青い春と、青い鳥と

TAKI

青い春と、青い鳥と

 今からもう10年は前だろうか、と僕は久しぶりに昔の記憶を呼び覚ましてみる。

 八月の、脳みそを沸騰させるような気温がそんな気にさせた。そういえばあの時もこんな風に暑かったなぁ、と。

 きっかけはそれだけだ。普段は思い返すだけでも嫌な気分になるものだが、この暑さから意識を逸らすにはこれしか方法がない、と思うくらいには僕の頭は暑さにやられていた。いや、元々頭はやられていたのかもしれない。10年前に。


 今思い返せば、僕はあの頃にはまだ考えが足りなかった。若いころはゆっくりと考える暇もなく、ただ思った事を行っているだけの浅はかな人間であった、と今だからこそ言える。今の僕が行動していたら今僕はこうはなっていない筈だ。


 とまぁ、今更過去を思い返して後悔しても遅いという事は分かっている。あっちは過去で、こっちは未来側だ。未来なんざいくらでも変えることは出来るが、過去はそうはいかない。だからこそ過去から色々と学んで、今という未来を変えるのだろう。だから今、僕がすべきは反省点を探すことであって、落ち度を責める事ではない。


 さて、じゃあそろそろ過去を見直す時間だ。登場人物は三人だけ。物語としては薄っぺらく、中身の無いただの思い出を、見直して、自己採点して、復習しようじゃあないか。

 あの僕の青い春を。当時見つけて逃した幸せの青い鳥を。


                  *


 高2の夏と言えば、やはり一番遊ぶべき時期だろう。

 部活動では最高学年となり、自由になる。勉強はせずとも、あまり困らない。

 そんな時期だからこそ僕は一つ、決心をした。

「あの子に告白をして、楽しい夏休みを過ごそう」

 というのも、僕の所属する文芸部は夏休みの間は活動が休止となり、休み中は毎日学校に行かなくても良くなる。そして僕には特に予定も無い。つまるところ暇なのである。暇であるという事は、一緒にいれる時間が沢山あるということであり、絆も深め易い。などという発想の発展を数回繰り返した結果そこに落ち着いたのである。


 今日の日付は7月12日。学期末試験も終わり、終業式も間近に迫っている。今のこの時期をもし逃しでもすれば、楽しい夏休みの幻想は泡となって消えていくだろう。

 思い立ったが吉日、早めに行動せねば。


 告白する相手は、同じ部活の同級生の女の子。彼女は特に外見がいいとか、勉強ができるとか、お喋りな子で一緒にいて楽しいとか、そういう一般に言うところの魅力的な女の子ではなかった。ただ、一緒に部活をして1年が経ち、ようやく彼女の注目しないと見えない優しさが薄っすらと見えただけだった。

 それを意識したきっかけとなった日は五月の中頃であっただろうか。正確な日付は覚えてはいないが、あの日の暑苦しい図書室と、彼女との出来事は鮮明に覚えている。

 僕が一人で本を読んでいるところに彼女が来たこと。

 彼女に全く興味が無かった僕にめげずに話しかけてくれたこと。

 二人で一緒に本の内容について議論して事。

 それ以外にも色々と覚えているが全てをいちいち思い出さなくてもいいだろう。

 恋愛という二文字に全く縁のなかった僕が、こうしてその二文字に現を抜かすほどになっているという事実だけで十分だ。

 まぁ僕にはこれが恋か愛かも分からないが。本当はそのどちらでもないのかもしれない。

 でも、別にこれが恋でも愛でもないとしてもどうでもいい。恋でも愛でなくても、後々、別れる事も、それに発展させることも出来る。

 あれ?今、僕いい事言ったんじゃねぇ?とひとしきり自画自賛してから、彼女にどう思いを打ち明けようかと迷った。僕は今までこんな恋愛ごととは無縁で、告白したことはおろか、されたことも、友人がしたとかされたとか言うことも聞いたことが無い。それどころか、恋愛ものの本も何となく敬遠してきたくらいの恋愛嫌いを自負しているような男だ。ノープランで挑めば当たって砕けるどころでは済まないだろう。入念にシュミレーションをしなければ。

「やっぱりここは素直に、『好きです、付き合ってください』でいこうかなぁ」などと独り言を零しても、ここは自分の部屋。聞かれて恥ずかしがるような相手も、「はい。私でよかったら」と告白に応えてくれる相手もいない。

「ふぅむ、ただ僕の事だ。大事なところで噛むかもしれないな。となるとラブレターを一筆したためたほうが……」

 僕の妄想にも近いシュミレーションはどんどん止まることを忘れ、深みに落ちていった。思考が深みに落ちていくのとは反対に深夜から朝に変わった。一睡もせずに。

 ふと思い出して時計を見ると、もう7時を回っていた。

 僕は慌てて身支度を済ませた。

 バタバタとうるさい足音と共に、希望の溢れた一日を迎えるための第一歩として玄関を開いた。

「行ってきます」


 そして放課後。

 僕は彼女と人のいない教室で二人きりになっていた。

 大丈夫。言う事は徹夜で決めた。

 彼女は不思議そうな顔をして「どうしたの?そんなに大事な事なの?」とでもいうような瞳を向けている。

「人もいなくなったことだし、そろそろ話すとするよ。ゴメンね。待たせちゃって」

 彼女は「いやいいんだけど。どうしたの?」と言ってから「そんなに言いづらい事なら、別に今無理して言わなくていいんだよ?なんなら後でメッセージ送ってくれてもいいんだし」と続けた。

「いや、大丈夫。今言うよ。コレはちゃんと面と向かって言わなきゃだと思うから」

 僕は昨日考えたフレーズで話し始めた。


「いやぁ、唐突でゴメンね?

 実はこれから君に大事なことを伝えなきゃならないんだ。

 もしかしたら、これから先、コレを言ってしまったら同じような生活を送れないかもしれないんだけど、どうしても君には伝えなきゃって思ってね。

 あ、いや、別に大病を患ってるとかじゃないんだ。そんな風に心配しなくていいよ。心配してくれてありがとう。

 え?病気じゃないなら二学期からいなくなるのかって?いや、そういう話じゃないんだ。僕は卒業するまではこの学校にはいるつもりだよ。別にこの学校に愛着とかはないけど、君と放課後にただ本を読むだけの部活ってのも悪くないと思ってるからね。親が転勤になるって言っても、僕はこの生活を続けるために一人暮らしでも始めるとするさ。

 っと。そうじゃなくて。

 まぁでも、少なくとも。コレを言ってしまったら今言ったことが一変してしまう事も十分にありえるんだ。

 いい方向にも、悪い方向にも。

 でもさ。そうなるとしても、言いたいことは言いたいんだ。伝えたいと思っちゃったから伝えようとは思うんだ。

 ゴメンね。こんなのただの我儘だってことは分かってる。うん。分かってるつもりだよ。

 え?なんかその言い方だと愛の告白みたいでおかしいね、私たちそんな柄でもないのにね、だって?

 確かにそうだね。僕たちはそんな柄じゃないさ。ただの同じ部活の、ちょっと仲のいい二人組でしかないだろうさ。

 君から見たらね。

 きっと君は、僕がもう部活にいけなくなるだとかそういう旨の事を伝えようとしてると踏んでるんだろうけど、そうじゃないんだ。

 ぜんぜん違う。テストだったら0点の答えだよ。

 僕はさっき君が言ったみたいに、愛の告白をしようと思ってきたんだ。

 …………っと、今のは無かったことにしてくれるかな。

 流れで言うみたいな感じじゃなくてちゃんと言いたいんだ。

 いや、別に謝らなくてもいいよ。今のは僕が勝手に言ったことだし、君が愛の告白みたいって言った事にも別に怒っちゃいないさ。僕がそんな柄じゃないことは重々、十かける十で百も承知だよ。

 あ、今のは笑ってもいいところだからね?

 っと、恥ずかしさを茶化すのもあんま良くないかな。

 ん?え、そういう意味で謝ったんじゃないって?

 えっ?

 あぁ………………。

 うん。

 そっか。ゴメンね。今のは全部忘れていいよ。

 じゃあ、僕の何がダメだったかな?これから努力するからさ。そこを直してからもう一回ちゃんと伝えに来るからさ。

 別に僕が嫌な訳じゃないって?いや、別にオブラートに包まなくてもいいよ。今はどっちかというとボロクソに言ってくれた方がかえって気持ちいいからさ。

 え~っと。だからそうじゃない?

 あぁ、成程ね。彼氏がいたのか。じゃあ仕方がな…………。

 いや、ちょっと待って。

 ん?

 え!?

 彼氏いたの!?

 え、僕の知ってる人?

 部長?文芸部の?

 え。

 ちょっと待って。

 僕の能味噌のキャパシティーを大幅に超える情報が入ってきたからちょっと待って。このままだと処理落ちするから。

 ふぅ。大丈夫。もう落ち着いたから。大丈夫。


 君って部長と付き合ってたの!?」


 僕の絶叫が放課後誰もいなくなった教室一杯に響き渡ったと同時に「じゃあ、そういうことだから。ゴメン」という小さな言葉を発してから彼女は教室を飛び出した。

 その後はたったったった、という彼女の足音が遠ざかっていく事実を暫く聞いているだけだった。

 足音も聞こえなくなり、教室内には土から出たばっかりの蝉の耳障りな声が響くだけだった。そんな蝉の声も「俺はそろそろ子供作る頃だけど、お前は残念だったな」という皮肉にも聞こえるようになった。

 終わった。

 そんな気分だった。

 十分にも満たない時間で、こんなにも人間関係は崩れていくのか。こんなにも人は立ち上がれなくなるものか。こんなにも僕は、僕は、僕は…………。

「帰るか」

 途中で生徒会室で退部届を貰ってから帰った。



 何もする気力が起きない。あれからもう一ヶ月が経っただろうか。

 僕の部屋には大量の本が散乱していた。夏休みの課題は積み上げられているが手はついていない。彼女に告白する前日に色々とメモを取った紙は小さな紙屑となって部屋のゴミ箱付近に散らばっている。

 このままじゃいけない。そんなことは分かっている。

 そうだ、元々夏を楽しみたいから告白したんだ。別に好きじゃなかったんだ。好きじゃない。好きじゃなかったんだよ。と何度も頭で言い聞かせても僕の心はそれを許容しない。

 どうやら僕は想像以上に彼女の事が好きだったようだ。

「はぁ…………。ダメだこりゃ」

 本棚から全て出され、床を埋め尽くしている本はもう全て読み切った。ただ、まだ満たされた気になれない。

 無駄足だという事は分かっているが、部屋の中で独り荒れているよりは幾分かマシだろう。

「本でも買いに行くか」

 僕は数週間ぶりに家から出た。


 不幸……幸福でないこと。今の僕の事。

 全ての辞書に今すぐこう書いてもらいたいものだ。

 まさか偶々今日この時間にこの店で彼女がデートしているなどと誰が予想したのだろう。この時間にこうなると設定した神様がもしいるのだとしたら、今すぐ僕の目の前に現れて謝罪をして欲しい。


「あ、そういえばさ」

「ん?どうしたの」

「前に部活で一人で孤立してた子いたじゃん?ず~っと黙々と本を読んでた子。ホラ、同学年だからって俺が無理言って君に声かけてもらってた子」

「あぁ。彼がどうしたの?」

「夏休み中部活が無かったから知らなかったんだけど、この前先生から軽く連絡みたいなのがあってさ。部活辞めたんだって」

「ふぅん」

「あれ?ちょっと前まで仲良くしてた割には反応が薄いね。知ってたの?」

「いや、知らなかったんだけど、まぁどうでもいいかなぁって」

「そっか。元々無理してもらってたからね。どっちかというと気が晴れた?」

「あ~、かも」

「そっか。ま、そんな事よりもこれ見てみなよ!前に好きって言ってた作家の新刊出てるよ!」

「え!ちょっと!どれどれ!」


 神様。謝罪以上の何かを期待しています。

 そう思ってからの行動は素早いものであったとは覚えている。

 思考は一切なしの本能。

 僕はさっき買ったハードカバーの本を握りしめ、駆けた。


                  *


 そうだ。僕はあの時反対側に駆ける事だって出来たんだ。ただ、僕は直進を選んだ。ただそれだけだ。

 そう。直進して彼の頭を打った。ハードカバーの本で。憎悪たっぷりに。

 ふざけんなよ。僕がどんな思いをして彼女と話していたかが分かるのか。その後どんな思いで部活を辞めたか分かるのか。それを『そんな事』ってなんだよ。そう思って殴った。

 丁度二人とも棚前に平積みにされている本に夢中で僕には気づかなかった。どころか、少し頭の位置が低くてとても殴りやすかった。

 彼の頭はゴッ、という鈍い音を立てるだけでそれ以外は何もなかった。

 何もなく、彼は倒れた。

 その時の情景は今後一切忘れないだろう。

 その後どうしたかは覚えていないが。

 気が付いたら家に僕はいて、数時間後に警察が来た。警察には「僕の気持ちを何とも思っていない態度が気に食わなくて、やりました」と言った。

 その後はあれよあれよと時が進んで気が付いたら少年刑務所の中だ。

 中に入ったと思ったらもう十年。

 今日でもう出所だ。出所したらもうやることは決まっている。

 彼と彼女に会いに行く。

 親が数回面会に来た時に知ったが、二人は結婚したそうだ。全く、十年というものは長いのか短いのか。

 一応面会禁止は言い渡されているのだが、そんなものはどうでもいい。

 今後の僕には関係のない事だ。

と、その時僕の部屋の扉をノックする音が聞こえた。

「時間だ。荷物をまとめて出てこい」

 さて、じゃあそろそろ過去やり直す時間だ。登場人物は三人だけ。物語にしては面白みに欠ける、中身の無いただの事件を、やり直して、自己完結して、復讐しようじゃあないか。

 あの僕の青い春を。当時打ち逃した不幸せの青い顔を。赤く。紅く。朱く。


                  *


「午後のニュースをお知らせします。

 速報です。

 今日、××県××市でひき逃げ事件が発生しました。

 被害者は××××さん27歳とその奥さんの××さん26歳です。二人とも病院で死亡が確認されました。

 ひき逃げしたのは大型のトラックですが、乗り慣れていなかったのでしょうか、道には多くのタイヤ跡が残っています。ひき逃げした後、バランスを崩してか、川に落ちたと見られています。

 警察はトラックの運転手の身元の確認を急ぐと共に、事件の経緯などを捜索していく方針です」

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