皆で魔女のもとに押しかけ、騒ぎを起こすことにしたのだ。多くの注目を集めれば、大人達も無視できなくなる。誰かが動き出してくれればしめたものだ。結果的に父の仕事を手伝えることになる、とギュンターは考えたのだ。

 魔女を探すことなど簡単だ。まずは近所で評判が悪い者を聞き出し、特定する。家にひきこもり気味だったり、謎めいた部分が多いと、なお好都合だった。なぜなら魔女は誰にも知られないよう、こっそり毒薬を作り、夜中に呪術を使っているからだ。

 短い作戦会議の後、子ども達は各々に別れ、町中を探し回った。

「ギド。怪しい家を見つけたって、デルから報告だ」

 声の主は、仲間内のサブリーダー的存在かつ、ギュンターの相棒でもあるフリッツだった。端正な顔立ちにすらりとした長身。おまけに剣の腕も、明晰な頭脳も併せ持った彼は、老若問わず女性から絶大な人気を誇っていた。

 一方のギュンターは外見も性格もほとんど共通点がなく、互角なのは剣の腕くらいのものだったが、二人は初めて会った頃から自然と馬が合った。二人だからこそできることがあると、互いに感じたからだった。

「よし、行くか!」

 ギュンターが声を弾ませると、フリッツが微笑で応える。二人は仲間の待つ場所へと軽やかに駆け出していった。


 現場に駆けつけると、既に集まっていた仲間達が一斉に活気づいた。

「ギド、ここだよ!」

 仲間の一人、ヴォルフが甲高い声を上げ、一軒の家を指差した。

 その家は住宅街から離れ、忘れられたようにぽつんと建っていた。ところどころが黒く煤け、風が吹くたびにぎしぎしと嫌な音を立てる。場所といい家の寂れ具合といい、いかにもという風情だ。

「ここには誰が住んでんだ?」

 ギュンターが尋ねる。

「婆さんが一人だけだ。名前はゼルマ・ブロイアー。年齢不詳。体重はおおよそなんだけど――」

 デルことデルトルトが前に出てきて、得意げに報告する。彼は大の噂好きで、町中を嗅ぎまわる情報収集家だ。自分の集めた情報を報告するときの彼は、いつも鼻高々だ。

「で、その人が魔女だという理由は?」

 フリッツが尋ねると、デルトルトはひとつ咳払いした。話の腰を折られたことが気に入らないらしい。が、仲間達の視線もフリッツに同調していることを察し、渋々先を続けた。

「ここ最近、ずっと家に引き籠もってるって話だ。中からきつい薬品の匂いがするらしい。それに夜中、ぶつぶつ唸るような声が聞こえるんだってさ。皆家の前を通るたび気味悪がってるよ」

 すると仲良しコンビのヴォルフとコニーが、黙っていられず口を挟む。

「夜に声がするってことは、悪魔と会話してんのかな?」

「いや毒薬を作るための呪文かも」

「それじゃあこないだの嵐も、婆さんが魔法をかけたせいだな!」

「そういう噂も聞いたな。それに――」

 デルトルトが話を戻そうとするが、二人はそんなことなどおかまいなしだ。

「やっぱりな!おかげでうちの店は大損害だ!」

「うちだってそうさ!」

「知ってるか?あいつら魔女は箒で空を飛び回って、凶悪な風を生み出すんだってさ。その後ろにはべったり悪魔がへばりついてんだ」

「うるせえぞおまえら!関係ない話すんじゃねえ!」

 短気なバルテルが堪忍袋の緒を切らし、野太い声で遮った。二人はぐずぐず文句を言いつつも口を噤む。

「よし、じゃ行くか」

 一区切りついたところで、ギュンターが全員に声をかける。ある者は表情を引き締め、ある者は嬉々とした顔で、それぞれが了承する。

「行こう?今回はデルがいちばんの貢献者だから」

 心優しいアヒムが、一人拗ねているデルトルトの肩に手を置く。

 全員が意思をひとつにしたところで、ギュンターは古びたドアの

 前に立った。一呼吸置いてノックする。大きく三回。しかし返事はない。

「おい婆さん、いないのか?」

 大声で呼んでみたものの、やはり物音ひとつしない。窓はぴったり閉じられ、外から中の様子を見ることもできない。そこでギュンターは、構わず続けることにした。

「おまえが魔女だという情報がある。それは本当か?」

 すると中で、ギシッと音がした。木材の軋むような音が、床へと下りる。そしてゆっくりとこちらへ近づいてくる。ギュンターの後ろで、仲間達がごくりと唾を飲み込んだ。

「……誰だい、あんたは?」

 ドアの向こう側から、ようやく返事が返ってくる。扉の前で耳をそばだて、ようやく聞き取れるぐらいのか細く、しわがれた声だ。

 ギュンターは肩をいからせ、声を張り上げた。

「俺はギュンター・ヘルマン。異端審問官オスヴァルト・ヘルマンの息子だ。こっちには心強い仲間が揃ってるぞ。さっさと観念して白状しろ」

 勢いづいた背後で「そうだそうだ!」「観念しろ!」と声が上がる。

 そのとき老婆が何か言いかけ、突如激しく咳き込んだ。ギュンターは素早く振り返り、静かに、と仲間たちへ合図を送った。

 再び老婆が話し出す。

「違うと言えば、信じてもらえるのかい?」

「それなら証拠を見せろ」

「見せられないんだよ。外に出られないんだ」

「何言ってんだよ。このドアを開けばいいだろ」

「それはできないよ。老い先短い命なんだ。お願いだからもう騒がないでおくれ。放っておいておくれ」

 老婆はか細い声に力を込め、また激しく咳き込んだ。アヒムが不安げに、「大丈夫かな」と呟く。

「どうだろう。演技かもしれないしね」一方のフリッツはいたって冷静だ。

 ギュンターも見えない状況に動じることなく、説得を続ける。

「駄目だ。おまえが魔女なら見過ごすわけにはいかない。俺達はな、この町の平和を守るためにやってきたんだ!」

 示し合わせたように、仲間達も一斉に賛同の声を張り上げる。この一体感が、ギュンターをさらに奮い立たせる。仲間は、正義は、最高だ。

 そう思った途端、フリッツが即座に口を挟む。

「ギド。今自分のことかっこいいって思ったろ」

「な、なんだよ急に。思ってねえよ!」

「誰でもわかるよ。顔にやけすぎ」

「くっそー、いいとこで水差すなよな!」

 浮かれた頭を冷やされたところで、ギュンターは対峙すべき魔女へと意識を戻す。いつの間にか、扉の奥からは物音が消え、不気味な沈黙が下りている。

「出てくる気はないみたいだな。もうやっちまおうぜ」

 バルテルが鼻息荒く催促する。たしかに今が頃合だろう。そう判断したギュンターはひとつ頷くと、心強い仲間達を振り返った。

「婆さんは俺達の要求を拒んだ。これが魔女の証拠だ。やるぞ、おまえら!」

 最初にバルテルが荒々しく吼えながら、棍棒を手に飛び出した。その後に次々と他の仲間達も続いていく。

 前線では扉の強行突破が試みられ、続く後方が窓を破りにかかる。老婆の呻き声が、今度ははっきりと聞き取れた。

 そのうち騒ぎを聞きつけた住人たちが、何事かと集まってきた。最初の作戦通り、ヴォルフとコニーは芝居がかった調子で状況説明を始め、周囲へ賛同を求めた。

 最初は眉を顰めて遠巻きに見ていた彼らも、二人に煽られるうち次第に態度を変えていった。日頃の老婆に対する不満があったのか、野次が飛び交い始め、手当たり次第に石が投げられ、ボルテージはみるみる上がっていく。

 喧騒の中、ギュンターはズボンのポケットから愛用のナイフを取り出した。すらりと鞘を引き抜くと、銀色の刀身が陽光を受けて鈍く輝く。

 扉と格闘する仲間達を下がらせ、ナイフを逆手に構え、文字を刻み始めた。

 刻み終えて出来栄えを眺めていると、「それ、スペル違うから」という残念なつっこみが入る。ギュンターは肩を竦め、声の主にナイフを放り投げた。

 フリッツが正しいスペルを刻んだちょうどそのとき、見張り役のアヒムがこちらに駆けてきた。

「ギド。もうすぐ来るよ」

 言っているのは、検察か異端審問所関係の者のことだ。騒ぎを聞きつけて、様子を見に来たのだろう。よし、とギュンターは頷き、大声で言った。

「撤退だ!」

 その一声で、全員がさっと彼のもとに集まった。そして二人一組に分かれ、それぞれ違う方向へと散っていく。全てが計画通り。大成功だ。




 職員からの報告を受け、オスヴァルトが現場に出向いたときには、すでに大きな人だかりができていた。

「異端審問だ!」

「騒ぐな、どくんだ!」

 部下達がすかさず前に出て、声を張り上げる。集まっていた人々は、こちらに気づくと緊張した空気を張り巡らせ、すぐさま左右に道を開けた。

 異端審問と聞けば、逆らおうとする者などまずいない。この仕事は他の裁判職と違い、唯一の聖職だ。神の代わりに魔女を捕らえ、悪魔を葬る。選ばれた者だけに与えられた特権なのだ。そのため彼らの中には自尊心が高く、傲慢な者が多かった。権力を見せつけようと肩をそびやかして歩く姿は、オスヴァルトからすればなんとも滑稽だ。しかしそれをわざわざ注意したり、態度に出したりはしない。

 出世に血眼の彼らは、その一方で必死に上司の顔色を覗い、ご機嫌を立てようとしたり、勝手に恐れたりする。しかしオスヴァルトはそれらを気にかけることもなく、目の前の仕事にのみ集中していた。部下が誰であろうと、職務上必要な命令に従わせるだけだ。その他で一切関わるつもりはない。

 そうこうするうちに、二人の部下が先行し、石や窓ガラスの破片を踏み越え、力任せにドアを蹴破った。そのままずかずかと中に入っていくと、隅で震えている老婆を引っ張り上げる。

 両脇を抱えられた老婆は、オスヴァルトを怯えた目で見上げた。その顔は不気味な斑点に覆われ、目は落ち窪み、骨の上に皮一枚貼っただけのような体つきだ。大きくくの字に曲がった背が、さらに不気味さを増している。

「ゼルマ・ブロイアーか?」

 オスヴァルトが尋ねると、ゼルマはゆっくり頷いた。

「時が経つのは皮肉なもんだね」しわがれた声で、彼女は呟いた。「一目見たかったねえ――」

 その後の言葉は続かなかった。部下達が問い詰めようが罵ろうが、それっきり彼女は決して口を開かなかった。

「連れて行け」

 オスヴァルトの指示で、ゼルマは半ば引きずられるようにして、異端審問所へ連行されていった。待ち受けているのは過酷な拷問の日々と、死の宣告だけだ。あの様子では、何日も待たずに決着がつくだろう。

 後姿を見送り、自身もその場を立ち去りかけたときだった。ふと扉に刻まれた文字が目につき、足を止めた。そこには大きく『WICH’S HOUSE』とあり、IとCの間に小さくTが付け足されていた。その“T”以外の下手くそな筆跡は、大いに見覚えがある。

 ――馬鹿息子が

 内心の感情を押しとどめ、彼は無表情のまま踵を返した。




 集合場所の草原に無事集まったギュンター達は、今回の成功を祝い、祝杯をあげていた。酒場『ヘヴン亭』の息子であるコニーが、店から葡萄酒をくすねてきたのだ。

 足取りがおぼつかなくなるまでさんざん騒ぎ合い、解散する頃には陽もすっかり落ちていた。ギュンターは一人その場に寝転び、夜空を見上げた。まだ家に帰るつもりはなかった。魔女を捕らえた日の父は、いつも帰りが遅かったからだ。もうしばらく成功の余韻に浸っていたかった。

 いつの間にかフリッツも側に来て、隣に腰を下ろす。どうやら付き合ってくれるつもりのようだ。

「いやー、今夜の酒は格別だな」

 ギュンターが言うと、「そうだね」と相槌が返ってくる。

 酔ってほんのり熱を持った頬を、草が風に乗って優しく撫でる。一方のフリッツは、先程まで飲んでいたとは思えないほど、いつも通りの涼しい顔つきだ。そもそも飲んでいて顔色が変わったところなど、今まで見たことがない。

「……おまえさあ、酒だけは俺より強いよな。酒だけ、だけどな」

 嫌みのつもり全開で言ったのだが、フリッツは笑って受け流す。

「そんなことないよ。だいぶ酔ってる」

「よく言うぜ。クルーなんか、さっきあの辺でげろげろ吐いてたぞ」

 “クルー”とはコニーの愛称だ。ギドとフリッツ以外、仲間達の愛称が皆“ル”で終わるのにのっかろうと、自分でイケメンのクールだと名乗っていたのだが、周りに受け入れてもらえず、結局仲間の一員という意味のクルーに納まった。

「それじゃあ酒場を継ぐのは諦めた方がいいね」

「それならお前が継げよ」

「何でだよ」

 フリッツの苦笑に、ギュンターは大笑いした。酔いも手伝ってか、無性におかしかった。

 ひとしきり笑ったあと、ギュンターは起き上がり、片膝を抱えた。

 先程よりも強い風が、二人にぶつかり吹き抜けていく。フリッツは煩わしげに目を細めるが、ギュンターにはむしろ心地よかった。舞い上がった髪を後ろにかきあげる。今ならどんな突風でも望むところだった。

「なあ。将来のことって考えてるか?」

 やや間を置いて、フリッツが答える。

「どうかな。ギドはもう決まってるんだろ」

「そりゃあな」ギュンターは得意げに胸を張った。「俺は、親父のような異端審問官になる」

「だろうね。似合ってるよ」

「当たり前だ。――って、話逸らすなよ。だから、リッツは何になるんだよ?」

 フリッツはおどけたように肩を竦めた。そんな仕草も、彼なら実に様になる。もし見知らぬ女子が側を通ったら、また一人ファンが増えたことだろう。

「さあね。どうしたいんだろ」

「おいおい、何だよ他人事みたいに。俺達もう十一だぞ」

 親友の呑気さに呆れつつ、ギュンターはさらに問い詰める。

「やりたいことぐらいあるだろ?頭良いんだからさ、リッツなら選び放題じゃん。でっかい学校とか行ったら偉くなれるぞー」

「この町でちょっとぐらい勉強ができたからって、学校がいくつもある都会じゃ通用しないよ。偉くなるとか、そういうのも興味ないし」

 ギュンターはふんと鼻を鳴らし、「嫌みな奴」と言ってやる。フリッツは苦笑しただけで、何も言い返そうとしない。このまま話をごまかすつもりなのだろう。そうはいくか、と逆にむきになったギュンターは、真剣に考えてきた案を切り出した。

「なあ、それならおまえも異端審問官になれよ。二人でこの町の“正義”になろうぜ」

 そのときだった。フリッツは一瞬、寂しげに目を伏せた。しかし疑問に思う前に、彼はすぐ元の涼しげな表情を取り戻した。

「異端審問官の常駐は一つの町につき一人。そもそも聖職者の中でも選りすぐりのエリートしかなれない職業だってことは、当然知ってると思ったけど」

「じゃあなおさら、目指すやりがいがあるってもんだろ。常識なんか覆しちまえ」

「そう言うと思った。でももう十一なんだから、現実を見るべきだ。エリートに必要なのは、実力だけじゃない」

 フリッツの発した言葉の裏には、はっきりとした棘が含まれていた。たしかに異端審問官の父を持っていれば、コネを使い、事を有利に進めることができる。

 ギュンターはすっくと立ち上がり、風に乗せて決意の言葉を吐き出した。

「俺はな、自分でなるって決めたんだ。親父に望まれたからじゃない。だからこの手で掴み取ってやる。見てろよリッツ。夢を持つ奴は強いんだ!」

 言っていることに明確な根拠はなかったが、大真面目に「わかったか!」と締めくくる。

 するとフリッツはふっと表情を緩め、「わかった」と頷いた。「俺も真面目に考えてみるよ」

「おう、そうしろ」

 偉そうに言ってやると、フリッツは挑戦的に目を光らせた。

「ギドには負けたくないからね」

 それでこそ最高のライバルらしい言葉だ。

「望むところだ!」

 ギュンターがにっと笑うと、釣られるようにフリッツも白い歯を見せる。

 それが合図だったかのように、二人は同時に草原の坂を駆け出した。強い風が彼らを押し戻そうとするが、構わず真っ向から突き進む。二人でならどんな風にだって逆らえるし、モーセのように海さえ真っ二つに割れるかもしれない。根拠はなくても、そんな気持ちになれるのだった。


 家に帰ると、母が心配そうな顔で出迎えた。

「遅かったわね、ギド。父さん待ってたのよ」

「うわ、もう帰ってたのかよ……早くね?」

 ギュンターは慌てて声を潜める。恐る恐るダイニングに入っていくと、父の仏頂面が待ち受けていた。いや、怒っているかどうかはまだわからない。大抵いつもこんな顔だからだ。

「たっだいま帰りましたー……あ、親父。今日はずいぶん早いお帰りで――」

「酒臭いな。どこをほっつき歩いてた?」

「……リッツ達と、丘の方で飲み会」

 父は「そうか」とだけ言うと、興味を失ったように食事を再開した。

「母さんを心配させるな。遅れるなら一言言ってから行け」

 しおらしく返事しながら、ギュンターは内心驚いていた。まさかのお咎めなしだ。いつもなら一発殴られるか、ペナルティが課せられるかどちらかのはずなのに。今日の父はすこぶる機嫌が良いようだ。

 彼が声を上げて笑うところなど、ギュンターは今まで見たことがなかった。機嫌の良し悪しがわかるようになったのもごく最近になってからだ。普段は仮面をつけているのかと思うほど、表情は常に変わらない。それどころかほんの一睨みで、相手をたちまち震え上がらせる得意技まで持っている。だからギュンターにとって父は憧れであるとともに、畏怖の頂点にいる存在でもあった。

 できることなら今日の成果を嬉々として報告したかったが、厳格な父のことだ。それは決して許されない。たとえ息子だろうと、規則を破った者には然るべき制裁を下すだろう。なのでギュンターは彼なりに、慎重に会話を進めていった。

「聞いたよ親父。今日、新しい魔女が見つかったんだって?」

「そうだ」

「もちろん捕まえてきたんだろ?話聞かせてくれよ」

「着いたときにはほとんど片がついていた。住人らが群がって、逃げ道などなかったからな。魔女は観念して無抵抗だった」

「へえ、じゃあ住民達のお手柄ってやつだ。でも何でまた、皆集まって騒いでたんだろうな?」

 父はギュンターに向き直り、観察するように目を細めた。

「さあな。何があったと思う?」

「さあ……俺は何も見てないし」ギュンターは一度言葉を区切ると、上目遣いに父を見た。「どこかの勇敢な奴らが、正義のために立ち上がった、とか?」

 ふんと鼻を鳴らし、父は腕組みしたまま椅子にもたれる。椅子は抗議の声を上げるように、ぎっと軋んだ音を立てた。

「どこかのガキどもが、例の家の前で悪ふざけしていったらしい」

「悪ふざけ、ね……」

 隠すべきことなのも忘れて、ギュンターはがっくり項垂れた。父にとっては、所詮その程度だったということか。

 それでもなお、だめもとで食い下がってみる。

「でもほんのちょっとは、仕事の助けになっただろ?」

「助けになった、だと?ガキに先回りされて、こっちは面目丸つぶれだ」

 まさに父らしい考え方だった。そもそも彼が誰かを頼りにした姿など、今まで見たことがない。大抵一人で何でもできてしまうのだから、必要がないのかもしれない。

「俺さ」ギュンターは居住まいを正して、父を見据えた。「いつか、親父のような異端審問官になる」

 背後ではっと息を呑む気配がする。母がどうしてそこまで驚くのかわからないが、今はそんなことを気にしていられない。肝心の父はといえば、僅かに眉を上げただけだ。

「――そうか」

 その声にも、感情は全く見受けられない。が、父にしては珍しく間を置いてから、ギュンターを見返した。

「神に仕え、神の名の下に裁きを下す仕事だ。軽々しい気持ちではなれんぞ」

「わかってる。俺は本気だよ。魔女なんか全部とっ捕まえて、町を平和にしてやるんだ」

「――好きにしろ」

 ギュンターの全力の決意に、父はひとつ頷いた。そしてナイフとフォークを置くと、ダイニングを出て行った。ドアの向こうに隠れてしまった表情は、どんなに気になっても知る術はない。

 肩に手を置かれて振り向くと、いつの間にか母が背後に立っていた。

「父さん、本当は喜んでるのよ」

「いやー、やっぱわかりづらいんだよなあ」

 緊張感が解け、ギュンターは力なく笑った。母も微笑み返してくれる。けれどその笑みは、どこかぎこちなく見えた。

「――なあ。なんか隠してない?」

 聞いても母は首を振り、優しくギュンターの頭を撫でるだけだ。いつもそうだ。母は父と違う意見を持っていても、決して言葉に出すことはなかった。たとえギュンターの夢に反感を持っていたとしても、こうして側に寄り添っていてくれる。多少申し訳ないと思うけれど、そんな母の存在がありがたくもあった。

「まあいいけどさ。でもいい加減、そういう子ども扱いはやめろよな」

 今度は本物の笑みが、ギュンターを温かく包み込んだ。

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