「!」

青山天音

「…いいか、峠道だけは絶対に通ってはならん。山を迂回する道があるからそこを通って港まで行くのだ」

 遡ること1時間ほど前。ダークスーツに、鋭い眼光。どう見ても堅気ではない男は、目の前のテーブルに置かれたアタッシュケースを示した。

「そして、このブツを、港にいるこの顔写真の男に渡してくれたら任務終了だ。彼は黒いジャケットにベージュのスラックス、そして、週刊誌を逆さに持ってタバコを吸いながら待っていることになっているからすぐわかるだろう。さあ、これは前金だ。」

 俺はうなずくと分厚い封筒を受け取り、懐に入れて立ち上がった。

いよいよ初仕事の開始だ。しかし、俺は男の最初の忠告は無視することにした。俺は駆け出しの運び屋。このあたりを車で走ることさえ初めてだ。だからこの仕事を素早く終わらせて点を稼ぐのだ。

 そして、事前に地図で入念に下調べしたところ、男がいう峠道こそが近道でうってつけだという結論に達したのだ。峠道は一本道なので、土地勘のない俺でも迷うことはないだろう。

 さっそく俺はハンドルを握って出発した。ヘッドライトに照らされた山道は街灯ひとつなく、緩やかにうねりながら登って行く。

 すると見えてきた。車のヘッドライトに浮かび上がるのは道路の脇にひっそりと立つ黄色い標識。標識に描かれた文字はいたってシンプル「!」のみだ。

(一体何に注意しろというのだろう?)

 とその瞬間、突然、何かが目の前を横切った。それは黒い影で、小さな動物のようにも見えた。

(猫?いや、山道だからタヌキか何かか?)

しかしここでブレーキをかけるような心持ちでは運び屋稼業なぞ務まるはずがない。俺は代わりにアクセルを踏みこんだ。

 すると誰も乗っていないはずの後部座席から声がした。

「おやおや、ブレーキも踏んでくれないんですか?」

いつの間にか、後部座席には運転席からでもわかるくらいただならぬ気配が居座っていた。どうやら車に何かが乗り込んできたらしい…もしかして、幽霊!?背筋に冷たいものが走りった。俺は怖気を振り払うように、後部座席に向かって声を張り上げ宣告した。

「俺は幽霊なぞを乗せている場合じゃないんだ、すぐに出て行け!」

「まあまあ、そんなこと言わずに。この道を通ったのも何かのご縁ということで。お察しの通り、わたしは先ほどの標識と峠を超えた標識の間を住処とする自縛霊。次の標識を通り過ぎれば消えますので・・・・・・どうかしばらくお付き合いくださいな」

 俺は速度を緩めず車を走らせながら、ちらりとバックミラーに目を配った。しかしやはりそこには何も映っていない」

「畜生!」

俺は毒づいた。

「いやいや、畜生やケモノの類ではございませんよ、わたしは地縛霊って言ったでしょう」

「気のせいだ!気を緩めるな」

「気のせいじゃございません。これでもかれこれ300年ほど、この峠で人様を楽しませております」

「しつこいやつだ。いや妄想だ」

「もう、そう、じゃございません!って、あはは。今のはちょっとしたダジャレでして」

「答えるな。無視!無視!無視!」

 今や俺は後部座席に居座ってしまった、このうるさいヤツから気をそらすため、口の中でブツブツ唱えていた。

なるほど、ここはこのあたりでは『出る』と有名な峠なのだろう。それであの依頼主がこのルートを避けろといってきたに違いない。

早く次の標識までたどり着かなければ!こんな仕事は本当にさっさと終わらせてしまうに限る。

 しばらく進むと道は峠を越えたらしく下り坂になった。

しかし、その間中、後部座席のヤツはずっと喋り続けていた。

「無視なんて虫のいいことを言わないでくださいよ。わたしは本当に『いる』んですよ。それに今、仕事と思いましたね!なるほど物を運ぶお仕事・・・・・・運んでいるのはトランクにあるアタッシュケースですね」

「おいこら! 余計な詮索をするな!」

「センタク? そう、このアタッシュケースはこれから洗濯される!」

「え、なにを・・・・・・」

「つまりマネーロンダリングってこと。アタッシュケースの中に入っているのは贋金なんですよ!そいつを海外でこっそり換金して文字どおり綺麗にしちまうって魂胆のようですぜ」

「お前、幽霊のくせに物知りだな。しかし、なるほど・・・・・・」

「なんならついでにもうひとつ教えて差し上げましょうか?」

「おう、聞かせてくれ」

「実はね、あなたの胸ポケットに入っている札束も・・・・・・」

 しばらく走ると次の標識が見えてきた。

目的地の港はそのすぐ先にある角を右に曲がればあとはまっすぐ。

しかし、俺はその前で左折のウインカーを出した。曲がれば峠を迂回して元に戻る道につながっている。行く先は警察署。標識を通り過ぎる直前、俺は言った。

「短い道中だったが楽しかったぜ。しかしお前、ずいぶんよくしゃべる幽霊だな!」

「えへへ、そりゃわたくし『言うれい』ですから」

そう言い残すと後部座席の気配はスッと消えた。


 …港では、黒いジャケットにベージュのスラックス、そして、週刊誌を逆さに持った男がタバコをふかしながら運び屋の車の到着を今か今かと待っていた。しかし、定刻を過ぎると男はタバコをももみ消し、舌打ちして言った。

「チッ、まさか、またあの峠を通ったのか。あのルートは確かに近道だが、なぜか毎回、運び屋が逃げやがる」

そして男は踵を返すとボスに失敗を報告するためにアジトに戻っていった。


(了)

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