Track5:バミューダアンドロメダ-2
切れかけた街灯の下でもわかる程ビビッドなピンク色をしたそれは、焼肉屋の煙突を軽々越える程の上背を誇らしげに晒すように、目の前の視界を堂々と遮っていた。多分ビルの三階分ぐらいはある。登ろうと思えば登れない高さではないかと思うが、こんな得体の知れないコンテンポラリーオブジェ、出来れば登りたくはなかった。
いつまでも上を見ていても首が疲れるので視線をちょっと下にやると、本格的に視界が薄暗いピンク色に染まった。表面はゴツゴツとしていて人間の毛穴を顕微鏡でズームインしたような穴が空いており、例えるならば沖縄の海を彩る珊瑚礁のような可憐さすら感じる。
しかし、その全体像はあくまで威圧感を放ち、しかも見上げた上の方がちょっとキノコのカサのようになっているのが妙に気になる。固いコンクリートをぶち破ってそそり立つそのさまはいわば深海の生き物達を生み出した生物の根源とも言われる……あれ、何やったっけ、ほら、表面がボコボコしとって、海の底からニョッキリ生えた長細いクレーターみたいなヤツ……先っちょから熱水がブシューって出る……
「
人の心を読むんやないキヨスミ!!!!!!
しかも大正解である、それだ、それに似ている。冷静な思考を邪魔する岩下の新生姜やチン……アレのせいで、すっかり思い出せなくなっちまったではないか。
ともかく、俺の目の前には何故かどピンク色の熱水噴出孔的なサムシングが佇んでいた。何を言っているのかわからないと思うが俺もよくわかっていない。熱水噴出孔がわからないお友達はグーグル先生に相談するか、表面に凹凸のあるピンク色の巨大な松茸を想像してもらえたらと思う。何? 余計に想像しにくくなった? 知ってる。
足元に蠢く気配を感じて視線を落とすと、真っ赤な甲羅を街灯に照らされた小さなカニが数匹熱水噴出孔的な何かの
キヨスミの小粋な演出のお陰で本気でこれは熱水噴出孔をイメージしたものだと言う事がわかったので――決してかなまら祭に奉納するような有難いご神仏ではないと言う事もわかったので――、おれは早速論理の穴を突いてみる事にした。俺の熱水噴出孔は未だ何ものも生み出した事は無いが、理屈の狭間に空いた穴ぐらいなら突けるはずだ。何を言ってるんだろうねボクは。
「おい自分何が左胸に小宇宙や、こりゃ何やねんお空も海ン中もわかんなくなってもーたんかこのオカチメンコが、アァ?!」
「わざとだよオカメチンコ」
真顔で語感を合わせて聞いた事もないド下ネタを繰り出さないでほしい。
巨大なチ〇コを生み落としたオカチメンコは、おれの鼻っ面に額を押し付けるようなアングルからこちらを睨め上げ、片方の眉毛だけを持ち上げて鼻で笑った。もうオトナの人に叱られても知るか、せっかく自主規制していたデリカシーがお前のせいで台無しや。
「俺の小粋なギャグセンスが通じないみたいね硫酸ピッチさんには。ご存知? 深海に棲む生物の大半はその生態の詳細を知られていないんだって。日々新しい生命が生まれ進化を遂げ、環境に対応して変化してゆくスピードに研究者の方がついていけないみたいヨ。地上に生きる俺達の知らぬところで独自の発展を遂げる暗闇の中の異世界、これは宇宙にも通ずる点があるんじゃないかしら」
つくづくめんどくさい奴である。最早めんどくさいが洋服を着て歩いているレべルだ。
そう言えば宇宙人は、脳味噌が極限進化して交通手段の発達により手足が退化した我々人間の未来の姿だ、なんて話も聞くし、人間は海の中から生まれてきた生き物な訳だから近いものを感じなくはないかもしれないなどと考えてしまう時点でもうキヨスミの思うつぼ、すっかりペースに乗せられてしまった気がする。史上マラ、もとい、稀に見る巨根の麓で睨み合うおれ達の耳に、ふいに聞き覚えのある声が飛んできた。
「うぉっなんだこれ?!」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
コンビニ袋を提げた九野ちゃんは、アンディー・ウォーホルのキャンベルスープ缶グラフィックがどでかく入った派手なTシャツにも負けない、華やかなジャニーズ系イケメンの顔を気弱げに綻ばせ、空いている方の手を迷彩柄の短パンのポケットに突っ込んだポーズのまま開口一番キヨスミに謝罪した。
「キヨちゃんごめん、ラ王無くって駅前のセブンまで行ったんだけど、麺〇くりしか見つからなかった」
まずその話題なのか、おれ達の傍に佇むこの異様なオブジェへの驚きは何処へ置いてきてしまったのだ。出会って四年目だがイマイチ読めない不思議ちゃんのドラマーの謝辞を、更に輪をかけて変態のベーシストが笑って受け入れる。
「全然良いよ、て言うか九野ちゃん麺づ〇り好きだからどうせ麺づく〇しか買ってこないだろうと思ってたし」
「テヘペロ」
九野ちゃんはキヨスミを呼ぶ時「永ちゃん」と同じイントネーションで呼ぶと言うどうでも良い補足情報を追加しておくが、それよりもおれはたまたまスタジオで合流したキヨスミに命じられて夜食を買って帰ってきたところらしい九野ちゃんを、ちょいと問い詰めたかった。
テヘペロ顔のドラマーの首根っこを掴んでキヨスミから少し離れる。
「九野ちゃん、何かおかしい所あらへんか、キヨスミに」
小声で問いかける。この問いかけの真意は、言わずもがなキヨスミの現在のルックスに関してである。つまりは顔や声以外のアソコやココ、全てが十九歳オトコのそれでなくなってしまっている点。九野ちゃんにも俺とほぼ同じ組成によって作られた網膜や視神経があるのならば、目の前にいるのがキヨスミの声と顔を持ったDカップ美乳女子である事に一切触れず、普段通りに接しているのはおかしい。寧ろおれの目だけがおかしくなってしまっている可能性、あのオカチメンコによくわからん妖術でもかけられて炎の
しかし九野ちゃんは、おれが予想した斜め上の回答を提示した。
「え? もしかしておっぱいの事? うん、キヨちゃん今日オンナノコの日なんだねぇ」
未だかつて、“オンナノコの日”がある十代後半男子がいただろうか。
色々とネジの外れているドラマーは麺づ〇りのふたつ入ったビニール袋を肩の高さに掲げ、「あれ、もしかして組長知らなかったっけ」と元々大きな目を更にワオキツネザルのようにまん丸くする。
九野ちゃんが言うには、専門一回生だった去年、
まず、ここで解消された懸念事項は、おれがあの宇宙人に三原色のまぼろしを見せられている訳ではなかったと言う事だ。それだけは、とりあえず良かった。
しかし、だ。
ふたりと同じくバンドのメンバーであるおれには何故そんな重大な事実だか秘密だかを前もって教えておいてくれなかったのか。今更あんなぶっ飛んだ事言われたって信用しかねるし、そもそもおれの方に信用なさすぎじゃないか? いくら高校時代に殆ど言葉を交わす事がなかったとて、些か薄情が過ぎる。
言ってしまえば、世界中のあらゆるデータベースにアクセス出来る(らしい)アイツはおれが中学時代に誠に不名誉な渾名で呼ばれていた事をも知り尽くしているが、おれはアイツの事を、何ひとつとして知らなかったと言う事だ。
すっかりおれもキヨスミの秘密を知る仲間だと思いこんでいたらしい九野ちゃんはビックリ顔のままキヨスミを振り返り、「キヨちゃん、何で組長にオンナノコの日のこと言っとかなかったのぉ?」とサブリーダーらしく咎めるような調子で言った。九野ちゃんの人の好さと放任主義をよくわかっているキヨスミは、自ら建立した(まだ)熱水(を)噴出(していない)孔を見上げていた顔をこちらに向け、エディ・マーフィのような仕草で肩を竦めてみせた。
「組長がかわいそうじゃん」と同情してくれる心優しいドラマーのお陰でその場でキヨスミをぶん殴ってしまう危機は免れたが、おれは胸糞が悪かった。別にこんな駄目なバンドマンの典型のような野郎に認めてほしいなんて思っている訳ではないとは思うが、仲間はずれのような、おれひとりだけHAUSNEILSのメンバーとして認められなかったような、煮え切らないムカムカが腹の奥で渦を巻いていた。そもそも何故九野ちゃんとフッちゃんもそんな信じられない話を聞いた時、おれにも情報共有を図らなかったのか、と理不尽な怒りすら抱く。
おれはやっと、自分が座る事を許された席を手に入れたと思っていた。サラピンの紙で切った傷口がいつまでも癒えずにヒリヒリと痛痒く神経を逆撫でするように、いつまで経っても消えない居心地の悪さに支配される毎日から開放されたと思ったのだ。
中学時代のおれに教えてやりたかった。お前の人生はそんなに悪いもんやない、諦めずに真面目に生きてれば、歌がお前を救ってくれる。ロックバンドはおれの救世主だった。
仲間はずれにされて腹を立てるだなんて、どんだけガキなんや。理性が幼稚なおれを叱り立てるが、擦り切れかけた感情がソイツに牙を剥く。やかましいわ、頭にきたんやからしゃあないやろ。溢れた感情は脳細胞を活性化し、
次の瞬間に起こる事態をおれ達に予測させる暇すら与えず、その時は、ふいにやってきた。
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